21 June 2012

美濃の社 伊奈波神社 境内社と『駒爪岩』

Location 日本, 岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目1
伊勢への道
伊奈波神社 境内社と橿森神社


伊奈波神社 楼門
岐阜市金華山の麓に鎮座する伊奈波神社。
社殿同様に境内社も魅力的で、心地良い雰囲気が漂っていた。

黒龍社

黒龍社
祭神 高竉神(黒龍大神)
伊奈波神社が丸山より現在の井之口谷へ遷座された以前から、当山鎮護の守護神として黒龍社は祭祀されていたと口碑されている。

社殿前には坐して拝むための御座がある。隣には黒龍石が置かれていた。
にしても、何故黒い龍が祀られているのだろうか??

須佐之男社
そして、黒龍社の南に位置する社は、旧牛頭天王社だったのであろう。
現在は、須佐之男社、東照宮、天満神社、和歌三神社の四柱を合殿している。

須佐之男社 (旧称津島神社)
祭神 須佐之男神
東照宮
祭神 徳川家康公
岐阜御殿地(旧岐阜市役所内)より当地に遷座
天満神社
祭神 菅原道真公
和歌三神社 祭神 津島神・人丸神

左:伊奈波大黒社 右:神滝

伊奈波大黒社
祭神 大己貴命(大国主命)
祠内の大黒様は宝永六年(1709)十二月、沢田十蔵作と言われている。
右写真の神滝は、禊ぎをするための打たせ滝なのかな?

吉備神社
吉備神社
祭神 吉備津彦命
復職繊維、和洋裁、手芸の守護神とし名高い。針の神霊を慰める為、使い古した針を納める針塚もある。

烏帽子岩と御足台石
楼門をくぐって左側に祀られていた二体の磐。
左側が烏帽子岩、右側の草鞋(わらじ)がかかっているのが御足台石という。

烏帽子岩
旧鎮座地である丸山に六尺周囲一丈余の奇石が存在し、その形が烏帽子に似ていることから烏帽子岩と称れ、古くから大神の遺徳を仰ぎ奉る拠り所として語り継がれてきた。
御造営にあたり、境内より烏帽子岩に似たる岩が出土したので、是を丸山の烏帽子岩の影向石として安置され、古くより信仰されています。
御足台石
当神社御祭神五十瓊敷入彦命が東国擾乱鎮撫に赴かれる道すがち、長良川を御船で渡られた際に左岸に下り立ち、御足台にされた石であります。
此の石鯛で足を洗われて丸山の館にお入りになったと船頭の間で口碑されてきました。

伊奈波神社 境内
境内社も魅力的で、『気』のようなものに満ち溢れた伊奈波神社。
より深く「美濃」について学んでみようと思うきっかけを与えてくれたお社でした。

他のお社も巡りたいな、と考えていたが、流石に体力的に限界・・・ということで、岐阜駅までのんびり散歩してみることにした。

橿森神社社頭
ふらふらと散歩していると、崖の麓にひっそりと鎮座しているお社を発見。
鳥居脇の榎がとても活き活きとしていて、案内板を読むと歴史の教科書にも載っている「楽市楽座」が開かれた地とのことだったので、参拝してみることにした。

橿森神社は、伊奈波神社の御祭神五十瓊敷入彦命の皇子である市隼雄命を祀った社で、いわゆる「若宮」にあたる。
尚、鳥居左側には岐阜信長神社が鎮座しており、別格官幣社建勲神社の御分霊を勧請したという・・・が、撮影し忘れてしまった。

社殿
橿森神社
岐阜県岐阜市若宮町1丁目8番地鎮座
御祭神
市隼雄命(伊奈波神社御祭神 五十瓊敷入彦命の皇子)

由緒
創建は第十二代景行天皇の御代であると伝えられている。
慶長五年(1600)に兵火、慶安二年(1649)に火災と両度の難に遭ったともいわれている。
宝永三年(1706)の古地図によれば、現在の美園町と若宮町の十字路附近参道の入口で西一帯の榎が示してある。
「岐阜総構の内は内町、構の外は外町、南へは御園にて市立 市神として今に榎あり」と江戸時代の資料に示された榎で、織田信長が美園で開いた楽市楽座の市神がこの木の下に祀られていたのである。社前にある榎は神木化され、いぼに対する民間信仰の対象となっている。
古来木片に春夏秋冬がついた樹木は神木化された例は多い。
境内に天明六年(1787)銘の石灯篭がある。瑞龍寺との関係がうかがわれる。

駒爪岩
社殿の背後にある爪岩は大昔、神人が駒にのってこの地にくだり、この岩に爪あとを残したといういわれからこの名が出ている。
市隼雄命の御墓は各務原氏蘇原の市林山(いちはやま)の山頂に在る。
(以上、境内案内板より)


以上で、美濃の社巡りは一旦終了。
いつか必ず美濃~飛騨のお社巡り(兼観光)は行っていきたいな、と心に誓う小生でした♪

次回からは、いよいよ伊勢国入国・・・その前に奥多摩の社についてでも。

19 June 2012

美濃の古社 伊奈波神社

Location 日本, 岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目1
伊勢への道
伊奈波神社
(岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1鎮座)

南宮大社に続いては、美濃國三宮 伊奈波神社。
JR岐阜駅からバスで10分(伊奈波通りバス停で下車)、徒歩5分程の場所に鎮座している。

本神社は稲葉山の一角、丸山の山頂附近に五十瓊敷入彦を祀ったことが創建とされており、旧社地には伊奈波大神を祀る丸山神社があり、現在も石基と六尺周囲一丈余りの烏帽子岩が存在している。
また、延喜式内社『物部神社』の論社ともされている。

大鳥居と善光寺
神社の鳥居前には善光寺があり、上り坂の参道の先に伊奈波神社が坐しており、山に囲まれた境内は、とても市街地とは思えない幽玄な雰囲気が漂っている。

主祭神の五十瓊敷入彦は垂仁天皇の長男で景行天皇の兄。

日本書紀によると、垂仁天皇は兄王・五十瓊敷彦命と大足彦命(のちの景行天皇)を呼び、
『おまえたち、それぞれ欲しいものを述べよ』
と尋ねられた。
兄王・五十瓊敷彦命は『弓が欲しいです』
弟王は『天皇の位が欲しいです』
と答え、天皇は弓矢を五十瓊敷彦命に賜り、大足彦命には「お前は必ず我が位を継げ」と仰せられた。

参道
その後、五十瓊敷入彦は河内国に高石池・茅渟池を造り、のちに大和国の狭城池、迹見池を造って、国内の農事・灌漑事業に大きく寄与した。
さらに、茅渟の菟砥の川上宮で剣一千キロを造らせ、忍坂邑に納めた後、忍坂から移して石上神宮に納めた、といった記述があるとおり、日本の発展に大きく寄与された名臣ともいえる。

また、相殿で祀られている母・日葉酢媛命は垂仁天皇の皇后で、日本書紀によれば開化天皇の子孫で丹波国道主王の娘。(垂仁天皇の巻は色々興味深いお話が多いのですが、ここで紹介すると収集がつかなくなるので割愛します・・・)
神橋と楼門
伊奈波神社の参道はとても趣深く、雨も相まってか、とても幻想的。
静寂とした境内は「神域」と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出している。
階段の先にある楼門、そして境内社の造りも実に美しい。
ボクは目前にあった境内の佇まいにただただ感嘆するばかり・・・。

楼門
伊奈波神社
主祭神
五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと) 垂仁天皇の長男
配祀
淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと) 主神の妃君
日葉酢媛命(ひばすひめのみこと) 主神の母君
彦多都彦命(ひこたつひこのみこと) 主神の外祖父
物部十千根命(もののべのとちねのみこと) 主神の功臣

神門から拝殿を望む
由緒
先ずお祀りされている神さまは、五十瓊敷入彦命と申し上げ、第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄にあたり、古事記、日本書紀にもその事蹟が記載され、父垂仁天皇から弓矢を賜り武事をおさめ、また、勅命によって河内、大和、摂津、美濃など諸国に開拓された地溝の数は実に八百に及び、このため諸国の産業は勃興し、農事は豊かになって天下は泰平であったと記している。
更に茅渟の川上宮にて剱一千口を創り、これを石上神宮に納めて有事に備えられた。今でいえば内政、土木、軍事等あらゆる面で活躍されたといえましょう。

薨去の翌年(景行天皇十四年)命のご偉徳を偲び、現在の丸山の地に鎮齎申し上げたのが始まりで、それ以来1900年に亘り、「心のふるさと」として親しまれている。
天文八年(1539)斎藤道三が稲葉山を居城とするにあたり、現在の地に遷し奉った。
昭和十四年十一月一日國幣小社に列せられる。

拝殿内
我々の祖先は揖斐・長良・木曽の三大川に恵まれ水の恩恵に浴したものの一方では、洪水に悩まされ洪水から守り稔り豊かな土地にすることが、土地を治める者の務めであり、「水を制する者は天下を制す」との諺があるように、水を制するには金を以て当てるというのが陰陽五行の信仰であり、この地方は特に金、水に関する地名も多く伊奈波神社は水を防ぐ信仰の社でもあった。
(伊奈波神社略由緒より)

境内
次回も引き続き伊奈波神社、そして周辺のお社についてです。


17 June 2012

美濃國一宮 南宮大社

Location 日本, 岐阜県不破郡垂井町宮代1734
南宮大社
(岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1鎮座)

当初の予定では美濃國に向かう予定はなかったが、宿泊していた愛知県一宮市から岐阜までの距離が思ったより近かったこと、そして、『伊勢巡り』というメインテーマと並行して『日本武尊所縁の地を巡る』のも、今回の旅のテーマのひとつだったので、ヤマトタケルが深手の重傷を負った伊吹山も見てみたい(実は登りたい)と思い、伊吹山地の麓にある垂井に向かってみることにした・・・

・・・のだが、肝心の伊吹山が見えない(涙)

実は垂井駅に到着した頃、天気は冷たい雨。
伊吹山方面には雲が湧き立っており、山どころではなかった><

ああ、残念。
ということで、早々に南宮大社へ向かうことにした。

南宮大社 正面
JR垂井駅から徒歩20分程度の場所に南宮大社が鎮座している。
祭神の金山彦命は、記紀神話の『神産み』にて、イザナミが火の神カグツチを産んで陰部を火傷して病み臥しているとき、イザナミの嘔吐物(たぐり)から生まれた神で、鉱物の神とされている。

ちなみに、『神産み』の際、糞から生まれた神は波邇夜須毘古神(ハニヤスビコノカミ)と波邇夜須比賣神(ハニヤスヒメノカミ)、尿(ゆまり)から生まれた神は彌都波能賣神(ミツハメノカミ)で、灌漑用水の神、そして豊宇氣毘賣神(トヨウケヒメ・・・伊勢外宮の祭神)の祖神で、生産の神さまである和久産巣日神を生んでイザナミは黄泉の国へ旅立っていった。

楼門
南宮大社(垂井町宮代)は主祭神に金山彦命を祀り、相殿に見野命、彦火火出見命が祀られている。建築様式は、和様と唐様を混用した独特の様式であることから、南宮造と呼ばれているらしい。
玉垣内にある社は、本殿の他に高山社、樹下社、南大神社、隼人社、七王子社があり、南門の先には、金床社・金敷社、そして湖千海社(引常明神)があったらしいが、雨足+旅の疲れの為巡ることができなかった・・・。

石輪橋
配布された南宮大社略誌によると、創建は神武天皇東征の頃で、垂井町府中の地に造られたとされる。現在は安立寺があり、境内に南宮大社境外摂社の御旅神社が鎮座している。(祭神:南宮大神の姉神の金山姫命。相殿:豊玉姫命、埴山姫命)
その後、崇神天皇の御代に美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社と称していたが、国府から南方に位するため、南宮大社と云われる様になった。
尚、当社の宮司であった宮勝木実(みやすぐりのこのみ)が壬申の乱で天武天皇に味方し、不破関を守ったので破格の待遇を得たという。

楼門から高舞殿を眺める
略誌には『金鵄(きんし)を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って云々』とあるが、これは日本書紀の「神武天皇~長髄彦と金鵄」のおはなしから由来している。
皇軍はついに長髄彦を討つことになった。
戦いを重ねたが、中々勝つことができなかった。そのとき急に空が暗くなってきて、雹(ひょう)が降ってきた。そこへ金色の不思議な鵄(とび)がやって来て、神武天皇の弓の先に止まった。
その鵄は光輝いて、雷光のようであった。
このため長髄彦の軍勢は、皆眩惑されて力戦できなかった。
長髄というのはもと邑(むら)の名であり、それを人名とした。皇軍が鵄の瑞兆を得たことから、時の人は『鵄の邑』と名付けた。今、鳥見というのはなまったものである。
(鳥見は現在の生駒市高山といわれているらしい)

境内
南宮大社
御祭神 金山彦大神
相殿 見野命、彦火火出見命

御由緒
御鎮座は古く人皇十代崇神天皇の御代と伝えられ、国府から南方に当たる故、南宮大社と称せられている。
古来金宝の守護神、破魔除災の神と御神威高く、既に千年前延喜の制に國幣大社に列せられ、一宮として広く金之總本宮として崇敬厚い名社である。
御社殿は関ヶ原合戦の兵火に遇いて炎上の為、徳川家光公旧に復して再建され、明治維新の神佛分離令に依り、堂塔は他に移建され今日に至る。
本殿以下十八棟が国の重要文化財の建築である。

例大祭 五月五日 蛇山神事
金山祭 十一月八日 通称ふいご祭
(以上、境内由緒書きより)

拝殿
天候不順だったせいか、広い境内の中に私独り。
敷き詰められた玉砂利を踏みしめる音と雨の音が境内に響き、社殿後方の伊吹山地から吹き降ろす冷たい雨風を受けながら、ただただ一心に拝する。
正に神さまと対峙したような気分。

美濃國総社
略誌の地図に「美濃國総社」と記されている祠。
先に書いた御旅神社は国府の近くにあり、『国府之宮』と称されていたことから、遷座されてきたのだろうか?なお、数立神社とも呼ばれているらしい。

下向橋近くにあった巨石
そして駐車場に程近い場所にひっそりと坐していた御神石。
境内には「さざれ石」があったが、周辺の岐阜県揖斐川町春日には君が代の由来となったといわれるさざれ石があり、さらに伊吹山はさざれ石の主要産地だったということを知ったのは参拝後のこと。

それにしても垂井の地はとっても寒かった!
伊吹の山々、おそるべし。


次回は、岐阜市街地に鎮座する心地良いお社です♪

15 June 2012

尾張国総社 「国府宮」 尾張大国霊神社

Location 日本, 愛知県稲沢市国府宮1丁目1−1
伊勢への道
尾張大国霊神社
(愛知県稲沢市国府宮1-1-1鎮座)

ボクの個人的な話だが、稲沢は以前勤めていた会社の工場があったので、仕事で何十回も訪れていた。
国府宮の存在は神社に興味がなかった頃から知っていたし、「国府宮のはだか祭」の存在も当然社員からよく聞かされていた。
久々の稲沢で「知っている人に会ったらいやだな・・・」と思いつつ、一宮近辺に来ているのだからと思い、参拝してみた。

二の鳥居
馴染みのあるJR稲沢駅ではなく(笑)、名鉄国府宮駅から徒歩3分程度の場所に尾張大国霊神社が鎮座している。参道はとても広く、市民の憩い場のように作られている。
途中神橋があったが、子供達が遊んでいるのを邪魔したくなかったので写真は控えた。
楼門の先には山のような形をした社叢があり、景観を保っている。

楼門
尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)
御祭神 尾張大國霊神
尾張大國霊神とは、大昔我々の祖先が此の地方に移住をして住居を構え生活を始めた時、日々の生活の糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、日常生活の守護と感謝の心の拠り所としてお祀りした神であります。
即ち、尾張人の生活に関わる神であり、尾張国の総鎮守神ともいえる神であって今日、農商業守護の神、厄除の神として広く信仰しています。

由緒
「国府宮(こうのみや)」とは、今から少なくとも千三百年前すでに、この付近に国衙が置かれ、総社として国司が祭祀した神社であるから国府宮と呼ばれるようになりました。
又、当社は尾張総社と称されますが、総社とは、一国中の神社の御祭神を国衙附近に勧請して、国司が自ら祭祀をする神社の事で、尾張国においては、その根源である尾張大國霊神という國霊神を祀る社柄であり由緒古く国衙に隣接して御鎮座である処から、当神社を尾張国総社と定め、手厚くお祀りしておりました。
社殿(尾張造)
社殿
本殿は流造、拝殿は切妻造で全体の様式は尾張式といわれるもので、本殿、渡殿、祭文殿、東西の廻廊、拝殿、楼門と建並んでいます。

重要文化財として、
楼門 足利初期の建立(正保三年(1646)の解体大修理の際、上層を改造)
拝殿 徳川初期の建立(特徴として、切妻造で内側に柱が並立する)

本殿に接する形で、磐境(いわくら・いわさか)と呼ばれる五個の大きな自然石が円形に立ち並び、神聖視されています。これは、今日のように社殿を建てて神を祀る以前の、最も古い原始的な祭場で、当神社が太古にはすでに創始されていたことを物語っています。

別宮
宗形神社 御祭神 田心姫命
大御霊神社 御祭神 大歳神之御子
別宮二社と本宮をあわせて「尾張大国霊神社」と総称されている。

末社として、司宮神社(猿田彦神)、稲荷神社(倉稲魂命)、神明社(天照大御神)、居森社(素戔嗚命)、白山社(菊理姫命)、三女社(田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命)が境内に鎮座している。

とても心地良い境内だったが、いかんせん色々と焦ってしまい、別宮や末社を拝することを忘れて次の参拝地へ向かってしまうのであった・・・。

ちなみに、有名な「はだか祭」の正式名は「儺追神事」(なおいしんじ)といい、毎年旧正月に行われている神事で、神護景雲元年(767)から開催されている古い伝統をもった厄除のお祭りです。



13 June 2012

もうひとつの尾張國一宮 大神神社

Location 日本, 愛知県一宮市花池2丁目15−2
伊勢への道
大神神社
(愛知県一宮市花池2-15-2鎮座)

扁額
真清田神社に続いて、同じ一宮市に鎮座する尾張国一宮・大神神社について。
大神神社はJR一宮駅より徒歩20分程度の薬師寺の敷地内に鎮座している。
本神社は延喜式神名帳にて明神大社に列しており、真清田神社とともに尾張国一宮とされている。

正面
鎮座地の近くには「大和公民館」や「大和中学校」などがあり、旧地名も大和町となっていることから、かつて大和国から移住してきた人々が三輪の神を祀ったといわれている。
また、天火明命(尾張氏の祖神)の十世の孫である大美和都禰命(オオミヤツネノミコト)が祭神であったとする説もある。

社殿
大神神社 (おおみわじんじゃ)
愛知縣一宮市花池2-15-2鎮座
(旧鎮座地 愛知縣一宮市大和町宮地花池字西屋敷)
社格 延喜式内社 旧縣社
祭神 大物主神

本殿

由緒
崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱、大和の国一宮大神神社の祭神で、三輪の神よばれ、大國主神(大國様)の別名がある。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。
鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。


尾張的な神馬

奈良時代に國司が赴任して國中の神社を代表として國府宮の「尾張大國霊神社」を尾張の総社に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言う事で「尾張の一の宮」に指定した。
文徳実録・尾張國帳には従一位大名神とあり、三宮明神、三明神の神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があったこと称せられ、延長五年延喜式神明帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の國中には、大明神八座、小一ニ三座あって。当時の大明神八座の内の一座である。

境内外摂末社 六所社、三島社、白山社、神明社、招魂社、素戔嗚社
(以上、境内案内板より)


参拝した日は、鳥羽の御塩殿神社→二見輿玉神社→伊雑宮→大高の氷上姉子神社→稲沢の尾張大国霊神社と無茶苦茶な道程を歩んできたせいか、ここ大神神社に辿り着いたときには、かなりヘトヘト状態・・・。
しかし、想像していたより落ち着いた雰囲気で、子連れの若いお母さんが楽しく御参りしていて、地元に密着した『一宮』だな、と感じた。

裏参道の三輪風(?)鳥居
ちなみに、裏参道は大神神社的な注連縄の鳥居でした。


次回は、稲沢に鎮座する尾張国総社についてです♪

11 June 2012

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社

Location 日本, 愛知県一宮市今伊勢町本神戸宮山1476−1
伊勢への道
『今伊勢』 中嶋宮~酒見神社
(愛知県一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476)

海部俊樹元首相寄贈の石鳥居
酒見神社は一宮市今伊勢町に鎮座する社で、真清田神社から徒歩15分程離れた場所にある。「元伊勢」と呼ばれる社で、かつ清酒醸造元祖の社とも言われている。

「元伊勢」とは、現在の伊勢の皇大神宮に祀られる以前に、大和、丹波、伊賀、尾張などを巡って一時的に祀られていたとされている神社のこと。

酒見神社社殿
「元伊勢」については、日本書紀で次のように記されている。

“それまで天照大神・倭大国魂神二神を天皇の御殿の中に並べて祀っていたが、崇神天皇五年以降、国内には疫病や飢饉が発生し、反逆する輩まで現れました。
崇神天皇は、『これは両神のお力があまりに強いからだ』と畏れ、両神を共に並べることに対して、不安を覚えました。
そこで天照大神を崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀り、その地に堅固な神籬を造りました。

その後、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、現在の伊勢に遷座しましたとさ。”
(日本書紀・崇神天皇の巻及び追記より)

当Blog⇒大和神社をご参照ください。

拝殿
長い参道の先には、とても厳かな雰囲気を持つ社殿群が鎮座している。
この神社の社殿は北北東向きになっているが、これは参拝する先に伊勢神宮(皇大神宮)があることに由来している。

社地には目久井の車塚古墳があり、寛政元年に半円方形帯変形四獣鏡が出土され、さらに明治の始めには、楠の大木をくり貫いた船が発掘されたらしい。倭姫命世記によれば、倭姫命等が鎮座地に来られる際に使用された御船は美濃の国造が一艘を、美濃の県主が二艘の御船を献った、とあることから、倭姫命が使用された船ではないか?としている。

拝殿から社務所を眺める
さらに、清酒醸造元祖の社としても有名らしく、大邑刀自、小邑刀自二人の酒造師が皇大神宮から持って来られた大酒甕二個は、今も本殿裏の両側地下1メートルの処に埋められているという。甕を埋めて醸造する方法は「支那式醸造法」と呼ばれる中国の清酒醸造法とのこと。

当神社は『吹抜の宮』と呼ばれ、土地の者は『宮山』と呼び、その後当神社に一時この地方で醸造された酒の検査所があったことから、酒見神社と尊称せられたとのこと。
(酒見神社案内記より抜粋)

中嶋宮 酒見神社
(倭姫命十五番目御聖跡)
祭神
天照皇大御神、倭姫命、酒弥豆男命、酒弥豆女命
末社
倭姫命社 八幡社 稗社 水神社 熊野社 秋葉社 天王社

本殿
由緒
第十一代垂仁天皇の王女倭姫命が伊勢の地を求めて旅される途中、垂仁天皇十四年(646)六月一日当村に渡来された際、村民の奉仕により社が建設せられたのが酒見神社の始めであり、出来上がった社は総丸柱で草屋根にて高く後世に吹抜きの宮と云います。
現在に伝えるのが本殿裏に祀る倭姫神社であります。

第五十五代文徳天皇斎衛三年九月(1514)当村は上質の米が取れる事から大邑刀自、小邑刀自二人の酒造師が皇大神宮より大酒甕二個を携帯され、当宮山に遣わされ伊勢の翌年の祭に供える酒を造らしめ給うた、と文徳録にあります。
当時どぶ酒等は各地で醸造されていましたが、清酒の醸造は酒見が最初とあり、酒見神社は聖書醸造の元祖の神社という事になります。

皇大神宮遥拝所(倭姫命社)
第七十一代後三条天王延久元年(1729)伊勢内宮より式典等に明るき神宮神主の伊勢守吉明に神宮神主と兼任の体にて二百石を与え。従来の本神戸、新神戸、新加神戸に馬寄を合わせて今伊勢の庄の名を賜り、以来九百年間、平安時代より明治時代を通じて代々世襲をもって尾張今伊勢の庄本神戸神主たりと定められたのです。
(以上、境内御由緒より)

皇大神宮遥拝所の先に倭姫命社があり、石の祠の背面がくり抜いた形になっており、「吹抜の宮」の名残を留めている。尚、遥拝所の隣には栄水の井(さかみのいど)という清泉があり、泉の水で白酒黒酒を造り皇大神宮へ進貢していた。

石槽
そして、末社群の脇にひっそりと鎮座しているのは石槽といわれる二体の石。
酒を絞る台として使用された石らしく、酒造師が二個の酒甕を持参した際に併せて持ってきたとされる御石という。
石槽
石槽(いわふね)
上古、皇大神宮に進貢の神酒を醸したる器なり。
尚、本殿裏北中に白酒黒酒に用いたる大斎甕二個現存す。

歴史を感じさせる境内、そして趣き深い社殿は、正にボクの好きなお社。
こういうお社に巡りあえるのも、ひとつの楽しみなのであります。