熊野古道を行く 険路 大雲取越 石倉峠~円座石~小口

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熊野古道 大雲取越 那智山~地蔵茶屋→http://travelog-jpn.blogspot.jp/2013/09/blog-post_15.html

大雲取越の苦しさは、建仁二年(1201)に後鳥羽院に随従して熊野に来た鎌倉時代初期の歌人、藤原定家が日記「後鳥羽院熊野御幸記」のなかで・・・

『終日嶮岨を超す、心中夢の如し、いまだかくの如き(苦しき)事に遇はず、
雲とり紫金の峯は掌を立つが如し』

ずっと険路越えで、悪夢のようだ。いままでこんな苦しい事に遇ったことなく、
雲取越は手のひらを立てたような急坂だった。(以上、意訳)

と記し、苦しさのあまり道中で一首の歌も詠めなかったといわれている。

そんな熊野古道中辺路・大雲取越の後半についてです。

大雲取地蔵尊
PM1:10
地蔵茶屋跡で食事休憩をして、いよいよ大雲取越の核心ルートへ。

石倉峠
地蔵堂から石倉峠へ進むと、景色は一変。辺り一面を苔に覆われた石畳の坂が眼下に広がる。
その光景は今までの道中では感じることができなかった程に美しく、辺りは不気味な程に静寂に包まれていた。

真ん丸石
そして『真ん丸石』は辺りにゴロゴロと転がっている。
絶対に魂が宿っている!と思い、触れることはしませんでした。

石倉峠~越前峠
紀の国の大雲取の峰ごえに 一足ごとに我が汗はおつ
茂吉

明治時代の歌人であった齋藤茂吉はこのように詠んだが、私的には眼下に広がる霊異な世界に感動して、

『おお、この風景こそ熊野古道じゃー!』

と、半ばナチュラルハイな状態で急坂を一気に登りきったのでした。

越前峠
PM2:10
越前峠の山頂へ到着。
標高870メートル、中辺路のなかでも最高所となる。
名の由来は、かつて熊野詣が盛んだった時代、峠の頂から越前国を見ることができることからだという。

胴切坂
PM2:50
胴切坂にて。
越前峠から胴切坂と呼ばれる標高差800メートルの石畳の坂を一気に下る。
霧たちこめる幽玄な熊野古道もよいが、陽光差し込む古道もまた好し。

熊野古道の路傍には数多くのお地蔵様が残っている。
その中でも印象的だったのが、写真の苔に生したお地蔵様。

長き年月を越えて、多くの参詣客、旅人などをじっと見守っていたお地蔵様。
緑深い苔の衣を纏った隠国の守り神は、幽玄な御姿をされて今も佇んでいる。

楠ノ久保旅籠跡
PM3:30
楠ノ久保旅籠跡
江戸時代には、十数軒の旅籠があり、大変にぎわったという。北に見える小雲取の桜茶屋を指さして、あそこまで宿屋がないからここに泊るように、と客引きをしたとの話ものこる。
18世紀の参詣者の日記に、旅籠の亭主がいろいろもてなしてくれるが、野菜を植えても猿と鹿に食べられてしまうので、干ワラビ以外には菜や大根の類はない、ということなども記されている。
ここには、大正年代まで旅籠が営まれており、「豆腐あります、風呂わいてます」が宿の宣伝文句であったという。
(案内板より)

経石と神籬
楠ノ久保旅籠跡には多くの地蔵様などが残っていて神秘的。
特に素晴らしかったのは、針葉樹に囲まれた『南無阿弥陀佛』と刻まれた経石と一本の神籬。
とても神々しく宇宙的な世界のよう!

PM4:00
中根旅籠跡をスルーして大雲取越で一番見たかった円座石に到着。
苔に生した巨岩に熊野三神を表した梵字が彫られている。

経石といえば、ネパール・ヒマラヤ山脈のマニ石。
標高3500メートルの高地に延々と続く祈りの街道。
よろしければこちらもどーぞ☆
Link⇒ ヒマラヤトレック編 ~ 祈りの路

三神の梵字が刻まれた円座石
円座石(わろうだいし)
石に刻まれた梵字は、右が阿弥陀仏(本宮)、中央が薬師仏(新宮)、左が観音仏(那智)を表し、熊野三山の本地仏の表現であるが、製作の年代や背景はよくわからない。

「円座」とは、わらやいぐさ等を丸く編んだ敷物のことだが、石の上面の模様がそれに似ていることから、この名が付けられたといわれている。
熊野三山の大神の「御茶屋所」(紀伊続風土記)とされたためか、三山の神々がここに座って談笑したとの伝えものこる。

PM4:25
緑深い森を抜けて小口集落へ到着。
無事に大雲取越を踏破できました!

今でも心に残っているのは、やはり石倉峠から円座石の区間。
霊的空間というか隠国(冥界)への道というような雰囲気を強く感じることができました。

小口橋
大雲取と小雲取の中間にある小口という集落は、山行における宿泊地点で、今でも数軒の旅籠所や宿がある。

雲取や 志古の山路はさておきて 
をくち川原の淋しからぬか
西行

西行法師は小口についてこのように物悲しく詠んでおり、「をくち」(奥地)が転じて小口になったという。

また、「『をくち川原の淋しさ』とは、生い茂る葦原の川原に木枯らしが吹きすさぶ夕暮れのもの悲しい風情なのでしょうか」と、小和瀬集落にある案内板に書かれていた。

赤木川(小口川)
熊野古道の雲取越は、熊野詣の参詣客や修行僧だけでなく土地の民の重要な径であった。
中上健次の『紀州』にも、明治時代の話で本宮から新宮に向かう際、「舟に乗ったら三十銭で行けるけど、友だちと山越えて小口(で一泊して)通って行たんや」と記述がある。

集落に一軒のみある雑貨屋さんでビールとおつまみを買い『小口自然の家』で一泊。
お風呂に入れる山行は、実に心地良い♪

次回は小雲取越です。
次回Link→http://travelog-jpn.blogspot.jp/2013/09/blog-post_21.html

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