29 April 2012

キノミヤを追いかけて 源頼朝挙兵の社 守山八幡宮

Location 日本, 静岡県伊豆の国市寺家50
守山八幡宮
(静岡県伊豆の国市寺家1204-1鎮座)

2011年に伊豆半島を巡った
キノミヤを追いかけての続編です。

前回は電車移動が主だったので、東側のお社を中心に巡ったのですが、今回は西伊豆のお社を中心に書き綴っていきたいと思います。

鳥居
守山八幡宮は、守山という小高い山の麓に鎮座するお社。
延喜式神名帳にて、伊豆国田方郡 石徳高神社に比定されている。

この地は、源頼朝が治承四年(1180)、守山八幡宮で平家追討を祈願し挙兵した地で、鎌倉幕府草創の礎ともいえる場所。
この社の近隣には北条時政の墓などもあり、源氏の歴史が色濃く残っている。

舞殿
鳥居をくぐって石段を登ると、立派な舞殿が建っていた。
本殿に対して遥拝するような意味合いなのか、建物の前に賽銭箱が置かれている。

参道
舞殿の先にある参道はなかなか勾配のキツイ石段。
もともとは、本神社の西にある大男山(標高207メートル)の山頂に鎮座していたらしく、平安末期に寺院のある当地に遷座したという。

石段を登り終えると、何とも趣き深い社殿が鎮座していた。
周囲の森から「コン、コン、コン」と木を叩く音がこだましていて、誰か修繕されているのかな?と思ったが、それはキツツキの仕業。
・・・もしかして木霊(こだま)の音だったりして。

社殿
四方を山に囲まれた社殿は、こじんまりとしているが、とても趣ある雰囲気。
また、柔らかい春の朝日が差し込んできて、とても清々しい。

本殿
守山八幡宮
祭神 大山祇神、八幡神など
由緒
当社の創建は大化三年(647)、御祭神は大山祇神で延喜式内石徳高神社である。
延喜七年(907)豊前国宇佐宮より八幡神を勧請合祀、その後専ら伊豆國総社八幡と稱す。
治承四年(1180)源頼朝に源家再興を祈り兵を挙げる。
現在の本殿は寛永九年(1632)久能城主・榊原大内記照久の造営である。
(境内案内板より)

社殿脇に置かれている奇石。
かつての祠だったのか、それとも平家追討を祈願するために挙兵した源頼朝が坐していた腰掛石なのか?

そして、社殿裏手にあった巨岩。
もしかしたら、この山にはかつてこのような岩が多く転がっていて、それを削り落して石垣に加工したのかな??

社殿から参道を眺める。
とても静かで心地良い雰囲気漂う古社でした。


次回は富士山の眺望が美しいお社です♪

27 April 2012

奈良の寺 法隆寺

Location 法隆寺
法隆寺
(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1)

南大門から西院伽藍を眺める
JR法隆寺駅でレンタサイクルを借りて廣瀬大社へ参拝後、
せっかくだから法隆寺を参拝してみた。

法隆寺の創建は607年(推古15年)とされ、
世界最古の木造建築物。
聖徳太子が建立したとされる寺院で、斑鳩寺とも呼ばれている。

西院伽藍の門である中門。
門の真ん中に支柱がある珍しい建築様式。

中門の門前で睨みを利かしている金剛力士像は、
奈良時代に作られたもの。

粘土や砂で作られた塑像で、
吽像(写真左側)は風化の為に下半身は木製
ということを教えてくれたのは、
近所を散歩していたおっちゃんでした(笑)

そして、廻廊内に顔を出しているのは、御存じ五重搭。
日本最古の五重塔で、高さ31.5メートルとのこと。

ちなみに廻廊内の金堂が修築中だったので、
拝観しませんでした。

この建物は三経院と呼ばれるもので、
現在の建物は鎌倉時代のもの。

西大門
もっと寺内を見学したかったのだが、
時間の制約があったので残念ながら早々退散。


・・・ということで、京都~奈良の古社巡りはこれにて終了。

次回以降は西伊豆から伊勢神宮までの長い道程、『東海道お社巡り』を綴っていきます。

25 April 2012

奈良の社 『火神』 往馬大社

Location 往馬大社
『火燧木神』
往馬坐伊古麻都比古神社 (往馬大社)
(奈良県生駒市壱分町1527-1鎮座)


往馬坐伊古麻都比古神社は「いこまにいますいこまつひこじんじゃ」と読み、通称往馬大社や生駒神社と呼ばれている神社。
天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭である大嘗祭にて、亀甲占いを行う際の火燧木(起こし火のタネ)は、往馬大社から献上されたものが使われており、現在もその習わしが続いている。

大和川と鉄橋
龍田大社が鎮座する龍田山を下って、最寄駅の信貫山下駅へ。
途中、近鉄線の鉄橋を通り過ぎたりしながら春の散歩。
川向こうに鎮座する久度神社の社叢がとても立派。

墳墓を崩したように見える畑
かと思えば、どう見ても古墳の跡地のような形をした畑に遭遇したり。
桜や畦道に咲く花々がとても綺麗で心が和んでしまう。

・・・と、のんびり散歩した後、生駒山地の麓を走る近鉄生駒線に乗り、一行駅で下車。
駅から徒歩10分弱で往馬大社に到着。

私的に『生駒』といえば、憂歌団の『イコマ』という曲。
♪女に生まれてよかったわ 
   本当はいいことないけれど 
   せめて心で思わなきゃ
   生きてはゆけないこの私
   生駒は哀しい おんな町ぃ~♭
ちなみに、原曲は「おんな町エレジー」という歌で、宇多田ヒカルの母君、藤圭子が歌ってます。

鳥居
(右の建物は管弦楽座)
話を戻して・・・
往馬大社は生駒山の裾野にあり、境内は緑豊かでとても広々。
特に、七棟も連座している桧皮葺春日造本殿の重厚な佇まいは壮麗。

楼門
往馬大社は生駒谷十七郷の氏神で、創始は古く奈良時代の正倉院文書に既に登場している。
古代は、生駒山を神体山(御神体)として祀られていたといい、生駒谷に人々が住み始めた太古の頃から生駒地方の守護神として崇められていた。

参道
本殿について、元々は産土神である往馬坐伊古麻都比古命の二座のみだったが、鎌倉時代に武家の守護神である八幡信仰が興隆し、五座の八幡神が合せ祀られ現在の七座となった。
江戸時代には、産土神男女一対の神は姿を隠し、牛頭天王と八王子になるが、明治以降、再び二神が再祀されたという。

拝殿
産土神である伊古麻都比古神と比賣神は『火燧木神(ひきりきのかみ)』と呼ばれていて、擦り合わせて火を付ける(燧りだす)木の神のこと。
大嘗祭で亀甲占いを行う際の火燧木は、往馬大社から献上されたものが使われる習わしとなっており、今上天皇(平成)の大嘗祭でも本神社の火燧木が使用されたという。
これが『火の神』と呼ばれる由縁であり、毎年行われる伝統神事『火祭り』が催行されている。
ちなみに延喜式では陰陽道的発想からか、二神のどちらかが祈雨の幣(すなわち『水』)を承っていたとのこと。

本殿と祝詞舎
往馬大社
御由緒書
本殿 御祭神
伊古麻都比古神 (産土の大神)
伊古麻都比賣神 (産土の大神)
気長足比賣尊 (神功皇后)
足仲津比古尊 (仲哀天皇)
譽田別尊 (応神天皇)
葛城高額姫命 (神功皇后の母君)
気長宿祢王命 (神功皇后の父君)
本殿七柱の他に境内摂末社二十社が合わせ祀られております。

迫力ある七座の本殿と拝殿
由緒
往馬大社は本来生駒山を御神体として祀られた古社であり、神社の境内を覆う鎮守の杜は奈良県の天然記念物に指定され、太古かた変わらぬ自然の杜を今に守り伝えています。
神社で最も古い記述は『総国風土記』の雄略三年(458)で、この年を御鎮座と致しますと、平成二十一年に1550年を迎えました。
また正倉院文書にも記載が見られ、奈良時代からすでに朝廷との関わりがありました。
平安時代の『延喜式』(927)では官幣大社に列せられ、その内一座は祈雨の幣も賜っていました。

生駒戎神社
(祭神:事代主命)
当初神社の御祭神は二柱でございましたが、中世に八幡神五柱を合祀して、本殿御祭神は現在の七柱となりました。
神社の宝物「生駒曼荼羅」(県指定文化財、室町時代)には七柱の神々と立派な社殿が描かれており、当時の隆盛を物語っております。

水神社
(祭神:水分神)
往馬大社は古くから「火の神」としても崇敬厚く、歴代天皇の大嘗祭に関わる火きり木を当社より納めた歴史があり、昭和や平成の大嘗祭の「齎田點定の儀」にも御神木の上溝桜が使用されました。
このような歴史のもとで、毎年十月の体育の日の前日に執り行われる火祭りは、古式豊かな伝統行事として生駒市第一号の無形民俗文化財に指定されています。
平成十九年一月吉日
(境内案内板より)

北末社
北末社 大山祇社・神明社・春日社・ 仁徳天皇社・豊受比咩社の5社、南末社には伊弉諾社(伊弉諾・伊弉冊)住吉社・猿田彦社・稲荷社の4社が祀られている。

社務所で寝ていたワンコくん
次回は、京都・奈良の社巡り最終回です☆

23 April 2012

奈良の社 宗我坐宗我都比古神社

Location 日本, 奈良県橿原市曽我町
宗我都比古神社
(奈良県橿原市曽我町1196鎮座)

八木の町並み
奈良県の多くのお社を参拝後、
八木駅周辺の安宿に宿泊した。

翌朝、昨日までの曇空が嘘のように
澄み渡った青空。
心も身体も軽やかに、再び奈良路を歩む。

石鳥居
この日まず向かったのは
真菅駅前に鎮座する宗我都比古神社。

曽我川東側に鎮座する式内大社であり、
飛鳥時代に全盛を極めた蘇我氏の始祖を祀ったお社である。

拝殿
延喜式内社 式内大社
宗我坐宗我都比古神社
 (そがにますそがつひこ)

ご祭神
宗我坐宗我都比古大神
宗我坐宗我都比賣大神

中門
曽我町にある宗我都比古神社は、
推古天皇の御宇(6世紀末から7世紀前葉)に
当地を拠点とする蘇我馬子が
蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を
祀ったことが起源といわれています。
(橿原市HPより)

本殿
境内は整備が行き届いており、
本殿をはじめとする御社殿も美しい。

きっと、曽我町周囲の
蘇我一族の末裔たる(??)氏子さん達により、
入念に手入れされているのであろう。

境内社
稲荷神社、
戎神社(大国主命事代主命)、
八阪神社(素盞嗚命)
の三社が祀られている。

境内

次回は、生駒に鎮座するお社へ♪

21 April 2012

奈良の社 葛木倭文座天羽雷命神社

Location 日本, 奈良県葛城市加守
葛木倭文座天羽雷命神社
二上神社
加守神社
(奈良県葛城市加守1045鎮座)

二上山
葛木倭文座天羽雷命神社は、近鉄南大阪線の二上神社口駅から徒歩15分程の場所に鎮座しており、参道から二上山の雄岳・雌岳の山容を見ることが出来る。
現在は葛城市だが、旧當麻町(たいままち)に属し、本神社より飛鳥時代創建の當麻寺の方が有名?
鳥居
さて、二上山では古くから旧暦3月23日(4/23)に「岳のぼり」という民間行事があり、二上山の水で稲を作っている「山の郷」の民が、山の神を迎えるために、山頂に登っているという。

以前、多神社の項にて『二上山の両峯の間に太陽が落ちる頃(9月末)、民は収穫の時期を知る』旨のことを書いたが、大和三山や三輪山同様に『神奈備』として崇められていた山だったのであろう。

社殿
また、古事記での履中天皇の巻にも難波宮から石上神宮へ向かう際、大坂の入口で二上山の麓にある『當麻道』へ迂回して云々・・・といった記述もある。
(石上神宮のリンク参照)
因みに、こういった事は参拝後に学んだことで、もっと深く勉強して参拝に臨めばよかった・・・と少し後悔。
扁額
葛木倭文座天羽雷命神社は天羽雷命(あまはいかづちのみこと)を主祭神とし、右殿に摂社・掃守神社(天忍人命)、左殿に摂社・二上神社(豊布都霊神・大国御魂命)を配祀し、三社ともに延喜式式内社に比定されている。

葛木倭文座天羽雷命神社は日本全国に点在する倭文神社(しとりじんじゃ)の元祖と云われているお社。一般的に「織物の神」とされており、倭文社の鎮座地を見れば、どのように織物技術が日本中に伝播していったかが分かる。
また、葛城二上神社の本社は二上山頂に鎮座しており、本神社は里宮と思われる。

拝殿より本殿を眺める
葛木 倭文座天羽雷命神社
祭神 倭文の祖 天羽雷命
天羽雷命は、古書によると、天照大神の荒衣和衣の御衣を織り、天孫降臨の時、御衣織として共に降臨、起織の術を授けられた神です。
伊勢、駿河、伊豆、甲斐、近江、上野、丹後、但場、因幡などの国々に祀られているが、その根本の神と言われてきた。
倭文は文布(あや布)で、子孫も倭文氏とし、諸国に機織と裁縫の術を伝えた。

絵馬が多く奉納されていた
葛城 二上神社
祭神 豊布都霊神(又の名、建御雷神)・大國御魂神
豊布都霊神又の名を建御雷神と申して大國主命と國譲りの談合の結果、その御子、建御名方神と海辺で力競べの角力を取り、この難問を解決された神で、この角力は日本の名勝負の第一に挙げられています。現在武道体育の神として祀られています。
大國御魂神は建速左男神の御孫で非常に温和な神で、専ら富国に努力され、星祭の神つまり厄除けの神として祀られています。
この二神を総じて、文と武の神、縁結びの神として、あがめられています。

社殿を支える石垣
加守(掃守)神社
祭神 掃守の祖 天忍人命(産育の祖)
古語拾遺に、神武天皇の御父、鵜草葺不合命の生まれます時、海辺に宮室(産室)を建て箒を造り蟹を掃ふ、是を以て蟹守と言ふ。 中古、掃部の職は、この神より出たものです。
蟹守、加守は祓ひの意であり、この氏族は機織と共に全国に散在している。
(以上、境内案内板より)

百度石
実は境内のどこかに注連縄を巻いた磐座があるらしいが、見つけることができず・・・。
代わりに境内に置かれていた百度石でも><

境内
木々に囲まれた境内。
写真をよく見ると二宮尊徳像があります。


次回は、古代豪族・蘇我氏を祀ったお社です♪

19 April 2012

奈良の社 「白蛇の尾」 長尾神社

Location 日本, 奈良県葛城市長尾
長尾神社
横大路の終着地・竹之内街道の出発地
(奈良県葛城市長尾471鎮座)


高田市駅に鎮座する龍王宮こと、石園座多久虫玉神社参拝後、近鉄南大阪線に乗って、大阪方面へ。今回は磐城駅徒歩5分程の地に鎮座する式内大社・長尾神社へ。

両部鳥居
長尾神社の門前で、まず目を引くのが神社の社前に立つ両部鳥居。
額束の上に付いている屋根の立派さと、鳥居を支える稚児柱(支柱)が黒く塗られているのがとても印象的。

拝殿
長尾神社の近くを走っている竹之内街道は大阪・堺市から二上山の麓を経由し、ここ長尾神社まで通じる官道のことで、現在は国道166号線上にある。
そして、本神社より東、三輪山方面へ通じる道は『横大路(初瀬街道)』と呼ばれており、大和国の要衝の地で、北横大路の龍田大社と同様に、瀬戸内海からやってくる外敵を侵入する賽神的要素もあったのでないかとも思う。

また、横大路に沿うように大神神社を「白蛇の頭」、当麻の長尾神社を「白蛇の尾」とする伝承や、石園座多久虫玉神社(龍宮社)を龍の頭、長尾神社を「龍の尾」とする伝承が残っている。

御祭神の水光姫命は、日本書紀・神武天皇の巻における吉野で出会った『井戸の中から体が光って尻尾のある人』井光(いかり)で、白雲別命は水光姫命の父神。

拝殿内
式内大社 長尾神社

御祭神
水光姫命(豊御富)、白雲別命

由緒
延喜式神名帳に「葛下郡長尾神社 大 月次 新嘗」となる式内の古社です。
放光寺縁起には「長尾神社は葛下郡全体の惣社である。

天武天皇が壬申の乱で勝利した後に、感謝の気持ちから葛下郡一郡を当社に献じられたと記され、江戸時代には正一位の神階を授けられました。
水光姫命は古事記や日本書紀に体が光り尾が生じていたと記されています。

本殿
社伝によると、そのお姿は白蛇でそれが長尾の地名のいわれであり、家内安全、延命長寿、開運の御神徳をお持ちです。
また蛇の頭が大神神社で尾っぽが当社という伝承もあります。

日本最古の官道である竹内街道や初瀬街道(横大路)及び長尾街道の各起点に当り、古代の主要街道の要衝地に鎮座するため交通安全、旅行安全の神様としても信仰されています。 尚、西日本の長尾姓の発祥地といわれています。

絵馬殿
絵馬殿
十月四日当社例祭の夜、初夜宮詣があり新婚夫婦や氏子衆が参られます。
中でもこの一年間に誕生した赤ちゃんが氏子になった印として絵馬を奉納することになっています。一般に男児は武者絵、女子はじょうと姥の絵です。
なお大絵馬の中には安永八年(1779)のものもあります。

絵馬群
絵馬殿は、境内右側にある。
絵馬殿の中に入ることはできたらしいが、無断で入場するには心が引いたので、格子沿いにて絵馬群をパシャリさせて頂きました。
左上脇にるのが、安永八年(1779)のものだと思う・・・。

御陰井跡?
最後に、境内脇にひっそりとあった御陰井跡。
長尾神社の由来『体が光って尻尾のある』白蛇を封じた井らしい。
(案内板があったので、間違いないと思うのだが・・・誤りがあったらすいません)

御陰井跡
当社社伝に「水光姫命が応神天皇の御代に竹内村の三角磐に降臨され子孫の加弥比加尼(かみひかね)に命じて当地に祀られたもので、その姿は白蛇であって、神社の北東の御陰井に封じた」と記された井戸跡です。
(境内案内板より)

近鉄電車
次回はさらに近鉄南大阪線で、大阪方面へ。

二上山の麓に鎮座するお社です。