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阿武隈の巨石 福島県飯館村のコンセイ様

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福島県相馬郡飯館村に標高600メートル程の葉山という里山があります。 その山の中腹に、大きなコンセイ様の巨石があるという話を聞き訪ねてみました。
この辺は福島原発からそんなに離れていない場所。 車通りや人通りはあまりなく閑散としていた。
しばらく進むと「葉山神社」の鳥居と石灯篭が。
コンセイ様(金精様)とは、金精神のことで、いわゆる男根のこと。 東北地方では、特に岩手県遠野にある「山崎のコンセイサマ」などが有名です。
『コンセサマを祭れる家も少なからず。 この神体はオコマサマとよく似たり。 オコマサマの社は里に多くあり。 石または木にて男の物を作りて捧ぐるなり。 今はおひおひとその事少なくなれり。』 (遠野物語)
一般にコンセイ様は安産・豊穣などを祈願して祀られ、 特に石神としての性格があるもの。
また、東北に限らず、多くの地域(皆様のご近所にも)に コンセイ様が道端に道祖神として祀られています。
山道を登ること約10分程度に いかにも『コンセイ様』と思わせる巨石が。
コンセイ様の近くに鎮座する 虎捕山 山津見神社が2013年3月全焼してしまったらしい。 とても残念・・・。 (立ち寄ろうと思っていましたが、時間やその他事情により躊躇してしまいました)

ということで、阿武隈お社巡りの旅はこれにて終了。
次回はいよいよ浄土の地、冥界への入口、異郷~熊野巡りです☆ 流さず(?)綴ったので乞うご期待です!

阿武隈の社 安福河伯神社 阿武隈の神を祀った蝦夷の社

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安福河伯神社
(宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢字堰下220鎮座)


白河からはじまったこの旅もいよいよ最終章。
今回は阿武隈川河口付近に坐する安福河伯神社についてです。

本神社は阿武隈川南岸の小高い丘(水上山)に坐している社だが、もともとは阿武隈川の畔に鎮座していたという。創建は景行天皇41年(西暦111年)8月6日、日本尊命の勧請とされ、延喜式内社に比定されている。

速秋津比売神を主祭神としているようだが、境内にあった案内板では「阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る」とされている。
一般に速秋津比売神は別名水戸神(みなとのかみ)と称され、港の神の意味であるが、古代の港は河口に作られるものであったので、水戸神は河口の神でもあるという。

谷川健一著の「日本の神々」にて本神社について以下のように記されている。
『陸奥国一百座の式内社の中には、侵略神であることが歴然とした武神があり、また開拓者が故郷から持ち運んだ神がある。蝦夷などもとから住んでいた住民が信奉した神がある。
たとえば亘理郡の安福麻河伯神社は阿武隈川の川の神を祀ったにちがいない。
河伯とは水神または河神のことである。』

由緒
この神社は、阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る、「延喜式神名帳」(十世紀)にものっている由緒ある神社である。
この地は、古来阿武隈川下流の治水用水、朝廷の北辺の守りとして重要な場所だったのだろう。そのため、この地にこの神社が祀られたと思われる。

社名は、「貞観紀」(862年)には阿福麻神社、「封内風土記」(1769年)には阿武隈明神社、「安永の風土記書上」(1799年)には、阿武隈神社、以前掲げてあった鳥居の扁額には、「阿武隈大明神」とあるが、みな同一社である。

古来近郷の人々に崇敬され、旧藩時代には邑主亘理伊達家によって手厚く保護されていたという。また、明治から昭和二十年までは郷社であった。
この神社は、もと亘理町逢隈田沢字宮原の阿武隈川に鎮座していたが、のち(年代不明)現在地の水上山(三掴山)の丘の上に遷宮された。

現在の本殿は、流造りで安政五年(1858年)八月で、拝殿・幣殿はそのあとである。
石段の登り口にある鳥居は花崗岩で、様式は明神造りである。
(亘理町教育委員会)

周囲には田園そして里山が広がっている。

次回はコンセイ様でも。

阿武隈の社 亘理鹿島三社の一社 鹿島緒名太神社

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鹿島緒名太神社
(宮城県亘理郡亘理町逢隈小山字西山21鎮座)

鹿島天足別神社に続き、亘理の鹿島社。
今回は鹿島緒名太神社について。

阿武隈川の河口沿いに標高200メートル級の峠が南北に走っているが、本神社は峠の北端に位置する西山という里山の頂上に鎮座している。

鳥居をくぐっった先は霊域と呼ぶにふさわしい鬱蒼とした鎮守の森が広がる。
苔のむした石段を登っていくと、木々の合間から社殿が姿を現しはじめた。

鹿島緒名太神社は、鹿島天足和気神社、鹿島伊豆比氣神社とともに「亘理鹿島三社」と呼ばれている社で、共に延喜式内社に比定されている。
御祭神は「武神」武甕槌神。
(但し、鹿島天足和気神社では猿田彦命が鹿島緒名太神社の祭神となっていたりしていてよく分かりません。)

由緒については諸説があるので、詳細は他のサイトを参照ください。

ただし、阿武隈川の北端に位置していることから、ヤマト王権の重要な軍事拠点だったのであろうと思えてくるし、附近に入植してきた武装移民の岐神として機能していたのであろうとも考えられる。

又、創建は景行天皇41年(4世紀前半)といわれており、日本武尊による東征の時期と一致している。

ここでちょっとメモ。
阿武隈川河口流域にはヤマト王権侵略の軌跡ともいえる古社が現存しているのと同時に、蝦夷が信仰していた自然崇拝(巨石信仰)の遺構が数多く残っているという。
例えば、宮城県丸森町の「立石」や、宮城県角田市の「笠島の立石」など。

今回の巡礼では時間の都合で巡ることは叶わなかったが、次回の楽しみにしておこう。

二の鳥居から遠景を眺める。
とても長閑で落ち着いた郷土の古社の雰囲気を残しているように感じました。

次回は阿武隈川の神を祀ったお社です。

阿武隈の社 「ヤマト」の最前線 鹿島天足和気神社と要石

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鹿島天足和気神社
(宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島字宮前97鎮座)

宮城県亘理町は阿武隈川の河口南側に位置しているのどかな町。

しかし、かつてはヤマト王権による『東夷』最前線基地であり、天津神の武神である武甕槌神(タケミカヅチ)を主祭神として祀る鹿嶋社が多く鎮座されており、小さな町にもかかわらず四座もの社が延喜式内社に比定されている。

その中で鹿島天足和気神社は、鹿島緒名太神社、鹿島伊豆比氣神社とともに「亘理鹿島三社」と呼ばれている社。

鹿島社の総本宮、鹿島神宮については以下リンクを参照ください。
常陸国一宮 鹿島神宮

現在は三門山の麓、亘理公園の傍に鎮座しているが、元々は三門山頂に坐していたという。
参拝時期は四月下旬。
鳥居前の桜は満開で実に美しかったです。

鹿島天足和気神社の祭神は武甕槌神で、「亘理鹿島三社」の中でも総社的位置付けされた社。
鹿島伊都乃比氣神社の祭神は稜威雄走神であることから、十拳剣=布都御魂。
即ち、香取神宮の祭神・経津主命で斎主神。
鹿嶋緒名太神社の祭神猿田彦命は国津神で岐神。

ということは、鹿島国に築いていた蝦夷討伐のヤマト王権の前線基地を福島浜通りを経由して亘理に遷し、その後、阿武隈川流域の前線を突破してさらに北上し、宮城県牡鹿半島~松島周辺に新たな前線基地を築いていったのであろう。

現に、宮城県黒川郡富谷町には本神社とほぼ同名である鹿島天足別神社という式内社が坐しているし、宮城県石巻市には鹿島御児神社という式内社もある。
当Blog⇒ 鹿島天足別神社、と傾いた亀石
当Blog⇒ 鹿島御児神社(石巻日和山)

鹿島天足和氣神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)

祭神
左殿 稜威雄走神(鹿嶋伊都乃比氣神社)
中央 武甕槌神(鹿嶋天足和氣神社)
右殿 猿田彦命(鹿嶋緒名太神社)

由緒
景行四十一年(111年)辛亥八月六日、三門山頂に日本武尊の勧請と伝える。
延暦元年(782年)五月、征夷に神験があったので勲五等二戸加封された。
貞観四年(862年)六月十五日官社「鹿島宮」となり、従四位上を賜った。
天慶四年(941年)北鹿島樫木山頂に再興した。

天文年間(1552年ごろ)十六代両種亘理兵庫守元宗公より神領寄附あった。
古来、神領地は神宮寺村と鹿島村であったが、天正の乱で廃絶した。
貞亨三年(1686年)現在地に伊達実氏(亘理邑主五代)再再興した…

阿武隈の社 日本三稲荷 竹駒神社

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日本三稲荷
竹駒神社
(宮城県岩沼市稲荷町1-1鎮座)

竹駒神社は、「日本三稲荷」の一社と言われてるようだが、その定義は曖昧。
稲荷社の総本社である伏見稲荷大社(京都)を筆頭に、豊川稲荷妙現寺(愛知県)、笠間稲荷神社(茨城県)、祐徳稲荷神社(佐賀県)、そして落語家「林家一門」崇敬の箭弓稲荷神社(埼玉県)などが主な「三稲荷」らしいです。

・・・よく思うと、あまり稲荷社に参拝しておりませんね、私。
鎮座地の岩沼市は阿武隈川の北側に位置し、海上・陸上交通の要衝として栄えた町。
東山道と東海道が合流する地点でもあり、門前はとても栄えていたのだろうな、と想像。

竹駒神社
御祭神
倉稲魂神・保食神・稚産霊神

御由緒
竹駒神社は古くから日本三稲荷の一社に数えられる極めて霊験あらたかな神社とたたえられ、衣・食・住の守護神であられる倉稲魂神・保食神・稚産霊神の三柱の神をお祀り申し上げております。
御創建は五十四代仁明天皇の承和九年(842年)で、小倉百人一首にも名を連ねる後の参議小野篁卿が陸奥守として御着任の際、東北開拓・産業開発の大神として御創建され、古くは平泉藤原三代、降っては仙台藩主伊達家歴代の尊崇非常に篤く、特に大衆を慈しまれる神として崇められております。
(以上、参拝の栞より)

元宮跡地の北側には、命婦社と竹駒神社奥宮が鎮座していたらしいが、巡礼の疲れのせいか、何故か参拝し忘れてしまいました。

御朱印

阿武隈の社 明神大社 大高山神社の白鳥伝説

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大高山神社
(宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬字神山45番地鎮座)

亘理町に坐する延喜式内社三社参拝の後、阿武隈川水系の白石川を西へ進む。
(亘理の鹿島社などは後程・・・)
道中、金蛇水神社などの有名なお社があったが、時間の都合で参拝できず、まっすぐ明神大社の古社・大高山神社へ向かった。
本神社は、日本武尊と、聖徳太子の父である橘豊日尊(用明帝)を主祭神として祀る社で、敏達天皇が即位した敏達元年(571年)に創建されたという。

大高山神社(延喜式内社)
江戸期まで柴田郡総鎮守として崇められた当社は、敏達天皇が即位した敏達元年(571年)に日本武尊を祭神とし創建、後に推古天皇御代、聖徳太子の父橘豊日尊(用明帝)も合祀された。
承和9年(842年)従五位の下から従五位に昇叙。

左大臣藤原忠平がまとめた延喜式には、国から貢物を受ける。
全国285社の一社となり、明治五年(1872)には郷社となる。
本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財鰐口(1293銘)、文治年間(1185~1189)藤原忠衡寄進の鉄九輪搭、江戸期の絵馬など貴重な文化財を多く所蔵する。
(以上、境内案内板より)

ちなみに、大高山神社の「大高」は白鳥信仰から由来したもので、「白鷹」から「大鷹」に訛ったものだという。

大高山神社の白鳥伝承は以下の通りです。

橘豊日尊は、第29代欽明天皇の皇子で、勅命を受けて東国巡幸の旅に出ていて、約三年間の滞在時に赤坂長者の娘である玉倚姫と恋に落ちた。

姫はある日、白鳥が飛んできて胎内に入る夢を見た後、まもなく皇子が生まれた。

しかし、尊は、入国以来白鳥を神と崇めて祈願した賜物と喜ばれたが、都より帰還の命を受けてしまい、尊は「三年後には必ず迎えの使者を使わすから・・・」と、姫を説得して帰られた。

左:鉄九輪搭(文治年間・平安末期の作品) 右:扁額
三年を経過しても使者は来ず、やがて姫は病に臥してしまった。
乳母は悲嘆にくれる姫を見るに偲びず、皇子を抱いて河畔に出て、

「姫は今、尊を思い煩い、命を落とそうとしています。
あなたは神様の化身だから、母上の身代わりになって、父君を呼び戻してください。」

と祈り、皇子を川の中に投じてしまった。

すると、皇子は白鳥となって深谷の鳥越の里から大和目指して飛び立ったと伝えられ、やがて訃報が尊の耳に届き、姫のために立派な墓を建てて弔ったと…

阿武隈の社 刈田嶺神社 白鳥大明神 (蔵王町宮)

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刈田嶺神社(白鳥大明神)
(宮城県刈田郡蔵王町宮字馬場1鎮座)


刈田嶺神社は阿武隈川水系白石川と松川とが分岐する地にあり、さらに奥州街道と出羽国(山形)へ向かう笹谷街道との分岐する地にある社で、御祭神は日本武尊。

往古は大刈田山(青麻山)の頂に鎮座したが、延暦十年(791年)、坂上田村麻呂が奥州に侵攻した時、西宮の白鳥神社を合祀したため白鳥大明神と称し、明治元年には正式に刈田嶺神社と改称したという。

旧鎮座地である青麻山は蔵王連峰の東山麓、蔵王町宮にある独立峰(標高799メートル)で、山の創成は蔵王より古い200万年前の火山で、昔から信仰の山として崇められていた。

山頂からは白石川から阿武隈川といった仙南地域や太平洋までを望むことができ、さらに交通の要所でもあることから、蝦夷討伐における極めて重要な拠点のひとつだったのではないかと推測。

ちなみに、蔵王山に鎮座する刈田嶺神社は蔵王権現の社で、当社とは関係ないらしい。

参道を登っていくと、立派な随身門が建っている。
この門は文政十年(1827)に宮の豪商森家により建築奉納されたものとのこと。

当社は延喜式内社明神大に列し、刈田郡総鎮守として、また、伊達家の家臣白石城主片倉家の祈願神社として古くから崇敬を集めた名社で、別号を白鳥大明神とも号した。
往古は大刈田山(青麻山)の頂に鎮座したが、延暦二十年(801年)西山の若宮に相殿となり、永正年間(1504~1511)現地に遷座された。

本殿は享保三年(1718)に片倉家により、拝殿と随身門は文政十年(1827)に宮の豪商森家により建築奉納された。
向拝蟇又の脚線、虹梁木鼻の彫刻、同袖部の若葉文頭貫の陰模様などに力強い美しさがあり、藩政期の建築様式も残し、学術上きわめて貴重である。
(以上、境内案内板より)

左:扁額  右:梵鐘
扁額には白鳥大明神の銘が刻まれている。
また、神仏習合の名残からなのか、境内には梵鐘があった。

御神木である夫婦杉。
毎年奉納されるという『百貫しめ縄』は残念ながらまかれていなかった。

ここ蔵王周辺には「白鳥伝説」なるものが存在している。
白鳥は、古くから神の使いとして信仰され、村人は道端で死んだ白鳥や川原で見つけた羽すらも手厚く葬っていたという。
そして、日本武尊といった東国征討に携わった者に纏わる独自の伝説も多いのが特徴。

本神社の祭神である日…