29 September 2010

出雲路を歩く 神魂神社


神魂神社
(かもすじんじゃ)


話を出雲地方に戻します☆

熊野大社~志多備社のあと、一路神魂神社~八重垣神社へ。
この一帯は、出雲国庁の近くで、神魂神社は何故か「出雲風土記」の記載がない。とはいうものの、この社の本殿は国宝に指定されており、以前より興味があったので参拝した。

社域入り口の木製の鳥居。
石畳の坂道に導かれるように御神林内に吸い込まれていく。
己の心が不思議と、「ピーン」と張り詰めるような緊張感を抱かせられる。
「神聖な場所」という雰囲気がムンムンとした社域である。

杉の並木が立ち並ぶ石畳の坂をズンズンと登っていく。
凛とした緊張感と、木々から発せられるマイナスイオンが、ボクを異界へ導いてくれる。

そして程なくして、神社の境内へ。
最後の急坂が、まるで「試練の坂」のように思える。
体に堪えた。

そして、ここが神魂神社の境内。
やはり出雲地方の神社独特の大社造となっている。
歴史の重みを嫌をとなく感じさせる。

ここが国宝に指定されている「本殿」
現在の祭神は伊弉冊大神(イザナミ)を主祭神とし、伊弉諾大神(イザナギ)を配祀するとしているが、これは中世末期ごろからのものである。寛文年間ごろの新嘗会祝詞には、熊野大神・大己貴命などの神名が見える。
社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている。
また、神魂神社は出曇国府に近い古代出雲の中心地であり、出雲国造家の私的斎場だったのでは?とも推測されている。

ここは境内にある貴布祢稲荷両神社(重要文化財・・・1583年建立)
社殿では珍しい二間社流造。お稲荷さんが可愛い☆

そして、ここは荒神社。
荒神様を祀っているのだが、縄を巻き付けるのは蛇神を表すらしい。

古代より「蛇神」は雷神、水神=農業神=稲妻とされていて、現在も水道の口を「蛇口」と呼ぶことからも理解できると思う。
(ボクは脇にある穴に入りたいな・・・という何ともバチ当たりな衝動に駆られたが、何とか我慢^^)

特に出雲地方は「荒神谷遺跡」という名称の通り、「荒神様」信仰が強い。
そこに古代の蛇神信仰が今も生きていると感じるし、究極的には有名な「八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)」神話に行き着くと考える。

その辺については、次回の「日本一ラブリー❤な神社」にて(!?)深く掘り下げたいと思います。

28 September 2010

諏訪の旅 小社御柱祭から御船祭まで


Discover Shinshu


安曇野のらぶりぃ~な道祖神
「水色の詩」


諏訪湖周辺自体は、7~8年程前までは毎月のように仕事で訪れていた。
大手精密機器メーカーの研究所・工場が数多くあり、エンジニア達と頻繁に打ち合わせやプレゼンなどを散々重ねていた。

当然、美味しいお蕎麦屋さん巡りや温泉巡りは、仕事の合間を縫ってちゃっかりやってきたけど、深く「諏訪」の地を知ろうとも思わず、単なる工場の多い地方都市の印象しかなかった。

そんなボクが再び、そして初めて「観光」目的で諏訪を訪れようと思った理由は、このブログにも記してある古事記における「国譲り神話」での素朴な疑問からであった。

「何故古代の世界で、出雲から遥か彼方の諏訪(洲羽)までタケミカヅチの神(大国主神の子供)は逃げたのだろうか?」

そして、諏訪だけでは物足りないと思い、最終日には南アルプスにある安曇野(穂高)まで足を伸ばしてみた。

理由は、海神(わたつみ)系の宗教氏族であり、北九州を中心に栄えていた安曇族が、何故標高2000メートル近くある「安曇野」に移ってきたのか、そして海沿いの町ならまだしも、何故山に囲まれた穂高の地で、「御船祭」なる海事祭が毎年行われているのだろう?

・・・次々と疑問や好奇心が湧き出してきて、
「こりゃ、行ってみよう!」と思ったのが動機です☆

この後は、再び「出雲」について書いていきますが、まずは序編として・・・

折角なので、撮ってきた写真をUPしておきます。

新宿からあずさに乗って、上諏訪駅に到着
町中が色とりどりのリボンで飾られていた。

手長神社(手長足長伝説由来の神社)の御柱祭に遭遇
詳細は後程・・・。

『橋のない神社』として知られる先宮神社の御柱祭。
子供達がまるで宮中の使いのような格好をしてかわゆい^^

諏訪大社春宮の近くにある噂の
「万治の石仏」

諏訪湖の夕暮れ

ヤマト王権に滅ぼされた諏訪地方の土着神である
ミシャクジ神を祀っている貴重な神社

ここはCMなどで有名な御射鹿池(みしゃかいけ)
とても幻想的な池ですた。

安曇野~穂高にある「大王わさび園」内にある自然景観保護地区
黒澤明監督の映画のロケ地にも使われました。

最後に、穂高神社恒例の「御船祭」
残り時間がなく、例祭(本殿御開帳など)まで見て退散(涙)


・・・立派な写真は後日改めて紹介しますので、乞うご期待(!?)
(神社などにもついても、その時に・・・)

22 September 2010

出雲路を歩く 熊野大社と志多備神社のスダジイ


熊野大社と志多備神社の日本一のスダジィ


さて、話を再度出雲へ。
忌部神戸に立ち寄ったあと、名湯玉造温泉を見事に(!?)スルーして、熊野大社に向かうことにした。

熊野大社は、やはり神代から存在していた神社で、火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、平安時代の初期までは出雲大社より格の高い神社として位置づけられていた。

境内前に流れる小川。
現在は橋が架けられているが、古来神社に入る時は己の穢れを除去するために、川を自分で渡って入場していたらしい。
その名残が手水のようである。

木製の鳥居と、手水舎、そして遠くに随神門が見える。

社伝や『神道大辞典』によると、世界文化遺産となっている「熊野古道」で有名な熊野三社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)のうち、那智大社を除いた本宮、速玉両大社は、ともに出雲族の移住により、ここ出雲意宇郡の熊野大社の祭神を紀州に遷祀したものらしい。

現在の祭神は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」とし、素戔嗚尊(スサノオ)の別名であるらしいが、元々の祭神はクマノカムロ(熊野加部呂命)で穀物の豊穣神だった。

「出雲と紀州」

「日本の原郷」ともいえる両地方は、記紀においても深く関連しあっており、遠く離れているにも関わらず、大きな結びつきや関連を裏付けできる事例が多いのは、極めて興味深い事である。

さて、ここが拝殿。
現在の建物は、昭和建築の建物らしいので、少し「いにしえ感」が薄い・・・。
本殿は拝殿の奥にあり、大社造。
神代では、現在の神社裏の「天狗山」の山頂付近にある磐座があって祭祀されていた。
その地は「元宮ヶ成(げんぐなり)」と呼ばれている。

そして本殿の脇に設置されている「舞殿」
もともとは拝殿だったらしい。
常時フル・オープン状態です。

ここは神社裏手にある荒神社と稲荷神社の朱鳥居。
緑多く囲まれていて、本当に神社は心を洗浄してくれます☆

熊野大社前の食堂で昼食を摂ったあと、折角だから熊野大社から数キロ離れた場所にある志多備神社に向かってみることにした。

田畑が広がる平地の先に、木々が生い茂る「神社的」な森の中に志多備社がある。

鳥居をくぐって、緑が茂った小高い丘を登っていくと、志多備神社に到着。
祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊で、出雲風土記に「志多備社」の記載がある古社。
なぜ、ここに訪れたのかというと・・・

「日本一のシイの木」(通称:スダジイ)があるから☆

このスダジイはこの地区(桑並地区)を守る総荒神の宿る御神木で、枝張りは東西約20m、南北約33mで、高さは約20m、太さは周囲約11.4mで、日本一のシイの巨木である。

実際生で見ると、本当に巨大で、木から放つ癒しのエネルギーを感じることができた。
本当は木に抱きつきたかったが、柵に張り巡らされているので、(仕方なく?)根っこを撫でることで我慢した^^

そうそう、すっかり書き忘れたけど、出雲地方の神社の狛犬は前に屈んでいるのが特徴です☆

次回は、社殿が国宝となっている神社です。

17 September 2010

出雲路を歩く 女夫岩遺跡と山の神


女夫岩遺跡(猪石)


どもども、更新が遅れました・・・。
最近バタバタとしていて、色んな事が(良くも悪くも)変化しているので・・・。
まあ、きっと「転換期」なのだと思って、川の流れのように逆らわずに、流れ着いた先で初めて考えていけばよいかな、と(今は)思ってます。

そうそう、ついに島根県が沖縄県を蹴落として、長寿1位になりました^^
おめでとうございます☆

では、出雲の巨石シリーズ第3弾は「女夫岩遺跡」です☆

この遺跡は、高速道路の脇路沿いにあり、さらにこのような島根県お墨付きの目印があったので比較的分かりやすかった(笑)

ここもまた、道路工事中にたまたま発見された遺跡のようで・・・。
島根県は未開拓な地域が多いのだから、きっと「風土記」に記載されていると思わしき場所を掘ってみると、遺構や昔の生活道具、そして祭祀用道具等がザクザクと掘りだせるに違いない。

まるで、遺構やストーンサークル群が泥炭地の下に数多く眠っているとされているアイルランドのよう!

ちなみに詳細はこの看板をご覧くださいませ☆
蛇足ながら、出雲風土記で「猪石」の伝承話をすると・・・

むかしむかし、大国主神が犬を使って追い込んだ猪(しし)の2つの石像が南の山にあったとさ。そこで猪石(ししいし)にちなんで、この地を「しし(宍)道」と呼ぶようになったとさ。また犬もまた石に化したというのだとさ。

-おしまい-

ムムムっ・・・訳が分かりませんが、そんな内容のようです。
(出典:関 和彦著「新・古代出雲史」より)

ところが猪石は、女夫岩の近くにある石宮神社の鳥居両脇にある巨石の事を指し、さらに拝殿後ろの御神体が「犬石」とされているので、女夫岩のことではないとされてきた。
とはいうものの、石宮神社の猪石は、実際は山麓の平地に所在しており、「南の山」という伝承には合致しない。

そこで、再び脚光を浴びたのが、ここ女夫岩なのである。

この岩が鎮座している場所は小高い山の頂にあり、さらに1996年の発掘調査で、多くの祭祀用土器が出土している。

何より岩の色や配置、森の中の静寂とした空間内に漂う不思議なチカラ。
ボクは(実際のところどちらでも良いが・・・)こちらが「猪石」であったのではないか、と思う。

猪は古来「山の神」とされていている。

古事記を例に挙げると、闘神である日本武尊(ヤマトタケル)は、己の力に慢心していたあまり、猪の姿をした山の神に「あとで始末してやるからな」と言い侮辱して怒らせてしまい、猪は天罰として、ヤマトタケルの頭上に大きな雹(ひょう)を降らせて致命傷を与えたという話がある程、畏れられていた。

もっと聖なる山や自然に敬意を払わなければならない、そう強く思った。

・・・ところで、何故ここが「女夫岩」と呼ばれているのだろう?
写真を見せたある友人は「これは男のナニに似ているよね?」と言っていた。。。

ボクはヒトの脳みその形に見えたのだが、名称をよく考えれば「なるほど~★」と思えた。
けれども、、、とてもバチあたりな友人です(爆)

12 September 2010

出雲路を歩く 矢櫃神社の磐座


矢櫃神社へ


木々に囲まれた獣道のような参道を歩いていくと、少しづつ視界が開けていき、大きな岩と苔に覆われた「境内」が見えてきた。

ここが、矢櫃神社の御神体である磐座(いわくら)。

磐座とは、古神道における自然崇拝(アミニズム)のひとつで、巨石には神が宿るという古代人の信仰により恐れ敬われてきた。それは岩に限らず、木や山、川、動物、植物、道具等々・・・万物に魂が宿っているとされていた。

そして、申し訳なさそうに看板がたっていた^^
岩の奥に行ってみたいな、という好奇心が湧いてきたが、さすがにバチが当たると感じて思いとどまった。

磐座の上には、木々が自生しており、長い歴史を感じる。
それにしても、妙に神々しく見えてしまうのは、苦労して登ったからなのか?

森の中に、磐座から見降ろすような位置に広場が存在している。
青々とした苔の色と、差しこんでくる木洩れ日がとても神秘的。
太古の昔、ここで様々な祭祀や古代行事が行われていたのだろう。

ここから直線を引くと、加茂岩倉遺跡がある。
高台にある祭祀・崇拝されていた「神が宿る磐座」と、祭事で使用されたとされている銅鐸の出土地が一直線で結ばれて、さらに先には荒神谷遺跡がある。

偶然と呼ぶには、あまりにも出来過ぎている。

ちなみにこのような手水がしっかりある。
(かなり昔だろうが)数百年位前に設置されたと推測。
侘び寂びを感じてしまうが、妙に可愛らしい。

そして石積みのケアンは、出雲風土記に記されている小石神なのかな?と妄想。

この磐座の伝承神話は少ないが、それが反ってミステリアスな雰囲気を感じて、自由な想像力が働くことができた。


そして今まで見た出雲の社の中で、最も「古代の息吹」を感じる事ができ、且つ「神聖な神域」のように思えてしまった。

10 September 2010

出雲路を歩く 矢櫃神社への道程


矢橿神社への道程(登山編)


加茂岩倉遺跡をぐるっと見学したあと、矢橿神社を目指すためにミネラルウォーターを片手にハイキングすることにした。

入り口は大岩の脇に通っている小道。
車で行けるかな?と思ったが、到底行けそうもないので登山してみることに。
この先、どのような光景に出くわすのか楽しみ♪

程なくして、道幅は狭くなり、やがて竹藪に覆われた「道なき道」を進むことに。一寸先も見る事ができない山の世界。

「山に食べられるんじゃないか、オレ?」

なんて、思っていたら・・・

・・・あの~、これって道なの?

もしや、熊が作った道??
およよ~、熊除けの鈴を持ってくるの忘れた~!!
と、かなりパニックになっていたが、前に進むしかないと心に決め込んで、行き着く先まで前進することにした。

竹が風に揺られて軋む音を聞くと、まるで「もののけ」がぼくの事を見張っているかのよう。
恐怖感をさらに助長されてしまう。

そんな藪で覆われた山道を登っていくと、ようやく普通の獣道になった(笑)
そして、程なく歩いていくと・・・

ようやく、看板と参道を発見(涙)

安堵感で思わず涙ぐみそうになりました。
それにしても、竹林が何とも美しい!

竹林の中に取り残された苔に覆われたこぶだらけの木。
こぶは人間でいうところの「かさぶた」のようなもので、自分で傷や菌などから保護しているらしい。
木にも生命は宿っている。

そして、進んできた道を振り返ってみると、見事なまでに美しい森林の世界が広がっていた。

「こりゃ、すごいや・・・」

この景色は、さすがに未開の地でなければ、到底見る事は出来ない。

木の間から僅かにこぼれてくる陽光が、竹や木の緑、そして大気を幻想的に照らしていている。
自然が作った芸術は、人知を遥かに凌ぐ程の「美」と「力」に満ち溢れていた。

もうすぐ神社だ、頑張って歩こう!