27 December 2010

武蔵国総社 大国魂神社


武蔵國総社 大國魂神社





この日はちょうど平日の通院日に参拝したので、予想していた程参拝客がいなかった。
よって、「じっくり・ゆっくり」と境内を周る事ができた^^

京王調布駅から歩いて数分の場所に鎮座されている。

大鳥居から伸びる参道は、提灯づくし!
かなり圧倒されました!!

こうやって見るとなかなか荘厳ですね☆
尚、武蔵野線の府中本町駅と調布駅の近道にもなっているので、ただの通行客が多かった。

そして、随神門が・・・

「ない・・・」

残念ながら修繕中の為、ベニヤ板で覆われた門をくぐらなくてはいけなかった(涙)
まるで高校の文化祭で見受けられるような門構えであった・・・。

写真にあるのは随神門の先にある中雀門で、大正9年建立の門。
(ちなみに随神門は享保20年(1736)川崎定者により奉納されたという歴史ある門)

そして、拝殿へ。
流造のこの拝殿は、明治18年に改築されて、昭和53年に改修されたもの。

この辺で、大國魂神社の御由緒について・・・

御祭神は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。

この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神でむかしこの国土を開拓され、 人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えられこの国土を経営されたが、 天孫降臨に際してその国土を、天孫瓊々杵[ににぎの]尊にたてまつり、 出雲の杵築の大社に鎮座されました神であることは、世に知られるところである。

当社の創立は、景行天皇四十一年(111年)五月五日で、当時は出雲臣天穂日命[のおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて武蔵国造に任じられ、代々神社に奉仕したが、大化の改新によって、武蔵国府をこの地に置かれたので、国司が国造に代わって奉仕するようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。

また、管内神社の祭典を行う便宜上、武蔵の国中の神社へ1か所に集めてお祀りした。
是が武蔵総社といわれる起源であり、左右の相殿(本殿)に、武蔵国内著名の神社六所(小野大神小河大神氷川大神秩父大神金佐奈大神杉山大神)を合祀したので、六所宮と称せられるようになった。

鎌倉幕府並びに北条・足利両氏も篤く崇敬し、徳川家康が江戸に幕府を開くと共に殊に崇敬の誠を尽くし、神領地五百石を寄附せられた。
正保三年(1646)十月、類焼により社殿は焼失したが、寛文七年(1667) 将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。 形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであるが、 慶応年間に檜皮葺[ひわだぶき]が銅葺に改められた。 又、本殿は都文化財に指定されている。

明治元年(1868)准勅祭社に準ぜられ、同七年(1874)県社に列し、 同十八年官幣小社に列せられた。

本社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、 又国内著名の神六所を配祀したので、「武蔵総社六所宮」の社号を用いた。ところが 明治四年(1871)に、もとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。

(以上、神社略誌及び公式HPより抜粋)


こちらが本殿。
本殿の歴史について・・・

治承4年(1180)源頼朝 六所大名神に参詣し神馬及び矢を奉納と「源平盛衰記」に記されているので、此の時点より以前に本殿が建立されていた事がわかる。
天正18年(1590)火災(兵火により社殿をことごとく焼失)

慶長11年(1606)六所宮の造営を開始(徳川家康の命による)
正保3年(1646)正保の大火災(重要文書等が焼失される)

寛文7年(1667)現在の型の社殿を建立(徳川家綱の命による)
慶応3年(1867)大修理(老朽化の為と思われる)
昭和43年(1968)修復(昭和40年9月の台風で崩壊した故)

室町時代末期の神社建築としては、三殿一棟は特異である。
構造は三間社流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造となっている。
(公式HPより抜粋)

尚、一棟三殿の本殿には、

東殿 : 一之宮 小野大神 (現:小野神社~東京都多摩市)
二之宮 小河大神 (現:二宮神社~東京都あきる野市)
三之宮 氷川大神 (現:氷川神社~さいたま市大宮区)

中殿 : 大國魂大神、御霊大神、国内諸神

西殿 : 四之宮 秩父大神 (現:秩父神社~埼玉県秩父市)
五之宮 金佐奈大神 (現:金鑚神社~埼玉県神川町)
六之宮 杉山大神 (現:杉山神社~横浜市緑区)

が祀られている。

ちなみに、現在は、一般的に氷川神社が武蔵一之宮で、金鑚神社が二之宮なのだが、これは室町時代に成立した『大日本国一宮記』にて、氷川神社が一宮とされており、室町時代以降、当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したのではないかと考えられている。

上の写真は『鼓楼』という塔。
昔は、時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物である。
お寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くから「鼓楼」と呼ばれる。

慶長年間の造営の際に、三重の塔と相対して建設された、しかし正保三年(1646)の火災で焼失、約200年余後嘉永7年(1854)再建されたとの事。
(公式HPより抜粋)

こちらの石は本殿脇に奉納されていた『さざれ石』。
平成5年の皇太子殿下御成婚記念として奉納された。

「さざれ石は、石灰石が雨水に溶解し膠結物質となり小粒石を凝結した石灰質角礫岩(かくれきがん)で、長年を経て小粒石が巖(いわお)に固結し苔むす様は、一家、町、国と集結し幾千代まで栄え幾人間の協調発展の精神に比喩され、算賀を祝し長寿を祈る嘉句として国歌や古今和歌集に詠まれている」
(境内説明より)

こちらは神楽殿。
紅葉と広葉樹の緑色の葉との色合いが美しい。

大鳥居脇にある稲荷神社(神戸[ごうど]稲荷神社)
落葉の柔らかな絨毯の上に乗った朱色の鳥居。

とても日本的で、四季情緒溢れる風景を見ると、心がいつしか平穏になる。

そして、最後は府中街道と旧甲州街道の交差点にある御旅所。
五月五日の夜、八基の神輿渡御があって、献饌、奉幣等神秘の儀式を行うらしいです。

以上、大国魂神社についてでした。

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