30 July 2010

出雲大社大祭礼 (2) 田植舞と流鏑馬、神代神楽


例祭後の神事


この大祭礼は計3日間催されて、二之祭(2日目)や三之祭(3日目)では骨董品市や、神輿渡御祭や獅子舞、大茶会等多くの神事・行事がある。骨董品市には行ってみたかったな・・・。

(1) 田植舞

厳かな雰囲気の「例祭」が終わると、いわゆる「祭り」モードに変貌する。
最初は五穀豊穣を願い、神々に舞いを捧げる「田植舞」。

(実は一度は詳細に書いたのですが、完成しかけでブラウザがフリーズしてしまい、書き直しています。よって、雑な文になってしまってます・・・)

数十名の男女が、町を練り歩いた後、
本殿の隣りにある神楽殿に向かう。

日本一の大きさを誇る日章旗(畳75枚分の大きさ)と、
これまた日本一の大きさといわれる注連縄
が祀られている神楽殿に向かう。

数列に並んだ後、神々に一礼。

その後、田植舞が始まる。
男達は和太鼓でビートを刻みながら踊り、
女達も笛を吹きながら踊っていた。


このような大規模の祭囃子(田植舞)を見たのは初めて!
とても良い経験をさせてもらった。

(2) 神代神楽

そして、同じ神楽殿で、神代神楽が奉納されていた。


本当はビデオ撮影したのだが、電池残量が残り僅かで、手ぶれ機能が自動的にオフにされたので、「ブレブレ」の映像・・・。画面を見ていたら多分酔ってしまうので、未公開とさせて頂きますw

「どうもありがとうございました~!」


尚、出雲流神楽は娯楽性に富んだ神楽として、全国的に有名らしいです。
実は、神楽にどことなく似た(!?)「歌舞伎」の発祥の地も出雲なのですよ☆


(3) 流鏑馬神事


田植舞の後、ご当地名物の「出雲そば」を食してみる。
あと、3器位食べられそう(笑)

食事後、参道に戻ってみると、多くの見物客が参道脇に立っていた。
個人的メインイベント、「流鏑馬神事」である!

人馬とも参道に入場。
隣りの木の幹が尋常でない位太い!!

走って矢を射るのかと思ったが、ゆっくり歩いていた。
カメラ目線ありがとうございました☆

宮司からお言葉を詠みあげられた後、
流鏑馬用の矢を騎手に手渡した。

矢を向けた先は、天空。
ヒトが造った「的」でなく、天そのものが「的(まと)」なのかな、と解釈。

矢も無事に天に届き、
これまたカメラポーズを決めてくれました。


次回は、恋のおまじない「神楽殿」についてです☆

28 July 2010

出雲大社大祭礼 (1) 例祭


出雲大社大祭礼~例祭


今週は、日本一の音楽祭。フジロック・フェスティバル!
苗場に行きたい!けど、お金と勇気がぁ・・・。

さてさて大祭礼は、出雲大社にとって、全国的に有名な「神在月神在祭」以上に重要な年次祭事である。
数多くの数多くの祭典や行事が大祭礼の期間中に行われるが、その中でも天皇陛下の大御使である勅使が、大社に御幣物を奉納される「例祭」が最も重要な祭事である。

ちなみに、この祭典は伊勢神宮をはじめとした、由緒ある十数社に限られている。
(尚、御近所にある大宮氷川神社は8月1日に執り行われる)

荒垣(境内)や周辺を散策して拝殿に戻ってみると、何時の間にか報道陣をはじめとした大勢の人達で賑わっていた。

「ピロロ~っ♪、ドン!ドン!」
(意味、分かるかしら??)

と、荒垣内に雅楽が鳴り響き、とても厳かな雰囲気が伝わってきた。
また参拝者は、正装した人達がとても多かった。

ところで、現在の例祭に相当する大祭は、古く「三月会(さんがつえ)」と称され、「山陰無双之節会、國中第一之神事ナリ」と称えられるほど盛大で厳かな祭事であるらしい。

国造以下神職たちは、一年に一度、この例祭にしか着さない正服に着装して、厳粛な祭事を執り行う。
御供え物が神前へと供えられると、國造により祝詞が奏せられ、天皇陛下の大御使であります勅使様が御仮殿へと参進される。

そして天皇陛下よりの御幣物(ごへいもつ)が勅使様から國造へと伝達され、國造により御仮殿奥、大国主大神様の大前にお供えされると、勅使様により御祭文(ごさいもん)が奏上せられる。

・・・というのが例祭の流れだったが、出発ギリギリまで「大祭礼」がある事すら知らなかったボクとしては、ただ「ボケーっ・・・」と、見学する位しか出来なかった。

次回参拝する機会があれば、もっと凛とした心構えと知識を持って参加したい。

例祭が終わる頃、曇り空からいつしか青空が広がり、日章旗も春の微風に気持ち良く揺られていた。

恐るべし、出雲大社の神通力☆

26 July 2010

出雲路を歩く 出雲大社 境内


いずもおおやしろの境内


松の参道を通り、銅鳥居を抜けて、いよいよ荒垣(境内)に入る。
背後を山々に囲まれ、(早く着きすぎたせいか)静寂した荒垣内は、まるで異世界に来てしまったよう。

そして、荒垣の中に入ってみると、背筋がピーンとするような感覚に陥った。
それは「緊張する」、「重々しい」とか「神々しい」等といった雰囲気では決してなく、ごく自然に凛とした気持ちになれたというか、何というか・・・。


ここは八足門で、本殿の入り口。
蛙股の「瑞獣」や流麗な「流水文」などの彫刻が施されている。

そして、背後には写真でしか観た事がない荘厳な御本殿が・・・

見えない・・・(涙)
鉄筋の構造物しか見えない・・・(号泣)


というのも、現在本殿は「平成の大遷宮」と言われる大工事中で、平成25年完成予定。残念だが、次回参拝まで御本殿を拝むのはお預け・・・。
しかし、再参拝する理由ができたということでOK~(^^)


出雲大社は正式名称「いずもおおやしろ」と呼ぶ。しかし、出雲大社という名は明治時代以降の呼称で、古代より杵築大社と呼ばれていた。
創建については、平安時代に「雲太、和二、京三(出雲大社=長男、東大寺大仏殿=次男、平安京大極殿=三男)」という数え唄があった程、古より由緒のある、壮大な規模の神社である。


檜皮の屋根についている苔の色具合と、年月を感じさせる囲いのくすんだ色に侘寂を感じる。


ここは「御仮殿」
現在、祭神である大国主神はここ御仮殿でお鎮まりになっている。


各々の願いを託して、おみくじが木の幹や枝に隙間なく括り付けられて、絵馬掛けにも数多くの絵馬が掛けられている。小生も引いたおみくじを括りつけさせて頂いた。
御利益があれば良いのだが・・・。


ここは、手前は釜社で、奥の長い社は十九社。
釜社には、素戔嗚尊(すさのお)の子の宇迦之魂神が祀られている。
そして、十九社は八百萬神(やおよろずのかみ)が祀れていて、神在祭の際に神々の宿舎となる場所である。

神々の宿舎まで完備されている出雲大社は、まるで神社のテーマパークのよう!?

次号は、いよいよお祭りです☆

24 July 2010

出雲大社 「国造り神話」とダイコク様

幸魂・奇魂とダイコク様



下の写真を見てみよう。
高波に浮かぶ黄金の玉に、両手を広げている大国主神。
これは『ムスビの御神像』と呼ばれていて、大国主神が、海の彼方からやってきた幸魂・奇魂のお蔭を頂き、葦原中国(日本)の国造りが完成することができたという古事記にある神話のひとつである。

日本の神道の概念では、神の霊魂が持つ側面には、荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)の2つがあると言われている。
荒魂(あらたま)は、神の荒々しい側面であり、天変地異を引き起こし、病を流行らせ人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きで、神の祟りは荒魂の表れである。
それに対し和魂(にぎたま)は、 雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面であり、神の加護は和魂の表れである。

人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。

和魂はさらに『幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)』に分けられる。  


『幸魂(さきみたま)』は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。対する『奇魂(くしみたま)』は奇跡によって直接人に幸を与える働きである。

さらに言えば、『幸魂(さきみたま)』とは、花が咲く、布を切り裂く、物が割き分かれるという言葉のように、物が分裂し、増加繁殖して栄える力を意味する。
そして、『奇魂 (くしみたま)』とは、櫛・串の言葉のように、櫛で乱れた頭髪を解いて整える、串刺しにして、それぞれの物を統一するというように、統一し調和する力を意味する。
つまり、『幸魂』によって分化繁殖したものを統一し、調和のとれたものとして一層発展させてゆく力が『奇魂』ということらしい。

この『幸魂奇魂』の力によって、お互いの生命は正しい働きをするのである。
(Wiki、神道の本などを参照)


さてさて、大国主が御大(みほ)の岬にいたとき、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗ってやって来る神がいた。

大国主神:「ホエー!なんとも小さい神だ。
おちびさん、名は何というのですか?」

小さな神:「ケッ」


と、大国主がその小さな神に名を尋ねたが答えなかった。また周りの者も知らなかった。

そこにヒキガエル(たにぐく)がやってきて・・・

カエルさん(たにぐく):「案山子(かがし)の久延毘古(くえびこ)様なら知っているでしょう。くえびこ様は、足があっても歩くことができませんが、天下の事なら何でも知っている神様ですよ、クエっ!」


と、助言をもらった。

大国主が早速くびえこの元に向かい尋ねてみると、

くびえこ(かかしさん):「この子はカミムスビノ神の子、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)じゃな。きっと小さすぎて高天原から落ちてしまい、迷子にでもなったのでは?」


*カミムスビノ神(神産巣日神・・・古事記表記、神魂命・・・出雲国風土記表記)とは、天地創造をおこなった三柱の神の一体で、過去に大国主神が兄弟の八十神に暗殺された時に、彼は遣いの神を送って命を復活させた。(前回のブログ参照)
大国主:「それは可哀想に・・・高天原に届けてなくては!」

と思い、高天原(天上界)にいるカミムスビノ神のもとを向った。

カミヌスビノ神:「これこれ、我が子よ。そのお方は出雲の国を造られている神なのじゃ。おまえも国造りを手伝うのじゃ。これも修行のうちじゃぞ」

ということで、兄弟となって葦原中国(出雲)の国造りに励んだ。
すると、大豊作となり、実りの多い一年となった。

しかし国造りの途中で、少名毘古那は

「おいらは今から旅に出る。そなた独りでも大丈夫だ。」と言い、常世の国(海外の遥か遠くある国)に渡っていってしまった。

少名毘古那が去った後、作物の育ちが悪くなってしまい

大国主:「これから私一人でどうやって国を作れば良いのだろうか・・・」

と、途方に暮れて砂浜をトボトボと歩いていた。

すると、海を照らしながらやって来る神がいた。

その神は
「そなたは国造りに困っているようじゃな?」と大国主に尋ねたところ、

大国主:「はい・・・。一緒に国造りをしていたスクナビコナが遠くへ行ってしまって・・・。」
と、力なく答えた。

すると、
神:「我こそは汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)なーり。丁重に私を祀れば、国作りに協力しよう」

と提案した。

大国主:「ぜひお願いします!しかし、どう祀るのですか?」

神:「大和の国を青垣のように取り囲む山々の、その東の山の頂きに身を清めて私を祀るのじゃ、ウホホッ」
と答えた。

この神は御諸山の頂に祀られた。すると程なくして恵みの雨が降り、作物が再び育つようになった。

大国主:「どうもありがとう。こんな時どういう顔をすればいいの?」
神:「笑えばいいんだよ。」

・・・なんて会話は100%ないだろうが、ますます葦原中原の国は発展していったのでした。
尚、この神(和魂)の名は大物主神といい、御諸山とは奈良・三輪山のことである。

そして、イザナギ・イザナミ(これも出雲所縁の神話があるので後程・・・)が生み出した葦原中国(すなわち日本)の国造りを完成させて、大国主神は大地を象徴する神格となりましたとさ。

-おしまい-


くえびこは案山子(かがし)という土地の神・杖の神(岐神)で、「嗅がし」や鹿驚という意味らしく、獣肉を焼いて串に突いて田畑に刺し、その臭いで鳥獣を退散させた物とも言われる。そして現在の「かかし」の語源である。
(最近めっきり見られなくなりましたが・・・)


次回はいよいよ出雲大社の境内、そして例祭の模様についてです☆
そして、大社本殿にも古事記の神話が。

22 July 2010

出雲大社と大国主神の神話 「因幡の白兎」


出雲大社(大国主神)にまつわる神話(「因幡の白兎」編)



神門通りの突き当たりに、ようやく参道入り口が姿を現した。

ボクが参拝する日に、偶然にも年に一度の大祭礼が行われるなんて。。。
絶対何か持っているな、ボクはw

ちなみに、下記写真のエリアは「勢溜(せいだまり)」と呼ばれ、かつて芝居小屋があって、多くの人が集まり、人の「勢い」が「溜まる」ことが名前の由来らしい。

鳥居と勢溜

鳥居をくぐると松の参道が延々と続く。
「祭」と聞いていたので、人が多いのかな?と思ったが、参拝者は疎ら。参道の脇には庭園のようなものがあったり、緑が豊富で本当に癒される。

松の参道

参道の脇には「因幡の白兎」の像があり、出雲大社の祭神である大国主神と大きな関わりがある。
なので、因幡の白兎について、分かりやすく(?)書いてみたく思います☆
(間違いはご容赦を~!)


淤岐島(おきのしま)に一匹の兎が住んで、海の先にある陸を眺めていた。

ウサギさん:「ここから気多の岬まで渡って仲間に会いたいな・・・何かいい方法はないかな?」
と、途方に暮れていた。

すると、サメさんがやってきて・・・

サメさん:「ウサギさん、どうしたんだい?」

と、心配しながら話かけてきた。

ウサギさん:「(そうだ!ニヤリ・・・)いつも君達の数を数えているんだよ。僕らウサギとサメさんの仲間のどっちが多いのか、知りたいんだ」

すると、サメさんは

「君たちウサギさんよりも、おいら達のほうが多いよ!」

と、言ってきた。

ウサギさんは妙案を思い付き、次のようにサメさんに提案してみた。

ウサギさん:「じゃあさぁ、気多の岬まで君達の仲間を一列に並べてみてよ。僕は背中を踏みながら数えてみるからさ~!」


サメさん:「その話、乗った!仲間集めてくるっす☆」


と言って、島から陸地まで横一列にサメが並んだ。

ウサギさん:「ウサちゃん、行きまーす!」
と言ったかは定かでないが、サメの背を足場にしながらピョンピョンと飛んで渡っていった。

サメさんは、調子こいたウサギの姿を見て不思議に思い、こう尋ねた。

サメさん:「お前本当に数えているのか?」

実はウサギさんは、サメの数なんてカウントしておらず、

「貴様らはおいらの策略に嵌ったのさ。フフフッ」


と、吐き捨てて(!?)陸地に逃げようとした。

「おのれー!(怒)」


と、サメは激怒して陸地寸前でウサギに噛みつき、毛皮丸ごと剥ぎ取られてしまった。

裸になったウサギが浜辺で震えていた頃、大穴牟遅(オオナムヂ・・・大国主命の別名)の兄弟である八十神(やそがみ)が、因幡(稲羽)のヤカミヒメに求婚するために移動していた道中、裸のウサギを見つけて嘲笑してからかった。

八十神:「なーんてみじめな格好なんだ(笑) どうしたんだ?」

するとウサギさんは、サメに毛皮を剥がされてしまったので、治療法を教えて下さい、と懇願した。

「それなら簡単。海水を浴び風にあたりながら寝てりゃすぐ治るよ、ニヤッ」
と、嘘をウサギに教えた。

ウサギさんは神々の言う通りにやってみたら、かえって傷が悪化してしまい、身の皮が風によって引き裂かれて、泣き苦しんでいた。

すると、集団から遅れて大きい荷物を持ったのちの大国主命ことオオナムヂがやってきた。
大きい荷物とは、八十神全員の旅の荷物。
所謂「使いっぱしり」にされていたのだ。

因幡の白兎像

オオナムヂ:「どうなさいましたか?ウサギ殿」

ウサギさん:「大勢の神様の言う通りにしたら、傷がひどくなってしまいました・・・(涙)」


オオナムヂ:「大勢の神とは私の兄弟のことです。許して下さい。傷を治すには真水で身体を洗い清め、蒲の花の黄色い花粉を身体にまぶすのです。」


そして、しばらくすると、ウサギさんは元の身体に戻った。

ウサギさん:「お陰様で傷が治りました(^^)/ どうもありがとうございます!そんなに大きな荷物を持って、これからどこへ?」


オオナムヂ:「求婚のため因幡の八上比売(ヤカミヒメ)の所まで行くのです。荷物は兄弟のものです。」


すると、ウサギさんは、

「ヤカミ姫は、因幡一お美しい方。貴方様の事を気に入られること間違いありません!」

と、オオナムヂに話した。

しかし、オオナムヂは
「求婚するのは、兄弟さ。私ではないのだよ。では、アディオス!」と言い残し、浜から立ち去ったのであった。

だが、ヤカミ姫は数多くいる兄弟の中からでなく、従者として来ていたオオナムヂを結婚相手に選んだ。

するとオオナムヂは、兄弟(八十神)の嫉妬による暗殺や残酷ないじめに遭ってしまった。

その後、母の助言で先祖の神様であるスサノオ命(あとで、詳細な神話を紹介します☆)のいる根堅洲国(ねのかたすくに・・・通称根国(ねのくに)いわゆる黄泉の国)に向かい、スサノオから与えられた数多くの試練を彼の娘であるスセリ姫と共に克服した。

そして、スサノオより霊の宿った弓矢と太刀、そして娘のスセリ姫を頂き、大国主神と命名された後、故郷に戻って、兄弟の神々を追い払い、出雲の国を治めたのであった。

(後半はかなーり、話を手短にまとめました^^)

めでたし、めでたし。

あれ?ヤカミ姫だったのに、スセリ姫??
実は大国主神は、後にほかにも数多くの妻を持ち、多くの御子を持ったのです。(その数180とも) なので、縁結びの神、子作りの神等と言われているのは、こういう伝承神話から由来するのであった。

・・・な程、単純ではありませんw

長くなりすぎたので、もうひとつの「縁結び」神話については次回に。

21 July 2010

出雲路を歩く 出雲大社へ (Izumo Shrine)

翌朝、早速一畑電車に乗って、出雲大社へ向かう。


出発前は曇っていたが、出雲大社に到着する頃には、すっかり天気が良くなった☆

ここは出雲大社駅ホーム。
ホームの案内看板の字体など、とても郷愁を覚えてしまう。


出雲大社前駅舎。
1930年に建築された駅は、とてもハイカラな洋風建築。
しかし、参道の雰囲気と妙にマッチしている、

郵便ポストの形が懐かしい。
(やけに快晴なのは、帰りに撮影したので・・・^^)

尚、旧国鉄の大社駅(廃駅)も近くに保存されてあるが、この駅とは真逆で純和風な建築様式の駅舎だった。


ここが駅のコンコース。
ステンドグラスや高い吹き抜け、そしてライトがお洒落。
とっても良い雰囲気☆


ここは出雲大社のすぐそばにある竹野屋という旅館。
とても立派で古い歴史のありそうな旅館だが、実は一流シンガー・ソングライターである竹内まりやの実家なのである☆


そして、いよいよ出雲大社へ。

18 July 2010

出雲路を歩く 平田の風景と泊った宿


平田の神社と宿


木綿街道をあとにして、いざ宿へ。
途中、神社があったので立ち寄ってみた。

ここは宇美神社で、「延期式」神名帳に記載されている式内社として、格式のある神社。
いわゆる大社造と言われる、本殿が高床式倉庫のようになっている出雲地方独特の建築方式。
ちなみに江戸期以前は熊野神社だったとの事。

拝殿と、帰宅途中の小学生。
懐かしさを感じる「日常の風景」。
神社は生活の一部となっているのだな、と実感。

灯篭を亀が支えている。
何か意味があるのだろうが、とても可愛らしい☆
ちなみに出雲地方の狛犬は、後ろ足を立たせて「臨戦態勢」のポーズをとっている。(写真は後々)

そして、ここが今回宿泊した旅館。
とっても味がある雰囲気で、料金が10畳一間で1泊約3500円!
平田は、出雲と松江の中間にあるので交通の便が良いし、チープで効率の良い旅行をしたい方にはお薦めです☆

1階の広間。廊下や天井の黒光りした板に歴史を感じる。
ちなみに何故安いかというと、食事サービス等がないから。
その代りに、近所にあるお薦めの寿司屋さんや、居酒屋を紹介してくれて、格安の料金で地のものを食べさせてくれる。

また、朝食の希望があれが、木綿街道沿いにある醤油屋さんに出向いて、特製の焼きおにぎりを安価で食べさせてもらえる。(おばあさんの昔話付きです。醤油屋さんの焼きおにぎりなのだから、美味しいのは当たり前です!)

ここがお部屋。
いわゆる「ザ・旅館!」の佇まい。
畳の匂いが本当に心地良い☆
この旅館の最大のセールスポイントは、気立ての良い可愛い女将さん!
今まで泊った旅館の中で、一番心に安らぎを感じる事が出来た旅館、といっても過言ではない程でした。

女将さんに紹介された食事処に行く途中の空。
天から降りた矢のような飛行機雲の先には、偶然にも出雲大社がある方角。
まるで、翌日の大祭礼(年に一度の祭事)にあわせて、神が高天原から降臨したよう。

次回以降は、いよいよ出雲大社と祭神である大国主命についてです。
(多分長くなってしまうと思う・・・w)

17 July 2010

出雲路を歩く 雲州平田 木綿街道


郷愁の路~平田木綿街道


平田という町に来た理由は単純明快。
出雲旅行の拠点として、宿を取ったから。

しかし、「出雲」や「松江」といった観光都市にはない、何ともいえないノスタルジックな雰囲気を満喫する事が出来た。


そもそも木綿街道と呼ばれる由来は、江戸時代から明治時代にかけて、雲州木綿を取引する市場町として栄えた。この通りには紡屋さんだけでなく、酒屋や生姜糖屋、酒造、そして出雲地方特有のドロっとした刺身醤油を製造している醤油屋さん等々・・・。
歴史を感じるお店が軒を連ねている。


ここは、通りにある來間屋生姜糖本舗。
長閑な感じが堪らない。


平田船川。
通称船川運河と宍道湖とを繋ぐ水上交通の要所であり、松江や大阪方面に結ばれていたらしい。


愛宕山に靡いている鯉幟。
このような風景を眺めていると、時間を忘れてボーっとしてしまう。

この町には、都会とは明らかに時の流れがスローに感じてしまう。
何か特別な重力によって、時空が歪められているからなのかな?


小路でキャッチボールをしている子供達と、のんびり散歩している老人。
そして、子供達は「こんにちは!」とはにかみながら挨拶してくれる。

このような情景に出くわしてしまうと、ふと自身の少年時代を思い出してしまう。

・ 狭い路地で、キャッチボールをしていたら、家の塀や壁にボールが行ってしまい、近所の叔母さんが怒鳴り声を挙げて説教をされてしまった事。
・ 近所のブロック塀を乗り越えて、まるで泥棒みたいに住宅街の屋根づたいに渡っていた事。
・ マンションの屋上にある駆動式換気口がガンダムに出てくるジオン軍の巡洋艦ムサイに搭載されている「コムサイ」に似ているからという理由だけで、マンションの10階以上の屋上によじ登った事。
・ 近所の神社にある○○富士にあった穴を探検してみたら、蜂に刺されてしまって、神主さんに看護してもらった事等々・・・
(懺悔の意味を込めて・・・どんな少年時代だったんだ??)

そんな「好奇心」だけで突っ走っていたピュアな童心の記憶を甦えさせてくれた町、平田。

平田については、次号も続きます・・・。

16 July 2010

出雲への道のり 一畑電車と雲州平田


神の国へ (その前に一畑電車と平田について~1)


イギリス・アイルランド(と巴里)に三回行ったおかげで、マイレージががっつり貯まった。
よって、「一度は行ってみたい地」出雲旅行に繰り出すことにした。

まずは定宿(じょうやど)にした「平田」という町、そして「バタデン」の愛称で親しまれている一畑電車について。

実はマイルが100マイル程足りなかったせいで、
大阪・伊丹空港までしか飛行機で行けず、
大阪から出雲までは、長距離バスにて移動。

大阪から約4時間程かかったが、何とか出雲に到着☆

「バタデン」こと、一畑電車というローカル線に乗り換えて、雲州平田駅へ。
一畑電車は松江~出雲(及び出雲大社)間を結ぶローカル線。
何か昔の南海電車っぽい(!?)

最前列の車窓から。

先に見える小山は、きっと神社の敷地なのだろう。
とーっても、長閑な風景が広がる。

雲州平田駅に到着。
左側のレトロな電車に乗りてぇ~!

そして、ここが平田の街並み。
蔵作りの商店が軒を連ねていて、かなり良い雰囲気☆

運河沿いに軒を連ねる屋敷の数々。
それぞれの家々に船着き場があり、
商業で栄えた面影を残している。


平田については次回も続きます☆