29 March 2012

奈良の社 奈良氷室神社

Location 日本, 奈良県奈良市春日野町
奈良氷室神社
(奈良市春日野町1-4鎮座)

氷室神社・楼門
氷室神社は、春日大社と東大寺の中間に鎮座する神社。
奈良公園周辺は、とにかく観光客が多過ぎて疲れてしまったが、氷室神社の境内に入ってみると、社外の喧騒がウソのように静まり返っていて、とても落ち着いた雰囲気で心地よさを感じることができた。

氷室社は社伝によると、平城京遷都とともに和銅三年(710)に春日大社の御神山である御蓋山の北麓を流れる吉城川・月日磐に氷室を奉祀したのが始りで、のち貞観三年(860)に現在地へ遷座したという。

拝殿
氷室神社
祭神:
闘鶏稲置大山主神、額田大仲彦命、仁徳天皇

氷室神社は、奈良市春日野に鎮座する。
和銅三年(710)の平城京遷都にともない、平城京東山の守護神として、また春日野に作られた氷池(製氷用の池)や氷室(氷の貯蔵庫)の守り神として祀られたのが始まり。 

祭神は氷室と貯水の方法を伝承していた闘鶏稲置大山主神と、その氷室を発見して奏上された額田大仲彦命と、献氷の典例を開かれた仁徳天皇の三神が祀られている。

本殿
奈良時代には、氷室社をはじめ、氷池や氷室は今の春日大社境内地にあって、厳寒期に氷池で凍らせた氷を氷室に蓄え、春分の日に氷室開きが行われ、九月まで平城宮に氷を献上していたという。
平安遷都後の貞観二年(860)に現在地に遷座され、興福寺の鎮守、南都の地主神、南都楽所の氏神としても崇敬された。

舞光社
境内社・舞光社は、南部舞楽の祖・狛光高霊という舞曲の達人を祀った社。
楽人たちの氏神とされている。

さてさて、氷室神社は春日大社に旧社地を奪われた経緯などから、仲があまりよろしくないようで、次のような伝説があるという。

拝殿より本殿を望む
話其の一
春日様(春日大社)は、氷室様(氷室社)の土地を三尺(1m)を借用する約束をしました。
この約束は、地下三尺のことでしたので、今でも春日の樹木はそんな大樹でも三尺以上根ざさず、少しの風でも倒れるのだといいます。 
話其のニ
昔、春日の神と氷室の神が喧嘩をしました。
その決着がまだついていないのに、若宮祭の御旅所を氷室の持地内に作るので、氷室の神は怒って毎年春日の神と神相撲をするという。相撲で負けた神様の祭の日には雨が降るとさ。

氷室神社側にかなり因縁を感じるのだが、春日大社内に鎮座する榎本神社の伝説と似たところが・・・。


次回は、大和国一宮です♪

27 March 2012

奈良の社 春日大社 若宮十五社巡り

Location 日本, 奈良県奈良市春日野町
若宮十五社巡り

春日大社については以下リンクを参照ください
http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/03/blog-post_25.html

大宮・中門
境内の南側に伸びる御間道から奥の院道にかけての社叢に、「若宮十五社」と呼ばれる末社群が存在している。

若宮へ繋がる御間道
東西に走る本参道の賑わいが嘘のように、奥の院道周辺の末社群は静寂に包まれていて、神域であることを感じさせてくれる。
そして、この道は『山の辺の道』として山沿いを縫うように走り、御神山・三輪山の先にある海石榴市まで続いている歴史ロマンを想起させてくれる道なのである。

① 若宮
若宮神社の本殿は、保延元年(1125)創建、拝舎は治承二年(1178)創建された古社で、重要文化財に指定されている。

若宮神社
御祭神 天押雲根命
(春日大社の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神)
御由緒
若宮の御祭神は長保五年(1003)に御出現あそばされ、保延元年(1125)現在の地に祀られる、
「春日若宮おん祭」に際して、その一日のみ御旅所に御渡りになる。
鎌倉時代後期に描かれた絵巻物「春日権現記」(1309)にも現状と同種の建築物が描かれている。
拝舎の屋根の後端は神楽殿と一体となっている。

若宮神社本殿
「春日若宮おん祭」は、12月15~18日に執行される祭で、1136年折からの長雨のため全国に疫病や飢饉が蔓延し、これを鎮めるためにはじめられた祭典で平安時代より現在に至るまで絶えることなく奉仕され続けている、日本を代表するお祭のひとつです。

② 摂社本宮神社遥拝所
摂社本宮神社遥拝所
御祭神 武甕槌命、経津主命、天児屋根命
御由緒
御蓋山(みかさやま)は、太古より霊山を崇められる神奈備(神の鎮まり給う所)で、神護景雲二年(768)御本社第一殿の御祭神である武甕槌命が白鹿の背にお乗りになり頂上の浮雲峰に天降られた神様である。
毎月一日には、この所へ神饌を供し頂上の本宮神社を遥拝する。

③ 左: 兵主神社 ④右: 南宮神社
兵主神社(ひょうすじんじゃ) 御祭神 大己貴命
南宮神社 御祭神 金山彦命
尚、兵主神社の脇に三輪神社(祭神:少彦名命)が鎮座していたが、失念。

⑤左: 広瀬神社 ⑥右: 葛城神社
廣瀬神社 御祭神 倉稲魂神
葛城神社(懸橋社) 御祭神 一言主神

尚、中央には『赤乳白乳両神社遥拝所』の石碑がある。
ここから南手に約三キロ離れたところに末社赤乳神社・白乳神社が御鎮座されており、古来より、赤乳神社は女性の下半身、白乳神社は上半身を御守り下さる御神徳がございます。

・・・なのに、何故北側に遥拝所があるのだろう?

⑦ 三十八所神社
三十八所神社
御祭神 伊弉諾尊、伊弉冊尊、神日本磐余彦命

⑧ 佐良気神社
佐良気神社
御祭神 蛭子神様(えびす様)

⑨ 春日明神遥拝所
春日明神遥拝所
御祭神 春日皇大神
鎌倉時代に、この九個の石(居石~すえいし)の所から、明恵上人が春日大社本殿を遥拝された記録があります。
(原文) 明恵上人 明神を拝し 給ふ所と云・・・
『春日大宮若宮御祭禮図』(寛保二年)

奥の院道
ひっそりとした奥の院道。
木々に囲まれて、心が落ち着く。
そして木陰から神使である鹿が顔を出してくる。
とても可愛らしい。

⑩ 宗像神社
宗像神社
御祭神 市杵嶋姫命(天河弁才天)

⑪ 紀伊神社
紀伊神社
御祭神 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命

近世「奥の院」と称されていました。
この御社の主祭神・五十猛命様は素盞鳴命様の御子神で、紀伊の国へ樹木の種をもたらした樹神とされています。

⑫ 伊勢神宮遥拝所
伊勢神宮遥拝所
御祭神 天照坐皇大御神(内宮)、豊受大御神(外宮)

境内の南端に御鎮座する当社の手前には、二つに割れた大石があります。
これは鎌倉時代の記録にも見られる「伊勢遥拝石」で、この間に向けばちょうど伊勢の神宮の方角にあたることから、遥かにお伊勢様をお参りする場所であります。
鎌倉以降盛んになる伊勢信仰の名残と思われますが、
もともとは磐座の一つとも考えられています。

龍王珠石
紀伊神社御殿西側の石群は龍王珠石といい、善女竜王が尾玉を納めた所と伝えられている。

大杦(おおすぎ)○蝠窟道
と書かれた石碑
紀伊神社の先に獣道があったので進んでみると、この石碑があった。
意味は分からぬが、忌み深い所縁があると嫌なので引き返した。

護摩壇
弘法大師(空海上人)が、護摩木を焚いて御祈願された所という。

⑬ 元春日 牧岡神社遥拝所
元春日 牧岡神社遥拝所
御祭神 天児屋根命、比売神
はるかに かはちのくに ひらおかを はいするよし
『春日大宮若宮御祭禮図』(寛保二年)

⑭ 金龍神社 禁裡殿
金龍神社 禁裡殿
御祭神 金龍大神

今から650年前、鎌倉幕府の零落による世の乱を嘆かれた後醍醐天皇は統幕を志されたが、事半ばにして幕府に露見。天皇は難を逃れて笠置へ落させられた。
これが元弘元年(1331)8月15日の世に言う元弘の変である。
この途次、天皇は春日社に潜幸され、一面の御鏡を奉安されて、天下泰平の御祈祷をあそばされた。これが金龍神社の起りである。
宮中(禁裡)の御鏡を奉安されたので、禁裡殿とも申し上げる。

上の称宜道
春日大社の敷地の昔から春日社の神官が住居を構えた所で、新薬師寺のある高畑町付近に繋がっている上の称宜道。
木々が生い茂っていて、趣きのある古道です。

謎のストーンサークル?
上の称宜道沿いにある石垣中心にはストーンサークルが存在していた。
ここはかつての古代祭祀場だったと、勝手に結論づけて春日大社の項はこれにて終了。

御間道に置かれている石燈籠
次回は春日大社の近くにひっそりと鎮座するお社です。

25 March 2012

奈良の社 春日大社 春日神社の総本社

Location 日本, 奈良県奈良市春日野町
春日大社 
藤原氏の氏神を祀る本宮(大宮)
(奈良県奈良市春日野町160鎮座)

春日大社は、平城京守護の為に神護景雲二年(768年)に創建され、藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、祖神である天児屋根命と比売神(総じて春日神と称されている)を祀るお社。また、全国3000社程ある春日神社の総本社でもある。

二の鳥居
平安時代の創建という
創建については、鹿島神宮の鹿園にある由緒書きに記載されているので抜粋。

『鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神様のところへ、天照大神様の御命令を伝えに来られたのが天迦久神という方で、鹿の神霊とされていることから、鹿島神宮のお使いは鹿となっている。

神護景雲元年(767)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日大社を創建したが、そのとき御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良まで行った。
その鹿の足跡が、東京都江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っている。』

参道
一の鳥居から東西に連なり、数kmにも及ぶ参道には数多くの春日燈籠とも呼ばれる石燈籠が並んでいる。
これは全国の春日神社及び信奉者から寄進されたもので、本宮前には無数の燈籠が鎮座されている。また、社地である奈良公園内には、春日大社の神使である鹿が放し飼いされている。

着到殿附近の参道
参道内には東大寺から流れてきた観光客が数多くいた。
観光客の集団が少なくなったところをパシャリ。

もっと人通りの少ない時間帯に参拝したかったな・・・。

摂社 榎本神社
しばらく歩いていくと鮮やかな朱色で彩られた回廊が姿を現し、その一角に小さな鳥居と祠が建っている。

榎本神社
御祭神 猿田彦命
御由緒 春日の地主の神として尊崇され、本社御鎮座後一時安倍山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが承平5年(935年)再びこの場所へ御帰座になった。
御神徳 寿命を守り給う神として信仰され安永4年には宮中より御祈祷を願い出られた。 又同時に導きの神、道開きの神として人生の岐路に御守護を願う人が多い。
(境内案内板より)

榎本神社は式内社に比定されており、現在の祭神は岐神である猿田彦命。
もともとは春日野一帯の地主神~即ち春日氏によって祀られていたが、平城京遷都に伴い、7世紀後半以降より台頭していた新興勢力・藤原氏により社地を交換させられたのではないかと推測される。
武甕槌命と榎本の神との土地交換の伝承話から想像できると思います。
(『榎本神社 武甕槌命』でインターネット検索すれば、伝承話のページにヒットします)

尚、春日氏は天足彦国押人命を祖とする和珥(ワニ)氏(和珥臣・・・丸邇・和邇・丸)の支族で、本拠地は旧大和国添上郡和邇(現:天理市和爾町・櫟本町付近)。
和珥氏一族の一部が6世紀頃に大和国添上郡の春日に移住し、その地名を姓として名乗ったという。

南門 (楼門)
南門をくぐると、手前に幣殿があり、一般参拝者は幣殿前まで入場が許可されている。
尚、特別参拝料(500円)を納めば、回廊内や中門といった本宮境内を散策することができる。

南門前の石
「出現石」または「額塚」
楼門手前に顔を出している石。
まるで鹿島神宮にある『要石』のようだ。

この石は、太古の昔、神様の憑代として祀られた「磐座」或いは赤童子(春日若宮御祭神)がこのところより現れたと言われる『出現石』、または宝亀三年(772)の雷火で落下した社額を埋納したと伝えられる『額塚』等諸説のある神石です。
(境内案内板より)

東回廊
東回廊には数多くの燈籠がぶら下がっていた。
春日大社のHPや自身で撮影した写真を見てみると、本宮内の燈籠は北面と東面に吊るされているように思える。きっと方位的意味合いがあるのであろう。

中門
(中門より先に本殿があるが撮影禁止)
春日大社
大宮(御本殿)祭神
第一殿 武甕槌命
第二殿 経津主命
第三殿 天児屋根命
第四殿 比売神

幣殿、林檎の庭と林檎の木
御由緒
春日大社は、今からおよそ千三百年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命様を、神山御蓋山の山頂浮雲峰にお迎えした。
やがて天下の文化華やかなる神護景雲二年(768)十一月九日、藤原氏の血を引く 女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在の場所に初めて南面する神殿を創建。
さらに香取神宮(千葉県)の経津主命様、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖・天児屋根命様と比売神様の四柱を併祀したのがその始まりとされています。

移殿 (内侍殿)
御神前で奉仕をする内侍(女性)が控えていた建物
御祭神である武甕槌命様・経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治めた御功績ある神様であります。
また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神様として、比売神様は天児屋根命様の妃神で平和と愛の神様としてお祀りされ、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。
この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申し上げ、また、春日四所明神、春日大明神とも申し上げてまいりました。

神庫前にある磐座
太古の昔、御蓋山(みかさやま)の神様を招いて
お祭をした場所 
御創建以来当社は、千古の森の中に朱の柱、白い壁、そして自然の檜皮屋根の本殿・社殿が往古と変わらぬ壮麗で瑞々しいお姿で鎮まっておられます。これは二十年毎に斎行される式年造替という制度により、社殿の御修繕、御調度の新調、祭儀の厳修により日本人の命と信仰が連綿に受け継がれてきたからです。
これにより、清々しくも威厳ある気が境内に満ち、神様の広大無辺なるお力や有り難さがしみじみと感じられる名社として今日に至っております。

また、全国三千に及ぶ春日の御分社、奉納された三千基の燈籠は、その厚い信仰に広がりを示しております。
平成10年12月には、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録されました。
(以上、春日大社配布略誌より)

藤浪之屋
藤浪之屋はかつては神職(禰宜)の詰め所だった。
8月14・15日に催される「中元萬燈籠」の幽玄な雰囲気を味わってもらう為の神社側の粋な計らいです。ちなみに、薄暗い屋内に灯される燈籠は少し不気味な感じ・・・。
(写真は高露出のため、明るく見えるが)

椿本神社(手前)と
八雷神社、佐軍神社(本殿内)
後殿御門の門前に鎮座しているのが椿本神社。

椿本神社
御祭神 角振神
御本殿の北西に位置するこちらの御社は春日様の御眷属の神様で、 隼の明神とも申し上げ災難をお祓い下さる神様です。 椿の木がこの付近にあったことから、こちらの御社名になったとも伝えられています。
奉献 椿本チェイン株式会社

八雷神社、佐軍神社は本殿大宮内に鎮座する末社。
(何故か案内板があったので標記した)

内院末社
八雷神社 御祭神 八雷大神
雷神様で、古くから祈雨神事がおこなわれている。雷除けや電気関係者の信仰が篤い。
佐軍神社 御祭神 布津之霊大神
大宮第一殿の大神様の御佩刀で、国土平定に偉大な霊験のあったことにより、災禍をお祓いされる神様である。
栗柄神社 御祭神 火酢芹大神
水神様で五穀豊穣の神様であり、祟りを攘われる神様でもある。
杉本神社 御祭神 大山咋大神
疾風(ハヤチ)の神様。また山岳の守護神様である。速やかに霊験をあらわされる神様である。
*以上の御社へは後殿御門より御参りください。

・・・入場できたのですか、そうですか(涙)

風宮神社と
伝開山上人御手植 七種の寄木
風宮神社
御祭神 級長津彦命、級長津彦命
御神徳 風神様で息を司られることから生命の神、また当社ではお祓いの神様、そして祈願を取り次がれる神様である。
そばにある七種寄木は風神が色々の種を運んでこられたと伝えられ、「やどる」という意から子授けの信仰が篤い。
奉献 ダイキン工業株式会社

直会殿内
・・・末社の正面に、御祭神よりも大きい字体で、『奉献企業名』が列記されていると、世俗にまみれた感じがして、とてもじゃないが『神が坐す社』にいる気になれなかった。

神使のニホンジカ
そんなボクの気持ちとは裏腹にのんびりと『我が森』で悠々と日向ぼっこしている鹿様ご一行。
広大な敷地内に飛火野という広場がある。
古くは「とぶひの」ともいわれた地であるが、菩提川に流れる小さな小川沿いにて、祭祀遺跡が多く発掘されている。

飛火野では烽火(のろし)がかつて上げられていたといわれているが、そういった古代祭祀を行った『聖なる場所』だったのであろう。


次回は本宮南側の社叢に鎮座されている『若宮十五社巡り』についてです。

23 March 2012

奈良の社 日本最古の路 山の辺の道を歩く

Location 日本, 奈良県桜井市箸中383

山の辺の道
山の辺の道とは
日本最古の市場といわれている
海石榴市(つばきち・現在の奈良県桜井市粟殿)から、
奈良盆地東側の山々の裾野を経由
若草山(春日大社附近)まで35km程続く道。

そして、日本最古の路とも言われている。

奥の院道
(春日大社)
小生は『山の辺の道』の一部しか歩いていないが、
長い歴史の薫りというのか、
郷愁めいたようなものを感じ取ることができた。

夜都伎神社脇にあった溜池
霧がかった空と湖畔に写る山辺
とても幻想的な景色
池畔に目を遣ると、散った桜の花びらが浮いていた。
春にしか見ることができない風景。
竹之内環濠集落
夜都伎神社から歩いて10分程度の所に
竹之内環濠集落がある。

環濠集落とは、集落の周りに濠(水濠・土濠)をめぐらし、
外敵からの侵入を防ぐもの。

竹之内集落から奈良盆地を眺める
竹之内環濠集落
奈良盆地には、集落の周囲に濠をめぐらしたものが非常に多い。
大和は、室町時代になると戦国期の動乱による影響を強く受け、自衛手段として防御する方法から、集落の周囲に濠を区画していたものと思われる。
そうした環濠も現在では、戦乱の防御から灌漑用に転用されたものが姿を留めている。

天理市では、竹之内町のほかに備前町、南六条町、庵治町の溝幡で環濠の痕跡をよく留めている。一般的に環濠集落は低地部で発達した集落の形態であるが、竹之内町のように標高百メートルの山麓に立地するものは、県下でも数少ない。

天理市教育委員会

崇神天皇陵と龍王山
龍王山から立ち昇る龍の如く、
神秘的な光が雲から差していた。

倭笠縫邑・檜原神社参拝後
再び山の辺の道を歩いてみた。
檜原神社の外れにある
まほろばの景色。
色彩豊かな牧歌的世界は、まるで桃源郷のよう。
春の山の辺
初めて訪れたにも関わらず、郷愁を感じてしまう
とても心地良い古道でした♪


次回は、奈良市内に鎮座する大社です。