29 April 2011

キノミヤを追いかけて-12 八幡宮来宮神社


キノミヤを追いかけて

12 八幡宮来宮神社

(静岡県伊東市八幡野1御鎮座)


京都・奈良から一気に伊豆へー☆
さて翌朝、昨日の天気が嘘のように大粒の雨が降っていた。
旅館の朝食を摂り、いざ南へ。

伊豆高原駅で下車して、八幡宮来宮神社へ。
坂道を登ること約20分強で到着。

社頭

山の麓にある神社で神々しい社頭の佇まい。
鳥居は木造銅板覆の作り。
由緒記によると、「昭和五十一年九月石造鳥居を建立したところ、五十三年一月伊豆大島近海地震にて倒壊したので同年九月木造銅板覆によって再建した」との事。

社門
社門の背後には鬱蒼とした森が広がっている。
思わず気持ちが高揚してしまう。

参道

社務所を通過すると、何ともいえない石畳の参道。
晴れていたら、木漏れ日が石畳を照らして美しかったと思うが、霧がかった雰囲気も美しく神秘的。

石畳みの参道には新しい石燈籠もあるが、写真のような古い燈籠も置かれていた。
まるでヒトと自然と長い年月をかけて創りだされた、芸術品のよう。

石燈籠に寄りかかるように茂っている草はリュウビンタイという大型シダ植物。

ここ八幡宮来宮神社社叢は国指定天然記念物に指定されており、ウラジロガシ、アラカシ、イチイガシ、スダジイ、タブノキなどの高木にカギカズラなどのツル植物が絡みつき、樹下にはシダ類が群生する典型的な照葉樹林の状態が保たれている。

さらに大型シダ植物の北限自生地であり、ヒトの活動の影響を受けていない、自然の状態が保たれている樹林として、昭和9年8月9日に指定された。

 そして社殿へ。

鬱蒼とした森の中では気付かなかったが、雨足がさらに強まっている。
社殿脇に立っているスギの巨木・・・胴周りはいったい何メートルなのだろう??

社殿

大粒の雨が降り注いできており、写真にも雨が写りこんでしまっていた^^;
真冬の大雨だというのに不思議と心地よい。木々が雨水を気分よく吸い込んで、マイナスイオンを放出しているせいなのか、それともただ気分が高揚しているからなのか?

そんなところで御由緒を・・・

祭神は誉田別命(応神天皇)と、伊波久良和気命(イワクラワケノミコト)の二柱

社殿は本殿は寛政七年(1795)、拝殿が文政七年(1824)の建築のもので、平成9・10年の大修理された静岡県指定有形文化財。

本殿は二間社流造で右殿に八幡宮、左殿に来宮が祀られている。
(以上、案内看板から要約)

「八幡宮来宮神社 創立一千二百年 由緒記」

比の地に鎮ります八幡宮来宮神社は、その創立を悠久の昔に発し、郷黨衆庶の尊崇篤く、神威赫々として今日に到った古社である。

八幡宮は誉田別命(応神天皇)を祀る、神護景雲三年大宰の廟官阿曽麻呂が一国一社と定めて正八幡を勧請した際の伊豆の代表八幡宮であって、明治六年郷社に列格された。

来宮神社は伊波久良和気命を祀り、古来、来宮大明神を崇められた延喜式神名帳所載の神社である。
もとは海岸の堂の窟に祀られていたが、後に八幡宮神域に奉遷され、明治九年郷社に列せられた。
元来両社は別殿であったが延暦年間本殿再建の際に一殿両扉の現在の姿になったと言い傳えられている。

従って当社は一殿にして二社である。
このたび当神社御鎮座千二百年大祭を斎行するに当り、記念事業の一として石造大鳥居一基を奉献。
いささかその由来を記して崇敬の誠をささげ、この地平安と住民の弥栄を祈願するものである。
(以上、石碑より)

鬱蒼とした木々、石が作りだしたここ伊豆高原の「キノミヤ」は、深く心に刻み込まれること必至な程、感動的に美しかった。



次回は河津へ☆

27 April 2011

キノミヤを追いかけて-11 葛見神社


キノミヤを追いかけて

11 葛見神社

(静岡県伊東市馬場町1-16-40御鎮座)


宇佐美駅からひと駅で温泉地、伊東駅へ。
ここはさすが全国有数の温泉街のひとつ。
いかにも高そうな高級旅館が立ち並んでいた。

伊東駅から徒歩20分強で本日最終参拝社である「葛見神社」へ。

社頭


実はこの神社。
宿泊する旅館からそう遠くは離れていないので、翌日参拝する予定にしていたが、翌日は大荒れな天候になるという予報を聞き、疲れた身体にムチを打って参拝することにした。
社殿


葛見神社は『伊東家の守護神』として有名で、「平安末期の源平合戦のキーパーソン」、赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである「曾我兄弟の仇討ち」の主人公の祖父であった伊豆國の武将、伊東祐親の墓が神社裏手にあったことなど、参拝時にはすっかり忘れていた・・・。
扁額


御由緒

祭神 葛見神、倉稲魂命 (稲荷神) 大山衹命

全国屈指の老樟が千古の緑を湛えて神域に聳える当葛見神社は、今から凡そ千数十年昔の延長五年に制定された延喜式神名帳所載の久豆彌神社に当てられる古社であります。

往古、伊豆の東北部を葛見の庄と称し、当神社は此の庄名を負い、約九百年前昔、葛見の庄の初代地頭工藤祐高公(伊東家次・・・伊東家の祖)が守護神として社殿を造営し、京都伏見稲荷神を勧請合祀してから、伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました。

このことは元禄十年(1697)の棟札に、「葛実大社岡村稲荷者藤原朝臣鎌足十六代後胤工藤大夫祐高之修造也」と記されていたり、慶長十五年(1610)の棟札に「藤原氏伊東正世公伊東郷住人鈴木近守仰而焼失後造立」ということからも判明いたします。
巨石(上には木の皮が置かれていた)


明治迄は代々の領主から供米が献じられ、又、岡明神と称えて地方民の氏神として信仰されてきました。
このような由緒により、明治六年四月新制度により、旧伊東、小室ムラの唯一の郷社に列格されました。近年も伊東在住の元首相、故若槻礼次郎氏の崇敬を受け、老樟を讃える石碑を寄進しました。
そして、この大木が葛見神社の由来になった国天然記念物の『大樟』

(大樟)
神木の巨樟は樹間二十メートル、樹齢千数百年といわれ、本多静六林学博士の著書「大日本老樹名誌」では、全国第二の老樟とされ、昭和八年二月、文部大臣から国天然記念物に指定されました。

老樟を讃へる勺(たたえ)水 
霊怪神龍に似たり  晴天雲南起す
誰が図らむ稜谷の変  一木千古を支ふ

(日下寛識)作五言絶句

(御由緒より社頭掲示板より転記・・・誤りあったらすいません)

巨木から発せられるパワーにもびっくりしたが、何よりもびっくりしたのが、お供え物のお酒をちゃっかり晩酌している猫^^

三脚があれば、もっと良い写真が撮れたけど・・・。

ちなみに高露出なので明るく見えますが、実際は樟の木と夕暮れに参拝した為、かなり暗い状態ですた・・・。


次回は・・・嵐の中での参拝記です☆

26 April 2011

キノミヤを追いかけて-10 比波預天神社と日本一のホルトの大木


キノミヤを追いかけて

10 比波預天神社

(伊東市宇佐美432御鎮座)
網代市街地へ向かう坂道。
なんとも風情ある景色です☆
そんな網代から次に向かうのは宇佐美にある比波預天神社。
JR宇佐美駅。
とてーも、のどかな駅舎。
途中下車した駅が観光地だらけだったので、やっと「旅」をしている実感が湧いた。

これは刻印石という切石。
伊予国(愛媛県)松山城主、松平隠岐守定之の刻印、もしくは加賀前田家の刻印だったという。

宇佐美は伊豆東海岸きっての石丁馬だったらしく、現在でも宇佐美の山や海岸には、運びきれなかった刻印付きの石が残っているらしい。

社頭

さてさて市街地から丘を登ると、比波預(ひはよ)天神社が鎮座されている。

御祭神
加理波夜須多祁比波預命、(配祀)菅原道真

宇佐美最古の神社で、御祭神はカリハヤスタケヒハヨノ命と申し上げます。
天神社が合わせて祭られていますので、地元では「お天神様」と呼ばれ親しまれております。
また、境内に県天然記念物のホルトの木があります。
(看板より転記)
社殿

尚、延喜式神名帳での加理波夜須多祁比波預命神社に比定されている。
ホルトの木

そしてこの大樹が比波預天神ホルトの木。
木一本で、境内の空が隠れてしまう程、広く枝を伸ばしている。


ホルトの木は、南関東沿岸部以南の本州から台湾・中国南部・インドシナ半島にわたって広く分布する高木で、常緑樹であるが、いつも緑葉のなかに紅葉した古い葉をまじえているので人目をひきつける。
そのためか、神聖な木とみなされ、神社の境内に大木が多い。
この木は、県下でも有数の巨木であり根の部分が露出している(根上り)のが珍しい。

根まわり 10m
目通り 6m90cm
樹高 約18m
(以上、案内掲示板より)

*ちなみにホルトの木としては日本一の巨木らしい。

名前の由来として、ホルトとはポルトガルのことを意味するという説(実際はポルトガル原産ではない)という説と江戸時代に薬用に使われていたホルト油(オリーブ油のこと、ポルトガル油ともいう)の採れる木と誤解されたためという説などがある。

どちらにせよ誤解から名付けられたと考えられている。

河津桜の奥にホルトの巨木。
何とも美しい風景☆
心が和ーむ^^


次回は、伊東温泉へ♪

25 April 2011

キノミヤを追いかけて-9 網代の町並みと阿治古神社


キノミヤを追いかけて
9 網代の町並みと阿治古神社

(静岡県熱海市網代172御鎮座)

折角網代に来たので、網代港と街中にある阿治古神社を参拝しようと思い、和田木神社をあとに。

ここは網代魚市場を走る通称『干物街道』。
写真だと静かな道路に見えますが、実際は車の往来が激しいのでご注意を☆

歩道沿いにお魚さん達は天日干しされている☆

干物屋さんの許可を得て撮影しました。

まずは・・・
イカー!
そして・・・
アジー!!(…じゃない)

干す前の状態でいいから焼いて喰わせろ~^^と心の中で思った。

漁師のおっさんもとい、おじさまと談笑して天候の事を聞いてみたが、『多分明日は大荒れになるどー!』と仰ってました。

ここが網代漁港。
とてものーんびりとしていて気持ち良い☆

『海なし県』に住んでいるせいか、たまに海の景色を見ると、とても興奮してしまう習性があります(笑)

そして網代魚市場。
午前中はセリで賑やかな祭りの様相を呈していたと思うが、午後は静まり返っていた。

ここで勤務しているオッサンと猫が壁に寄りかかりながら、お昼寝していた。

長閑な平日の午後のひととき。
スローな時間を過ごすって大切ですよね^^

阿治古神社社頭

そしてこちらが阿治古神社。
網代の漁民が住む町内に鎮座されている。
尚、この神社にもいわゆる御由緒がない・・・ので、調べてみた。

社殿

阿治古神社

静岡県熱海市網代172鎮座

祭神:天照大神 合祀 手力男命、栲幡千千姫命、譽田和氣命、大己貴命、少彦名命
元下多賀村の来宮神社を合祀しているが、祭神に五十猛命がない。

来宮神社は往古、下多賀中野中村の地に鎮座していたが、寛文十一年(1671)の「亥の満水」といわれる洪水で流され、網代宮崎の地(現在のお浜)に流れ着いたことから網代で祀ることにした、と伝承されている。(網代郷土史436)

本殿

例大祭は7月19日から21日までの3日間開催され、御神船両宮丸は本祭りの20日御神幸行列にのみ引き回される。

御神船両宮丸の名前の由来は、阿治古神社境内に二つの宮があったことに由来している。
現在の阿治古神社と相殿・来宮神社である。来宮神社は現在の網代公民館の地にあったとされる。
両宮丸をしまう御船倉は公民館前にある。

ちなみに例大祭の規模はとても大きく、町を挙げて開催される。
よって、網代地区の氏神様なのであろう。

とても長閑ーな、網代の風景。
しかし、西から何やら重たーい雲が流れはじめてきた・・・。


次回は・・・

24 April 2011

キノミヤを追いかけて-8 和田木神社と謎の磐船


キノミヤを追いかけて

8 和田木神社

(静岡県熱海市下多賀61御鎮座)


伊豆箱根鉄道から三島に戻り、東海道線経由で伊豆急行へ。
何か忘れているかな・・・と思いつつ、降りた駅は網代。

地図を見る限り、徒歩10分位かな?と、思いきや・・・

『ハアハア、ゼエゼエ><』


急坂で疲れた・・・。

社頭

そんなこんなでようやく和田木神社へ到着。
・・・と思ったら境内は階段の遙か彼方・・・(涙)

湯賽神社

こちらの神社は参道途中にあった境内社~湯賽神社。
パシャるのが限界だった。。。
さらに坂を登っていくと・・・

和田木神社境内

ようやく高台を登り詰めた~☆
さすがに身体に堪えました。

社殿

当然御祭神は大山祇命で山の神様。
延喜式内帳の式内社、足代阿治古神社「あだあじこ」の論社とされている。
例大祭は10月23・24日に開催されるということ。

社殿は新しく築かれたのか、とてもきれい。
また境内もゴミひとつ落ちていなく、心地よい。

参道の階段

上から見下ろすと、山の中腹まで一気に登ったのがよく分かる。


さらに御神木であった藤の木株が保存されていた。
瓶ビールのケースと比較すると、とんでもない巨木だったことが窺える。

宝物殿のような建物の前には、渡来人チックな風貌の道祖神?像が二体立っておられた。
うーん、とても不思議な神社だ・・・。


裏に回って本殿をパシャリ。
すると本殿の先に岩の塊が・・・なんだろう?


この岩の塊の中には、波で削られたような形状をした楕円形の大きな石が収められている。
(恐れ多くて撮影できなかった・・・)
きっと往古の時代、ある村民が海辺で拾ったこの石に御神体的なものを感じて、祀ったのではないか?そして外の岩は石祠なのだろうか、それとも磐船なのだろうか?

・・・と想像。

和田木の大藤

そして境内にひときわ目立つ大木、通称和田木の大藤が倒れないように必死で根を張って立っている。
山からやってくる吹き下しの東風のせいなのか定かでないが、斜めに幹を伸ばしている。

網代漁港

木々に囲まれた境内だが、アングルを変えれば網代漁港と伊豆半島が一望できるポイントがある。
高台に登ったご褒美。
しばし海の景色をぼんやりと眺めていた。


次回は網代漁港と港町について☆

23 April 2011

キノミヤを追いかけて-7 廣瀬神社

キノミヤを追いかけて
7 廣瀬神社

(静岡県伊豆の国市田京1-1御鎮座)

三嶋大社を参拝後、次に向かうは廣瀬神社。
田方郡一の神社であるそうな。
なお、伊豆箱根鉄道は初めての利用。

ちなみに、三島市内にはこのような古い建造物があっておもしろかったです。

田京駅を降りて、徒歩10分程で廣瀬神社に到着。
街道沿いには新しい一の鳥居が建てられて、その先には竹と紙垂で作られた鳥居が作られていた。
とても趣きのある雰囲気の社前。

狩野川の支流から引かれた川、そして神橋を渡った先には廣瀬神社の境内。

普通の神社だと大抵馬舎に入っている御神馬。
お外に出ていて何とも可愛らしい♪
だけど、よく見ると足の箇所がしっかりと修繕されている。



~御由緒~

式内社であり、神階帳重従一位 広瀬の明神という。
祭神は溝樴姫命(みぞくいひめ)外二神。見目神社、龍爪神社など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方一の大社である。

社伝によれば、三嶋大社はその昔下田の白浜からこの地に移り、後に三島に遷祀したという。
天正十八年(1591)豊臣秀吉による韮山城(北条氏)攻めの際、兵火に遭い、社殿ことごとく焼失している。慶長元年(1596)に再建、江戸時代には深沢明神として崇敬された。明治二十八年より広瀬と称える。

 左:ソテツの木 右:御神木の楠

境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。また、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラなど注目すべきものがある。
(神社内案内板より)

そして、木の根元には事代主神=エビス様(?)の木像が置かれていた。
とても可愛らしい♪

狩野川の先見える葛城山。
この辺にもヤマトの影響が色濃く残っているように思える。


次回は再び東伊豆を巡ります。