26 September 2013

熊野古道を行く 温峯王子と大日越、そして大齎原へ

Location 日本, 和歌山県田辺市本宮町本宮

名湯・湯の峯温泉で旅の疲れを癒した後、いよいよ熊野本宮大社へ。
折角那智からここまで歩いてきたのだから、今回も熊野古道 大日越を経由して入山することにした。

これまでの道程
熊野古道 大雲取越 熊野那智大社~地蔵小屋
熊野古道 大雲取越 地蔵小屋~円座石~小口
熊野古道 中辺路 小雲取越
熊野古道 請川~川湯温泉~湯の峯温泉

湯の峯温泉は日本最古の自噴泉といわれ、今から1800年前の第十三代成務天皇の御代に、熊野国造大阿刀足尼によって発見され、熊野信仰と深く関わりながら熊野詣での湯垢離場として歴史を重ねてきた聖地であり、世界遺産にも登録されている。
温泉街を流れる湯の谷川は常に温かく、10日間程日照りが続くと、川の水が熱くなるという程で、ボーリング工事をしていない珍しい温泉。

かつては東光寺本堂脇に王子権現(湯峯王子)が並んでいて、その下に宮ノ湯、男湯、女湯、留湯が並び、川岸には非人湯もあったらしい。

ちなみに、湯の峯の語源は伝承によると、昔裸形上人が、東光寺本尊像の胸の小穴から湯が湧き出ているのを見て「湯の胸」と呼ぶようになり、それが鈍って現在の「湯の峯」に至ったとされている。

左:つぼ湯 右:玄峰搭と東光寺

左はつぼ湯と呼ばれる名湯で、日に何度か湯の色を変える事から『七色の湯』と呼ばれている。
説経「をぐり」で地獄に堕ち餓鬼阿弥にされた小栗判官がこの湯で蘇生したという伝承が有名。
「をぐり」についての詳細は以下リンクをご参照下さい。
⇒外部リンク 小栗判官伝説 (熊野本宮観光協会)

因みに600年程前のお話ですが、「死と再生の地=浄土の地 熊野」の側面を垣間見ることができます。

右は、慶應二年湯の峯で生まれた玄峰老師を祀る塔。
玄峰老師は盲目の和尚で、80歳のとき終戦の玉音放送にあたり「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の文言を進言し、新憲法下における天皇の位置づけについて「象徴」の言葉を助言したとされる人物。

熊野古道 大日越入口
駆け足で湯の峯温泉の史跡巡りを済ませて、熊野古道 大日越の登山道に向かう。
大日越は、かつて修験者・僧・神官など限られた人が祭礼の時に通る特別な道だったという。

湯峯王子社跡
登山道から少し登ったところに湯峯王子社跡が鎮座している。

世界遺産 湯峯王子社跡
湯峯は熊野本宮大社とゆかりが深い温泉で約1.8キロの「大日越」で結ばれている。天仁二年(1109年11月1日に三山参詣を果たして新宮から舟で本宮の宿所に戻ってきた貴族・藤原宗忠(1062~1141)は、午後のひとときを湯屋で過ごした。
この時、王子社に参拝したとは記されていないが、13世紀の熊野曼荼羅には「湯峯金剛童子」の姿が描かれ、正中三年(1326)の「熊野縁起」にも「湯ノ峯童子権現」とある。

湯峯王子
この王子は、温泉の噴出物が固まってできた薬師如来を本尊とする東光寺の本堂に隣接して祀られていたもので、温泉という自然物とその薬効が信仰の起源をなす点が他の王子社と異なっている。
明治三十六年(1903)の湯峯大火の後に現社地に遷されたが、熊野本宮大社の祭礼である「湯登神事」の重要な舞台としての伝統は、連綿と受け継がれている。
(案内板より)

境内脇には高浜虚子の句碑がある。
「峰の湯に 今日はあるなり 花盛り」

湯峯王子からしばらくの間、急な坂道が続く。

大日越は毎年四月三十日に熊野本宮大社の例祭「湯登り神事」の時「湯垢離」をとり「温泉粥」を食べ、「湯峯王子」で神事を済ませたのちこの路を本宮まで越すことになっている。

路は急坂ではあるが、しっかりと整備されており、安全。

大日越最高点
一気に登りきると大日越最高点、鼻欠地蔵に到着。

鼻欠地蔵
巨石に数体の地蔵が彫られている鼻欠地蔵は、鼻はおろか顔全体が削られている。
きっと廃仏毀釈の影響によるものなのだろう。
尚、左甚五郎の伝承が残されているというが、よく存じないので割愛。

ヤッホーポイント?
そしてここ最高点は、知る人ぞ知る「ヤッホーポイント」
山彦が2回聞えれば元気いっぱい!だそうです。

試しにやってみたら、3回聞えてきました(笑)

最高点から一気に下る。
人工林が殆どだが、一部幹の太い木々や照葉樹も交じっていて、少し開放的な雰囲気。

大日堂と月見岡神社
しばらく進むと大日堂と月見岡神社が坐している。
台座は苔に生していて、周囲は神籬のような石が整然と並んでいる。
月見岡神社は石祠のみのお社だが、前述の「湯登り神事」の稚児行列の際、この地まで渡御されるという熊野本宮大社の境外末社。(御祭神は月讀命と天照大神)

榊と供え物で祀られた大日堂
湯峯王子での神事が終ると、稚児(3歳以下の子供)の額には神さまが降臨していることを表す「大」の文字が書かれ、ウマ(父兄)の肩車に乗った稚児は大日越えを通り、途中月見岡神社にて一度八撥を行い、街道に出て大斎原を遙拝した後、本宮大社まで帰るという。

檜や杉が生い茂る社叢
ここ月見岡神社の社域は、今までの熊野古道にはないピンと張りつめた緊張感のようなものを感じた。また、幹の太い木々も多く自生しており、実に心鎮まる地でした。

月見岡神社から先は石段をテクテクと歩く。

大日越 入口
ついに熊野古道中辺路本宮前に到着!
約1時間程度のショートトレッキングでしたー。

やはり熊野古道の入口周辺は民家脇を通る。
大日越沿いの民家には鯉が数匹飼われていた。
とても涼しげで、心が和みました。

大斎原
そして眼下には大斎原の社域と熊野川が一望できる。
この景色を見るために歩いてきたも同然。
長き巡礼の疲れが一気に吹っ飛んだ。

熊野那智大社からここ大齎原(熊野本宮大社)までの40キロ強の道程を無事に完全踏破できたことの喜び。
この喜びは、自動車やバス等で手軽に巡る『熊野詣』では到底味わうことができないと思うし、中辺路随一の険路と言われる大雲取越~小雲取越~大日越を通じて、多少なりとも往古からの『熊野詣』を具現することができたのかな?とも思う。

とにかく、本当に強く強く心に刻まれた熊野古道の旅でした。

そして次回チャンスがあれば、吉野から熊野本宮までの難路~大峯奥駈道にチャレンジしたいなー♪

次回は大齎原と熊野本宮大社についてです。

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