27 February 2012

京都の社 橘氏の社 梅宮大社

Location 梅宮大社
京都の社
梅宮大社
(京都府京都市右京区梅津フケノ川町30鎮座)

松尾大社から桂川を渡って四条通を歩いていくと、梅宮大社が鎮座している。
『延喜式神名帳』で名神大社に列し、仁明天皇の外戚の氏神として二十二社にも列した由緒ある古社で、藤原氏、源氏、平氏と並び、平安時代の四大公家といわれている橘氏の氏神を祀るお社でもある。

隨神門
四条通から路地を曲がると、白色の石鳥居と「官幣中社 梅宮神社」の石碑があり、隨神門まで一本の参道となっていたが、残念ながら工事中で、多くの工事車両が路上駐車していたため、掲載しなかった。
ちなみに隨神門の二層部には多くの酒樽がお供えされていた。

神門から境内を眺める。
隨神門をはじめとする拝殿・本殿など境内の建築物の多くは元禄十三年(1700)再建のもの。

因みに境内の造りや、同じ酒造りの神(大山咋神)を祀っていることから、桂川の対岸に鎮座している松尾大社と類似点が多いように見受けられる。尚、記録によると、本神社の神官は代々秦一族が世襲していたらしいから、強い関係があったのであろう。

社殿
梅宮大社 (うめのみやたいしゃ)

御祭神
本座四座
酒解神(大山祇神)、酒解子神(木花開耶姫命)
大若子神(瓊瓊杵尊)、小若子神(彦火火出見尊)

相殿四座
嵯峨天皇、仁明天皇、
橘清友公、橘嘉智子(壇林)皇后

拝殿
御由緒
当社は今から凡そ千三百年前、奈良時代の政治家であった橘諸兄の母・縣犬養橘三千代が、山城国綴喜郡井出寺の中に橘氏一門の氏神として現在の綴喜郡井手町付近に創建したのが始まりといわれる。

平安時代の始め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(壇林皇后)によって現在の地に移された。
酒解神(大山祇神)、大若子神(瓊瓊杵尊)、小若子神(彦火火出見尊)、酒解子神(木花開耶姫命)の四座を祭神とする。


酒解神の御子・酒解子神は大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒を造り、これを飲んだという神話から、古くから安産と造酒の神として有名である。
また、皇子に恵まれなかった壇林皇后が、本殿の横に鎮座する「またげ石」をまたいで子供を授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、その下の白砂は安産のお守りとされている。

その後、延喜式の明神大社二十二社の中に列せられ、明治四年官幣中社に列せられた。

拝殿
酒解神(大山祇神)・大若子神(瓊瓊杵尊)・小若子神(彦火火出見尊)・酒解子神(木花開耶姫命)の四座とともに、相殿四座がおまつられになりましたのは、文徳天皇の仁寿年中(851~854)で、千百年ばかり前のことです。

代々橘氏の長者がお仕えしていましたが、県犬養三千代夫人が橘氏の祖であると共に、藤原不比等公の夫人になった御関係から、藤原氏の摂政又は関白の家筋の方が橘氏長者を代行され、梅宮神社には、藤原氏の氏神の春日神社と同様の崇敬を捧げられました。

境内
このように橘氏は橘・藤原の二氏が長者となりましたので、特に此の氏(橘氏)に限って長者の事を是定(ゼジョウ)と呼ばれていました。
もって橘氏の家格の尊さと梅宮大社の神威の偉大さがうかがわれます。

現在、本殿、拝殿、廻廊、中門などがあるが、これらは元禄十三年(1700)の再建によるものである。 庭園は、杜若(かきつばた)や花菖蒲の名所として知られるほか、梅、八重桜、椿、つつじ、あじさいが美しい。
(京都市案内板、及び梅宮大社由緒略記などより)

『ソバー?』
尚、梅宮大社は現在、神社本庁に属さない単一神社である。
ちなみに、京都山崎の天王山に鎮座する自玉手祭来酒解神社は、橘氏の祖神・大山祇命を祀っている。

次回は京都の名所~嵐山です♪


25 February 2012

京都の社 「三柱鳥居」 木嶋坐天照御魂神社

Location 日本, 京都府京都市右京区太秦森ケ東町
京都の社
木嶋坐天照御魂神社 (蚕の社)
(京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50番地鎮座)

一の鳥居
京福電車・蚕の社駅前に一の鳥居と石灯籠があり、そこから徒歩5分程度の地に木嶋坐天照御魂神社が鎮座している。
本神社は延喜式神名帳にて明神大社に列せられていた古社。
渡来系氏族・葛野秦氏が建立したとされる広隆寺の真東にあたり、同寺南門と当社鳥居はほぼ面 を合わせている。

二の鳥居
この神社は通称『蚕の社』とも呼ばれ、境内に鎮座する蚕養神社に因んでいる。

本神社が鎮座する太秦・嵯峨野一帯は、先土器時代の時代から人々が居住していたといい、多くの住居跡や土器、銅鐸などが出土されている。

また中国より朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が3世紀頃に製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだとされ、この地一帯はかつて養蚕や機織産業が盛んだったことが窺える。

機織り(はたおり)の語源は秦織り(秦氏が伝来した織り方)ということなのかな?

拝殿
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
通称:蚕の社 

祭神
天御中主命
大国魂命
穂々出見命
鵜茅茸不合命

この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命・大国魂命・穂々出見命・鵜茅茸不合命を祀っている。 「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。

嵯峨野一帯は、古墳時代に中国大陸や半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などに優れた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
幣殿
 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が篤く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」などの文献からうかがい知ることが出来る。 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂している。

本殿の西側には四季湧水する「元糺(もとただし)の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居のひとつとされる石製三柱鳥居が建つ。

例祭は、毎年10月10日に行われるが、夏期土用丑の日には、この池に手足を渡すと諸病によいという庶民信仰がある。

市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果たしてきた秦氏との関連を含め、大変貴重なものとして昭和60年6月1日京都市の史跡に指定された。
指定面積11,131㎡

京都市
元糺の森
本殿西側には『元糺の森(もとただすのもり)』という森がある。

『糺の森』といえば、本神社の北東に鎮座する賀茂御祖神社(下鴨神社)境内の森のことを指すが、嵯峨天皇の御代にこの地から遷されて以降、下鴨神社の森を『糺の森』、本神社の森を『元糺の森』と称するようになったという。
夏の土用の丑の日にこの泉から流れる水に手足を浸すと諸病に良いとされている。

三柱鳥居

森の中『元糺(もとただす)の池』にある神秘的な石製の三柱鳥居。
鳥居中央には依り代 として円錐形に小石が積み上げられ、中心には御幣が立てられている。
鳥居は天保二年(1831)建立らしいが、それ以前も同様の三柱鳥居が置かれていたという。

鳥居の三方向は、北は雙ヶ岡古墳群、西は松尾大社、東は伏見稲荷大社の方向で、いずれも秦氏ゆかりの地であることから、おそらく秦一族の『気が宿る』霊泉として崇められていたのであろう。

境内
補足として、平安時代には祈雨などに際して幾度も奉幣が捧げられ、貞観元年(859)には正五位下に列し、さらに鎌倉時代には承久三年(1221)の承久の変に際して、後鳥羽上皇方の三浦胤義・胤連父子が当社に籠るが、幕府方に包囲されたため自害しのち火が放たれ社殿が焼亡した、という記録がある。

実にミステリアスな空気が濃く漂っている太秦の社。
次回は梅宮大社です。


23 February 2012

京都の社 崇道神社境内社と里堂

Location 日本, 京都府京都市左京区上高野植ノ町
京都の社
崇道神社 境内社と里社
(伊多太神社・小野神社)


鬱蒼とした森の中に鎮座する崇道神社。
祟りを鎮魂する神社の沿革と相まって、とても重い空気が漂っているように感じた。

このお社の境内には延喜式内社が二社ある。

伊多太神社
参道の西側に鎮座しているのが伊多太神社。
元当村(上高野)の氏神である伊多太大神を祭神としたお社である。

伊多太神社の祠
御由緒
伊多太神社は、洛北唯一の古い神社で、祭神伊多太大神は元当村氏神であった。
湧水の神・農業の神で都の丑寅に当たるので、小野神社2座(祭神小野妹子天武天皇重臣小野毛人)と共に王城の鎮護神として延喜5年延喜式内社と成った。

伊多太神社の末社
伊多太は、湯立の訛で社前には池ノ内・市川・大湯出等の良田がある。 往古より伊多太神社の神事(湯立儀)は出雲系と同様の神事で坐女は宮中に奉仕した。近世には、知恵の神として都人多数に崇拝されている。 明治41年7月当地崇導神社に合祀された。
(境内案内板より)
尚、末社は鎌倉社・日吉社・三穂津社・三輪社・足之社・教之社の六社。

打たせ滝
対して参道の東側には小野神社が鎮座している。
遣隋使で有名な小野妹子命とその子、小野毛人命が祀られている。

小野神社の手前にある杖置きと打たせ滝。

小野神社
御由緒
小野氏が創祀した神社で小野一族を祀る。以前は崇道神社里堂の南方に石垣があり、ズンショの森と祠があった。現在の小野神社は昭和46年、地元有志により再建された。

慶長18年、崇道神社境内の山腹から小野毛人の鋳銅製の墓誌が発見された。大正3年、墓が調査され、板石で作られた石室は長さ2.5m、幅及び高さ1mで封土が施されていた。墓誌は国宝に指定され京都国立博物館に保管されている。

ちなみに小野神社境内には、写真のような石窟があったり無数の地蔵が並べられていていたりと、祟りを鎮める社としての雰囲気がムンムンとしていた・・・。

さてさて、折角だから崇道神社の里堂にも行ってみた。
叡山電車の線路の先は比叡山。

京都は何気ない風景も画になってしまう。
府民に対して妬んでしまうほど。

集落の中心にある里堂は周囲を生垣に囲まれていて、扉には鉤がかけられており、単なる神輿庫にしてはとても頑丈な造りになっていた。

崇道神社里堂
ここの里堂でも神事が行われているという。
手入れの行き届いた植木、キレイにされていた敷地とお堂を見ていると、何かこの地に深い意味があるような気がしてきてならない。


次回は三角形の鳥居があるお社についてです。

21 February 2012

京都の社 崇道神社 御霊信仰の社

Location 日本, 京都府京都市左京区上高野西明寺山
京都の社
崇道神社
(京都市上高野西明寺山鎮座)

崇道神社は、貴船神社同様に京都北東(丑寅・鬼門)に位置している神社で、御霊信仰の神社として有名なお社。
御霊信仰とは天災や疫病などの発生を、恨みを持って死亡した者の怨霊によるものと考えて、この霊を御霊として祀り、祟りを鎮める信仰のことで、平安時代以降盛んになった。

分かり易い有名な例では「八所御霊」の一神・菅原道真の火雷神。
(全国の天神さまや天満宮で祀られてます)

人を謀るようなことをして、恨みを買うようなことをしてはなりませんね・・・。

高野川と比叡山
京都大原から流れる高野川の清流。
とても情緒を感じさせる日本的な風景。
この川沿いにある鬱蒼とした森の中に崇道神社が鎮座している。

一の鳥居
御祭神の早良親王(さわらしんのう)は実兄であった桓武天皇の対抗勢力の中心人物と目されていた。
そこで桓武天皇は延暦四年(785)、平城京から京都長岡京へ遷都する最高責任者(造宮使)に任命されていた藤原種継の暗殺事件に関与した罪を実の弟に被せた。
その後親王は捕まり、淡路に配流(島流し)の最中、無実を訴えるために絶食したが、河内国高瀬橋付近で憤死してしまった。

参道
早良親王が亡くなった後に遷都するも、日照りによる天災や悪疫が流行し、桓武天皇の妃三人や母が相次いで病死、さらにその皇子(のちの平城天皇)まで病を患ってしまった。

『これは早良親王の祟りだ!』

とされ、その怨霊を鎮めるために『崇道天皇』の追号を贈り、貞観五年(863)には神泉苑で御霊会がおこなわれたという・・・。

二の鳥居
崇道神社(すどうじんじゃ)

奈良末期~平安初期の皇族、早良親王を祀る。
早良親王は光仁天皇・高野新笠の子で、桓武天皇の実弟である。延暦四年に起った藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、乙訓寺に霊閉された後、淡路に流される途中、無実を主張して絶食死した。

その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために延暦十九年には崇道天皇と追号を送り、墓を現在の八島稜へ改葬した。

ほかに藤森神社・上御霊神社にも崇道天皇が祀られているが、崇道天皇のみを祭神としているのは、この崇道神社だけである。

京都市案内板
境内
当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇道天皇の諡を追尊)を奉祀する旧高野村の産土の社でその創建年代は詳かでない。
延暦四年に造長岡京使藤原種継暗殺事件がおこり、親王も関係ありとされて淡路島へ配流の道中、大山崎で怨念を残しつつ憤死された。

その後朝廷をはじめ都の内外に不吉な事故と奇妙な異変が続発した。これらの怪異天災に親王の怨霊の祟りがあると占に出たために鎮魂の行事が盛んに行はれた。都の鬼門に当ると共に北陸への要衝のこの高野の地に御霊社として親王を祀ることとなった。

御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。
(境内案内板より)


まだまだ続く崇道神社。
次回は境内社についてです。

20 February 2012

京都の社 貴船神社 奥宮と船形石

Location 日本, 府道361号線
京都の社
貴船神社 奥宮

奥宮鳥居と思ひ川
結社参拝後、奥宮へ。
参道を10分~15分程歩くと、奥宮の鳥居、そして思ひ川が見えてくる。
思ひ川には橋が架かっており、朱色の欄干のある趣き深い橋だったようだが、小生の参拝時は残念ながら工事中。
欄干の代わりに朱色のコーンが置かれていました。

奥宮参道
思ひ川
夫・橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んだ和泉式部は、貴布祢詣でを思い立ちました。
当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。

この谷川は禊の川、物忌の川だったのです。
和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。
禊の川だった「おものいみ(物忌)川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
(境内案内板より)

神門
思ひ川を越えて、参道を歩いていくと神門、そして奥宮が鎮座している。

貴船神社 奥宮

当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、水や雨を司る神「高龗神」である。
本来はここが「本宮」だったが、しばしば水害に遭い天喜3年(1055)に貴船神社本宮を現在の地に遷座したという。
拝殿
社伝によれば、「反正天皇の時代(五世紀初頭)に、玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめる説もある。

境内の本殿横には、この伝説にまつわる「船形石」があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全にご利益があるとされた。

拝殿より本殿を望む
また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861~1863)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、突風が起り、ノミを空中へ吹き上げたという。このほか、宇治の橘姫伝説や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。

京都市案内板より

本殿
奥宮本殿の御鎮座伝説に、「川のそばから水の湧き出る所があり、そこに一宇を設けた」とある。
現在、水は涸れているが、奥宮本殿の下には「龍穴」といって大きな穴が開いているという。
『御神体のような神聖なもの』という理由で、誰も見ることは出来ないという。

しかし、昨年(平成23年)に150年ぶりに神聖な龍穴の御姿が現れた。

本殿
平成23年12月に天保10年(1840)以来150年ぶりに、本殿の修理する神事「附曳神事」が行われた。
まず本殿の西に手広い菰(こも)を結び付け、氏子一同烏帽子浄衣の白装束で、 本殿を東の権地(ごんち)に曳き遷す。そこで龍穴は自然に菰で覆われる。
 龍穴は人目を忌むから、しめ縄にて菰をくくり、竣工の時、まずそれを解き、 本殿を旧位置(龍穴の上)に復し、正遷宮の儀に及ぶのである。

権地
この「附曳神事」においては絶対に守らなければならないことがある。
それは境内にいるすべての人間は、一切言葉を発してはならない。
言葉はおろか、声そのもの、「音」 を発生させてはならぬという事である。
そしてそのために、 物理的に口を開けないようにするため、神事において終始榊の葉をくわえておくのである。
(貴船神社FACEBOOK記事より)

・・・絶対参列すればよかったと猛烈に後悔><

船形石
本殿脇にある大きな石塁は船形石と呼ばれている。

奥宮本殿の西側にあり、船の形をしています。
神武天皇の母神様・玉依姫さまが浪速(今の大阪)より水源の地を求め、黄色の船に乗って鴨川をさかのぼり、上流である貴船川のこの地に至られたとき、乗ってこられた船を人目に触れないように小石で積み囲んだと伝えられています。
(案内板より)

日吉社と連理の杉
貴船神社 末社 日吉社
御祭神 大物主命 (古伝に大山咋神)
山の神として貴船山を守護し給う

道理の杉(御神木)
貞明皇后御参拝の折(大正十三年)賞賛された連理の杉。
連理とは、別々の木が重なって一つになる意で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。
この神木は、杉と楓が和合したもので、非常に珍しい。

末社 吸葛社
船形石の船頭には大国主の子で、鴨大明神と称される社が鎮座していた。
鴨大明神の祖は、記紀神話において神武天皇を先導した八咫烏(ヤタカラス)で有名な賀茂建角身命。
また御百太夫(ももだゆう)も、傀儡師や遊女の神(道祖神や疱瘡除けの神)と一般にされている。

とても意味深な配置である。

尚、この吸葛社と向き合うように鈴市社が配置されていた。

貴船神社 末社 吸葛社
御祭神 味鉏高彦根命(古伝に百太夫)
大国主命の子。鴨大明神とも称す。日本二雨の神。御百太夫とも伝える。
例祭 八月十五日

貴船神社 末社 鈴市社
御祭神 姫踏鞴五十鈴姫命
事代主命の御女。母は玉櫛姫命。第一代神武天皇の皇后として天皇を助けて功績多し。
例祭九月十五日

つつみが岩
つつみが岩は、思ひ川の脇にデンを置かれた巨岩。

貴船石特有の紫に輝き、形状整い、古代火山灰堆積の模様を表した代表的な巨岩です。
高さ4.5メートル、重さ43トンもあります。
(案内板より)
相生の杉
樹齢千年、相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味という意味らしい。
実際に拝見すると、木から発する「力強さ」に只々圧倒されてしまう。

私市社・林田社
「相生の杉」の奥には、末社である私市社と林田社が祀られている。

貴船神社 末社 私市社(右)
御祭神 大国主命 例祭六月十五日
林田社、私市社を併せ称して「二ツ柱」といい貴船明神の荒魂を祀る。

貴船神社 末社 林田社(左)
御祭神 少彦名命 例祭六月十五日
医薬の神、酒造りの神

本宮北参道
以上で貴船神社参拝記は終了。
本宮・結社・奥宮の三社共に趣き深く、再度参拝してみたいと心から思うお社でした。

貴船神社参拝記
1. 貴船神社 本宮までの道程 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_13.html
2. 貴船神社 本宮 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_15.html
3. 貴船神社 結社 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_17.html
4. 貴船神社 奥宮と船形石 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_20.html

次回も京の丑寅の方向に鎮座するお社についてです。

17 February 2012

京都の社 貴船神社 結社

Location 日本, 京都府京都市左京区鞍馬貴船町
京都の社
貴船神社 結社

本宮の次は結社(ゆいのやしろ)へ。
本宮~結社~奥宮をつなぐ参道には数多くの旅館や割烹などが立ち並んでいる。

有名なのは「川床」と呼ばれるもの。
その名の通り、貴船川の上に床を作って、その上で食事や宴会などが出来る。

さて、本宮から徒歩約10分程度で結社に到着。
ここ結社の御祭神は磐長姫命。
因みに「縁結びパワースポット」として有名らしいです。


結社
御祭神 磐長姫命 (いわながひめ)
御由緒
神武天皇(初代の天皇)の曽祖父にあたれられる瓊々杵命が、木花開耶姫命を娶らんとする時、父の大山祇神が姉の磐長姫命も共におすすめしたが、瓊々杵命は木花開耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾、ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。


古くは縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が篤く、平安時代の女流歌人・和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名です。
昔はススキ等の細長い草を、今は「結び文」を神前に結び付けて祈願する習わしがあります。男女間の延だけでなく、人と人、会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んで下さる神様です。

結社 社殿
境内には和泉式部歌碑があり、ここにも彼女に纏わるお話がある。

貴船神社は、古来、恋を祈る社でもありました。
平安時代の有名な歌人・和泉式部は、夫との仲がうまくいかなくなって当社にお参りし、貴船川に飛ぶ蛍を見て、切ない心情を歌に託して祈願しました。すると、社殿の中から慰めの返歌が聞こえてきて、ほどなく願いが叶えられ、夫婦仲がもとのように円満になったということです。

「後拾遺和歌集」には次のように記されています。
男に忘れられて侍りけるころ貴布禰に参りて
みたらし川に蛍の飛び侍りけるを見てよめる 
「物思へば 沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる 魂かとぞみる」 
(あれこれと思い悩んでここまで来ますと、蛍が貴船川一面に飛んでいます。
そのはかない光は、まるで自分の魂が体からぬけ出て飛んでいるようでございます。)
御返し
「奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の玉散るばかり 物な思ひそ」 
(しぶきをああげて飛び散る奥山の滝の水玉のように
魂がぬけ出て飛び散り消えてゆく(=死ぬかと思うほど) そんなに深く考えなさるなよ。) 
この歌は貴布禰の明神の御返しなり、
男の声にて和泉式部が耳に聞こえけるとなむいひ伝えたる。
(以上、現地案内板より)

「天の磐船」
境内にある「天の磐船」は、貴船の山奥で見つけられた船形の自然石で、平成8年3月に奉納されたもの。

天の磐船(あめのいわふね)

この舟形の自然石は、貴船の山奥より産出し、平成八年三月、京都市在住の作庭家・久保篤三氏より奉納された。重さは六トン。
船は、古くは唯一の交通機関であり、人と人、文化と文化の交流(結ぶ)ということから、縁結びの信仰と関わりがある。
また奥宮の「船形石」伝説にみられるように神様の乗物として神聖視され、当社と船との関わりは深い。
縁結びの神で知られる結社の御祭神・磐長姫命の御料としてここにおさめた。
(境内案内板より)

貴船山から流れ出る清流。
水に触ってみると痛くなる程冷たかった。。。

次回は・・・いよいよ奥宮です♪

貴船神社参拝記
1. 貴船神社 本宮までの道程 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_13.html
2. 貴船神社 本宮 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_15.html
3. 貴船神社 結社 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_17.html
4. 貴船神社 奥宮と船形石 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_20.html