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Showing posts from November, 2010

上州上武紅葉の旅 金鑚神社 - 道祖神と神流川

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上州~上武紅葉の旅
武蔵國二宮 金鑚神社(かなさなじんじゃ) 
「道祖神達と神社周辺」

山頂の岩の上に腰かけて、
ぼんやりと四方の景色を眺めていた。

上州から吹き付けてくる風はヒンヤリとしていて、
日光で火照った身体を冷やしてくれる。

時間を忘れてただ無心になれる時なんてなかなかない。
とても貴重な時間であった。

そして下山。
急坂なので少し辛いが、のんびり歩く事にした。
すると数多くの俳句碑のなかに道祖神が・・・! 例えばこんなのや・・・

こんなの・・・

そして、こんなもの。
これが岐の神、賽の神といわれている道祖神の石像。
なぜ男女むつまじい姿の像になっているかは、
定かではないがボクなりの暴論(?)がある。

それは、道祖神だらけの町~長野安曇野の号にて・・・。 そして苔に覆われた親子の蛙。
この石像を探せる参拝客はなかなかいないだろう。

石にへばりついた苔が、時の経過を感じさせてしまう。

そして上を見上げれば木洩れ日の光が
優しくボクに当ててくれている。

緑のグラデュエーションも鮮やか。

心からこの神社を参拝してみて良かった!

そして神社を後にした後、路線バスの待ち時間を利用して、
神流川岸まで歩いてみることに。

神流川の先には「心霊スポット」として有名な神流湖(下久保ダム)
そして源流には日本航空墜落事故地点である御巣鷹山がある・・・。 神流川の水は、少し白濁としていて、
とても不思議な雰囲気を醸し出している。

古代は、ここから多くの砂鉄が採取されていたとのこと。
何せ「神流の川」なんて名前なのだから・・・。

バス停の近くの長閑な風景
多分梅だよね・・・。

とても可愛らしくて、心が和みました☆

野原脇に建っていた廃屋。
無償で頂けるのであれば、改築して住みたい
(本庄早稲田から新幹線で東京で数十分だし^^)
と思わず妄想してしまいました。
次回は本庄金鑚神社とお祭りです♪

上州上武紅葉の旅 金鑚神社 - 奥宮ご参拝

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上州~上武紅葉の旅
武蔵國二宮 金鑚神社(かなさなじんじゃ) 
「奥宮ご参拝」

前号で記した石仏が並ぶ小さな広場のような場所から獣道を登って数分。
ようやく奥宮に到着!

岩の上にある石が奥宮頂上。
こんなに天気が良いにも関わらず、誰もいない!
御嶽山を独り占め!!状態です☆

ここが金鑚神社奥宮の石祠。
恐らく近年に造り直したのであろう。

山頂から見た神社及び周辺の集落。
恐るべし、一眼レフの望遠レンズ(笑)

(多分)赤城山方面。
長ーい裾野に、前橋・高崎及び工場地帯を一望できる。

こちらは、恐らく鬼石方面だと思う・・・(汗)
西から雲が広がり始めてきた・・・。

そして、この山が金鑚神社の神奈備(御神山)である御室ヶ嶽。

西暦100年(2世紀)頃、ヤマトタケルが東国遠征時に、
倭国姫より預った火打石(火鑽金)を御室ヶ嶽に奉納し、
天照大神、須佐之命を祀ったとされる歴史的に由緒ある山。

尚、この火打石の話は「記紀」にも出てきて、
国造(いわゆる敵)がヤマトタケルに罠をかける為、
野原にヤマトタケルを独りで向かわせて、国造は火を放ち
ヤマトタケルを焼き殺そうとした。

その際、倭国姫が渡した火打石を使って、向火をあげて
火の勢いを止めた後、国造を滅亡させた。

この事から、この地を焼遣(やきづ)といい、
古事記では相武(さがむ)国の話とされているが、
日本書紀では駿河国焼津のこととしている。

この地は古代は鉄や銅の産地として名を馳せて、中世には金龍が現れて、龍の通った道筋に用水路が作られ水田で土地が潤うようになって(金龍伝説)、明治以降は養蚕業の神が宿る神社として敬われて、官幣中社となるまでに至った。

このような神的な雰囲気のある神社が埼玉県にあったなんて初めて知ったし、より上州~秩父・上武地方の古代を(出雲族や物部一族・渡来人などの進出なども含めて)調べてみようと、心から思った。


次回は・・・ラブリィ☆な石像達と、神社周辺についてです。

上州上武紅葉の旅 金鑚神社 - 鏡岩と弁慶穴

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上州~上武紅葉の旅
武蔵國二宮 金鑚神社(かなさなじんじゃ) 
「奥宮(御嶽山)へGo!」

御嶽山への山道の入る前に何か味わい深い石祠。
緑がかった苔の色が石とうまく調和していて美しい。

そして颯爽と奥宮へ。
木々に囲まれて、マイナスイオン全開で、心が和む☆

・・・と、思ったら道の途中に木が倒れていた。
「人生山あり、障害物あり」ですね。

この山道には、数多くの俳句の碑があったり、
道祖神などが数多く並んでいて、なかなかおもしろい。

ちなみに牛若丸の石像もあった^^
金鑚神社は源義家とも関係があり、
奥州「前九年の役」で出陣の際に、
この地に戦勝祈願をして「義家橋」を架けたらしい。

急な登り坂をずーっと登ったところに、
『鏡岩』という国特別天然記念物の巨岩がある。
御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
(案内板より抜粋)

岩づたいに歩く(というよりしがみつく)と、念願の(!?)弁慶穴を発見。
・・・一気に興奮が冷めてしまいました(苦笑)
しかし、行こうと決した場所に到達できたのは、
やはり嬉しいものだ。

せっかくだから、中に入ってみた。
周りの眺望は残念ながら木々に遮られてしまってよく見えなかったが、
まあ弁慶のように腰掛けられたので良かった(??)


次回はいよいよ登頂成功!の巻です☆

上州上武紅葉の旅 武蔵国二宮 金鑚神社 本殿がない神社

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上州~上武紅葉の旅
武蔵國二宮 金鑚神社(かなさなじんじゃ) 
高崎で泊まった安宿で、翌日の予定を考えていた。
武蔵國二宮である金鑚神社に行って、そのあとは、八高線沿線の神社巡りでもしようかと。

そして、高崎から本庄へ移動して、路線バスで金鑚神社へ向かったが・・・。

さすがに上り坂を10分以上歩く&歩道のない国道を歩くのは怖かった。
「この方向で大丈夫なのか?」と、自問自答していたら大鳥居にぶち当たった。

ここが、金鑚神社の入り口にある大鳥居。
「到着して良かった」という安堵感で胸一杯☆

『武蔵二之宮』の標識が何か威厳を感じさせる。
まずは、埼玉県には殆ど現存していないという中世建立の「多宝塔」を目指し、案内標識を頼りに山道を歩いてみた。

ここは二の鳥居。
時間が早い(恐らく10時より前)だったので、殆ど誰もいない☆
紅葉もほんのりと色づき始めて、清々しい気分になった。

案内コースの「山道ルート」を歩いてみると、立派な祠を発見。
ここは蚕影山神社という地元の養蚕農家に信仰されていた神社だったらしい。

富岡を中心として、本庄~神川地区は、江戸末期~明治時代まで養蚕業で栄えていたらしく、明治時代初期では外貨獲得の中心だったらしい。
ヨーロッパでは「Japanese Silk」と命名されていた程、上質の繭から絹糸が作られていたらしい。


そんな神社を越えて山道を登っていくと、お目当ての「多宝塔」が鎮座していた。

天文三年(1534年)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。
この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築である とともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。 塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、 国指定の重要文化財となっているとの事。


多宝塔をあとにして、本殿を目指すべく向かうと、義経橋の先にある鳥居の向こうに社殿が待ち構えていた。
『太陽のスポットライト』が効果的に照らしているせいか、とても神々しく見えてしまう。


三の鳥居をくぐった先には神楽殿がひっそりと鎮座されていた。
このような神社が埼玉県にもあった事を知ってかなり感動!
やはり自ら足を運んで『体験』しないと、発見した歓びが分からない。

そして拝殿に到着。
金鑚神社は旧官幣中社であり、武蔵二宮と称される神社。

上州上武紅葉の旅 上野国一之宮 貫前神社 「下り参りの一之宮」

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上州~上武紅葉の旅
一之宮貫前神社 「下り参りの一之宮」



『一之宮貫前神社』は群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する古社で、創建は安閑天皇の元年(531年)。
御祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)と姫大神(ひめおおかみ)の二神を祀る。
尚、姫大神については一説によると、綾女庄(当地の古い呼称)での養蚕機織の神と云われている。

本神社では、御戸開祭や鹿占神事など古からの祭儀が数多く残っている。

さてさて、上信電鉄で高崎駅から約1時間強。
最寄駅である上州一ノ宮駅に到着。

ホームにある御手製の駅案内を見ると、 ほのぼのとした気分がした。

神社へ向かう道を進むと、派手な酒屋さんを発見。
『8本一億出た』のボードが店の所狭しと置いてあった。

歩く事約10分。
ようやく貫前神社の社号標を発見。

ここから急坂が続く。
上の写真で、ようやく中間地点。

「疲れただぁ~><」

と、思いながら後ろを振り返ってみると、
何とも言えない美しい並木道が広がっていた。

長い大鳥居までの階段を登っていくと・・・
立派な総門(惣門)が姿を現した。
さて、総門の右に見えるのが「蛙の木」と呼ばれている木。
太平洋戦争末期、境内の銃ボクに蛙の形をした茸(サルノコシカケ)が出たのを、「勝ち蛙」と呼び多くの参拝者があり、現在は「無事蛙」と呼ばれ交通安全のお守りとなっている。

総門をくぐると、下りの階段が参道となっており、社殿を見下ろしながらの参拝となる珍しい形式で、「下り参りの宮」と言われている。(日本で3社のみという)
今までの神社の場合、門をくぐって社殿を見上げるというのが当たり前だったが、上から見下ろす社殿はなかなか新鮮。

険しい参道を登った甲斐があった^^

左手には手水舎、中央は楼門、その奥に拝殿・本殿がある。
これらの社殿は寛永12年(1635年)、徳川家光による再建で、徳川綱吉が大規模な修理をして現在に至る。

下り参道の途中左手にあるのが、月讀社。
社殿は、寛永十二年以前の本社拝殿だったらしい。
明治時代までは「牛王堂」として祀られてきた。

御由緒として、御創建は社伝によると、碓氷群郡東横野村鷺宮(さぎのみや:現在の安中市)に物部姓磯部氏が、氏神である経津主神を祀り、その鷺宮の南方鏑川岸に至り、蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが安閑天皇の元年(531年)と伝えられている。 

天武天皇の時代(674年)に初の奉幣(…