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王子界隈を歩いてみた -1 王子稲荷と装束稲荷

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王子界隈を歩いてみた-1
王子稲荷神社と装束稲荷神社 : 『大晦日の狐火』


大晦日にちなんで、王子稲荷神社と装束稲荷神社、
そして王子神社の参拝記でも。。。

さて、いよいよ2010年も残すところあと一日。
皆様は楽しい一年だったでしょうか?

私は・・・そっとしておいてて下さい(苦笑)

さて、この『神社ブログ』(と化してしまった←)2010年の締めくくりとして、北区王子にある「王子稲荷神社」について、ご紹介したく思います☆

上の絵は、江戸時代の浮世絵、
安藤広重作 名所江戸百景~『王子装束ゑの木 大晦日の狐火』。
(wikiからCopy Free 画像を使用しました)

この浮世絵の舞台地が・・・

此処、装束稲荷神社であったとされている。

今から約千年の昔、この附近一帯は野原や田畑ばかりで、その中に榎の大木があり、そこに社を建てて王子稲荷の摂社として祭られたのがこの装束稲荷である。

この神社にある榎の木の下に数多くの狐がやってきて、衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したという伝承があることから、木は装束榎と呼ばれていた。
狐たちがともす狐火によって、 地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占った。

これが『大晦日の狐火』の起源である。

昭和四年(1929年)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移された。後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられた。

尚、ボクが参拝した日は、お祭り真っ只中!
当然「油揚げ」など、狐に纏わる食べものが出店で売っていた。
ちと、見にくいけど、御神木の装束榎が立っている。
・・・祭りの邪魔になるといけないので、王子稲荷神社へ移動することにした。

尚、メイン・ストリートは、狐火祭の提灯が数多くぶら下がっていた。
王子にとっての一番重要な行事のひとつなのであろう。

装束稲荷から歩く事10分。
王子神社の上に、稲荷神社が御鎮座されていた。
両脇には幼稚園があるのだが。。。
なので、本門をくぐるのは、土日祝日のみと決められている。

王子稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神 宇氣母智之神 和久産巣日神の3神とされている。
康平年中に征夷大将軍、源頼義により「関東稲荷総司」の称号を頂き、小田原北条氏についで、徳川将軍家代々の祈願所と定められてきた。

現在の御社殿は十一代将軍家斉公により新規寄進されたもの。
ちなみに、落語「王子の狐」の舞台でもある。


拝殿を…

品川二社巡りで禊払い (2) 品川神社

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仕事納めの日に会社の近くで禊払い(2)品川神社


今回の禊払いプチ旅行。
荏原神社の次は、第一京浜沿いに鎮座されている品川神社へ。
「昭和」の臭いプンプンな商店街を抜けて、第一の鳥居である(!?)
『サクセス品川鳥居』の先の高台に品川神社は鎮座されております☆

品川神社は、「北の天王社」と称され、新東京八名勝に指定されている。
一見すると、とてもご立派な雰囲気を醸し出している。
大鳥居の支柱には、やはり龍神の彫刻が施されている。
水害に悩ませてきた過去の品川宿の歴史を感じずにはいられない。
尚、品川の名前の由来は、目黒川の別名であるとする説、高輪に対して品ヶ輪とした説など様々ある。

そして境内へ。
石造鳥居は慶安元年(1648)に作られたもので、東京都内では上野東照宮に次いで二番目に古いもの。

御祭神は、天比理乃咩命(アメノヒリノメノミコト・・・天太玉命の后神)、素盞嗚尊(天王様・・・スサノオ) 宇賀之売命(お稲荷様・・・ウカノメノミコト)の3神。
こちらは拝殿。
すでに初詣の準備がなされていた。

さて、御由緒によると・・・

今からおよそ八百年前程前の平安時代末期の文治三年(1187)に、源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市 安房國一之宮洲崎神社)の天比理乃咩命を統治に勧請したのが創始とされている。

やがて、鎌倉時代末期の元応元年(1319)に二階道蘊公が「宇賀之売命(お稲荷様)」を、さらに室町時代中期の元応十年(1478)に太田道灌公が「素盞嗚尊(天王様)」をそれぞれお祀りした。

また、寛永十四年(1637)、徳川三代将軍徳川家光により東海寺が建立され当社がその鎮守を定められ「御修覆所」となり、二度の焼失(元禄・嘉永)時にも時の将軍により再建され、徳川家の庇護をうけた。
その後、明治元年には明治天皇より、「准勅祭社」と定められ、大東亜戦争の折は、幸いにして戦火を逃れたが、社殿の老朽化に伴い、昭和三十九年(1964)に現在の社殿が再建された。
(以上、品川神社御由緒より)

こちらは本殿で流造りの建築。
コンクリート製の壁がモダン・・・というか。


神社脇には板垣退助のお墓があったり(どうもお墓だけは写真に収められません・・・)したが、社殿から見て右側の下り坂をくぐると、『(一粒萬倍!)阿那稲荷社』が鎮座していた。

境内に上社と下社が鎮座していて、特におもしろかっ…

品川二社巡りで禊払い (1) 荏原神社と天王洲の由来

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仕事納めの日に会社の近くで禊払い(1)荏原神社


仕事納めだった本日29日。
会社近くの神社へお参りし、数多くの禍や過ちを悔い改めて、新しいココロで2011年を迎えたいと思い、近くの神社へ参拝することにした。

まずは、職場のある天王洲アイル。
夜になると、残業によるライトアップがキレイです☆

ちなみに、ここ品川天王洲は、英国ロンドンのカナリーワーフという再開発地区と少し似ている。
19世紀後半、品川宿は宿場町として栄え、多くの行商人が泊まる安宿や食事処が軒を連ねる庶民的な町であったが、中国vs英国のアヘン戦争以降、ロンドン・イーストエンドと同様『アヘン窟』と化してしまい、アヘン中毒者達が町を徘徊し、無法地帯と化していた・・・。

・・・真っ赤なウソです!!

本当は・・・

凡そ一三〇〇年の昔より、荏原神社の氏子区域である天王洲は、昭和初期までは海でした。
室町時代、霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、京都の祇園祭に倣う神輿洗いの神事がおこなわれるようになりました。

このことから、名もなき海域が天王洲と呼ばれるようになり、時代の移り変わりとともに様々な変遷をたどって、現在では、荏原大神様のご加護のもと、近代的なビルが立ち並ぶ東京の新名所として知られています。
(荏原神社公式HPより)

・・・(ほんの)少し感動


・・・と、くだらない話はこの位にして、いざ荏原神社へ。
社務所でしっかりと御朱印を頂きました☆

さて、ここ荏原神社は北品川にあり、旧称を天王社、貴布彌大明神(品川貴船社)等と呼ばれていた。
尚、品川には天王社が二つあり、品川神社は「北の天王」、荏原神社は「南の天王」と呼ばれる。
旧社格は郷社で、東京十二社(准勅祭社)として定められた経緯もあり、都内では由緒ある神社である。

主祭神は 高龗神(タカオカミ)、豊受姫之神(トヨウケヒメ)、天照皇大神(アマテラス)、須佐男之尊(スサノオ)、手力雄之尊(アメノタヂカラオ)の5神。

龍神で『水の神』である高龗神(タカオカミ)は、日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神(イザナギ)が迦具土神(カクヅチ)を斬り殺した際に生まれたとしている。


『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらお…

武蔵国総社 大国魂神社

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武蔵國総社 大國魂神社




この日はちょうど平日の通院日に参拝したので、予想していた程参拝客がいなかった。
よって、「じっくり・ゆっくり」と境内を周る事ができた^^

京王調布駅から歩いて数分の場所に鎮座されている。

大鳥居から伸びる参道は、提灯づくし!
かなり圧倒されました!!

こうやって見るとなかなか荘厳ですね☆
尚、武蔵野線の府中本町駅と調布駅の近道にもなっているので、ただの通行客が多かった。

そして、随神門が・・・

「ない・・・」

残念ながら修繕中の為、ベニヤ板で覆われた門をくぐらなくてはいけなかった(涙)
まるで高校の文化祭で見受けられるような門構えであった・・・。

写真にあるのは随神門の先にある中雀門で、大正9年建立の門。
(ちなみに随神門は享保20年(1736)川崎定者により奉納されたという歴史ある門)

そして、拝殿へ。
流造のこの拝殿は、明治18年に改築されて、昭和53年に改修されたもの。

この辺で、大國魂神社の御由緒について・・・

御祭神は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。

この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神でむかしこの国土を開拓され、 人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えられこの国土を経営されたが、 天孫降臨に際してその国土を、天孫瓊々杵[ににぎの]尊にたてまつり、 出雲の杵築の大社に鎮座されました神であることは、世に知られるところである。

当社の創立は、景行天皇四十一年(111年)五月五日で、当時は出雲臣天穂日命[のおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて武蔵国造に任じられ、代々神社に奉仕したが、大化の改新によって、武蔵国府をこの地に置かれたので、国司が国造に代わって奉仕するようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。

また、管内神社の祭典を行う便宜上、武蔵の国中の神社へ1か所に集めてお祀りした。
是が武蔵総社といわれる起源であり、左右の相殿(本殿)に、武蔵国内著名の神社六所(小野大神小河大神氷川大神秩父大神金佐奈大神杉山大神)を合祀したので、六所宮と称せられるようになった。

鎌倉幕府並びに北条・足利両氏も篤く崇敬し、徳川家康が江戸に幕府を開くと共に殊に崇敬の誠を尽くし、神領地五百石を寄附せられた。
正保三年(1646)十月、…