11 June 2012

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社

Location 日本, 愛知県一宮市今伊勢町本神戸宮山1476−1
伊勢への道
『今伊勢』 中嶋宮~酒見神社
(愛知県一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476)

海部俊樹元首相寄贈の石鳥居
酒見神社は一宮市今伊勢町に鎮座する社で、真清田神社から徒歩15分程離れた場所にある。「元伊勢」と呼ばれる社で、かつ清酒醸造元祖の社とも言われている。

「元伊勢」とは、現在の伊勢の皇大神宮に祀られる以前に、大和、丹波、伊賀、尾張などを巡って一時的に祀られていたとされている神社のこと。

酒見神社社殿
「元伊勢」については、日本書紀で次のように記されている。

“それまで天照大神・倭大国魂神二神を天皇の御殿の中に並べて祀っていたが、崇神天皇五年以降、国内には疫病や飢饉が発生し、反逆する輩まで現れました。
崇神天皇は、『これは両神のお力があまりに強いからだ』と畏れ、両神を共に並べることに対して、不安を覚えました。
そこで天照大神を崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀り、その地に堅固な神籬を造りました。

その後、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、現在の伊勢に遷座しましたとさ。”
(日本書紀・崇神天皇の巻及び追記より)

当Blog⇒大和神社をご参照ください。

拝殿
長い参道の先には、とても厳かな雰囲気を持つ社殿群が鎮座している。
この神社の社殿は北北東向きになっているが、これは参拝する先に伊勢神宮(皇大神宮)があることに由来している。

社地には目久井の車塚古墳があり、寛政元年に半円方形帯変形四獣鏡が出土され、さらに明治の始めには、楠の大木をくり貫いた船が発掘されたらしい。倭姫命世記によれば、倭姫命等が鎮座地に来られる際に使用された御船は美濃の国造が一艘を、美濃の県主が二艘の御船を献った、とあることから、倭姫命が使用された船ではないか?としている。

拝殿から社務所を眺める
さらに、清酒醸造元祖の社としても有名らしく、大邑刀自、小邑刀自二人の酒造師が皇大神宮から持って来られた大酒甕二個は、今も本殿裏の両側地下1メートルの処に埋められているという。甕を埋めて醸造する方法は「支那式醸造法」と呼ばれる中国の清酒醸造法とのこと。

当神社は『吹抜の宮』と呼ばれ、土地の者は『宮山』と呼び、その後当神社に一時この地方で醸造された酒の検査所があったことから、酒見神社と尊称せられたとのこと。
(酒見神社案内記より抜粋)

中嶋宮 酒見神社
(倭姫命十五番目御聖跡)
祭神
天照皇大御神、倭姫命、酒弥豆男命、酒弥豆女命
末社
倭姫命社 八幡社 稗社 水神社 熊野社 秋葉社 天王社

本殿
由緒
第十一代垂仁天皇の王女倭姫命が伊勢の地を求めて旅される途中、垂仁天皇十四年(646)六月一日当村に渡来された際、村民の奉仕により社が建設せられたのが酒見神社の始めであり、出来上がった社は総丸柱で草屋根にて高く後世に吹抜きの宮と云います。
現在に伝えるのが本殿裏に祀る倭姫神社であります。

第五十五代文徳天皇斎衛三年九月(1514)当村は上質の米が取れる事から大邑刀自、小邑刀自二人の酒造師が皇大神宮より大酒甕二個を携帯され、当宮山に遣わされ伊勢の翌年の祭に供える酒を造らしめ給うた、と文徳録にあります。
当時どぶ酒等は各地で醸造されていましたが、清酒の醸造は酒見が最初とあり、酒見神社は聖書醸造の元祖の神社という事になります。

皇大神宮遥拝所(倭姫命社)
第七十一代後三条天王延久元年(1729)伊勢内宮より式典等に明るき神宮神主の伊勢守吉明に神宮神主と兼任の体にて二百石を与え。従来の本神戸、新神戸、新加神戸に馬寄を合わせて今伊勢の庄の名を賜り、以来九百年間、平安時代より明治時代を通じて代々世襲をもって尾張今伊勢の庄本神戸神主たりと定められたのです。
(以上、境内御由緒より)

皇大神宮遥拝所の先に倭姫命社があり、石の祠の背面がくり抜いた形になっており、「吹抜の宮」の名残を留めている。尚、遥拝所の隣には栄水の井(さかみのいど)という清泉があり、泉の水で白酒黒酒を造り皇大神宮へ進貢していた。

石槽
そして、末社群の脇にひっそりと鎮座しているのは石槽といわれる二体の石。
酒を絞る台として使用された石らしく、酒造師が二個の酒甕を持参した際に併せて持ってきたとされる御石という。
石槽
石槽(いわふね)
上古、皇大神宮に進貢の神酒を醸したる器なり。
尚、本殿裏北中に白酒黒酒に用いたる大斎甕二個現存す。

歴史を感じさせる境内、そして趣き深い社殿は、正にボクの好きなお社。
こういうお社に巡りあえるのも、ひとつの楽しみなのであります。

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