29 April 2013

皇大神宮別宮 月讀宮

Location 日本, 三重県伊勢市中村町
月讀宮以下四別宮
(伊勢市中村町鎮座)

猿田彦神社参拝後、内宮・外宮から離れた別宮巡りをしてみた。
まず向かったのは、天照大御神の弟神・月讀尊を祀った月讀宮。

月讀宮は、皇大神宮(内宮)別宮のうち、荒祭宮に次ぐ格式があるとされており、外宮と内宮を結ぶ御幸道路の中間に鎮座している。

月讀宮以外に月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の計四宮が同じ境内に祀られているので、『月讀宮以下四別宮』と呼ぶのが正式名称らしい。

尚、伊勢市駅前に鎮座する月夜見宮は、豊受大神宮(外宮)の別宮であり、月讀宮とは異なる。

月讀宮 御幸道路側鳥居
御祭神の月讀尊は、天照大御神の弟神。

古事記によると、伊弉諾尊(伊佐奈岐宮の祭神)が、黄泉国から戻り、筑紫国の阿波岐原で禊祓いをしたときに生まれた神で、『左目を洗ったときに天照大御神、右目を洗ったときに月讀尊、そして鼻を洗ったときに建速須佐之男命(スサノオ)が生まれた。』

伊弉諾尊は生まれた際、天照大御神は高天原を、須佐之男命は海原、そして月讀命には夜之食国(夜の領国)を治めるよう委任されたとされている。

参道
西側(御幸道路)の鳥居をくぐって森深い参道を進む。
少し起伏はあるが、砂利が敷き詰められた参道はとても整備されていて、歩いていて実に心地良かった。

葭原神社
南側の鳥居脇には、葭原神社が鎮座している。

葭原神社は田畑を守護する五穀の神を祀るお社で、御祭神として佐佐津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比売命の三神が祀られている。

宿衛所を過ぎると、森の中から神明造の四殿の宮殿が悠然と姿を現す。

月讀宮 月讀荒御魂宮


月讀宮:月讀尊
月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂を祀る。


伊佐奈岐宮 伊佐奈弥宮


伊佐奈岐宮:伊弉諾尊
伊佐奈弥宮:伊弉冉尊を祀る。


現在の四宮がそれぞれ瑞垣をめぐらした姿になったのは、明治六年から。

「大神宮儀式帳」(804年)には、「月讀宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣内に祀られていたとされ、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されたのは、貞観九年(867年)以降。
さらに延喜式(927年)によると、伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮、月讀宮と月讀荒御魂宮がそれぞれ瑞垣をめぐらした一院を形成していたと記載されている。

祓所
次回は、豊受大神宮の別宮、月夜見宮です。

御朱印

27 April 2013

ふくしまの桜 - Cherry Trees in Fukushima

東北地方は、4月下旬、桜が満開になります!
長い冬の間、寒さにじっと耐えてきているので、東北の桜はとても色鮮やか。


昨年、阿武隈川流域を旅していた際に撮った写真でもどーぞ♪

浄土松のさくら
(福島県郡山市)

鹿島天足和気神社の桜
(宮城県亘理町)

雪村庵の雪村桜
(福島県郡山市西山町)

鹿島大神宮の桜
(福島県二本松市)
白和瀬神社の桜
(福島県福島市)

あぶくま巨石巡礼についてはいつか必ず。

次回は、再び伊勢神宮。
別宮月讀宮です♪

23 April 2013

おかげ横丁から猿田彦神社へ

Location 日本, 三重県伊勢市宇治浦田2丁目1−10

内宮参拝後、おかげ横丁を歩いてみることにしました。
おかげ横丁は、江戸時代から明治時代にかけて栄えた内宮近くの門前横丁。

蔵造りの建物やふるめかしい木造建築の建物が並び、とても風情があるのだが・・・。
訪れた時間は午前8時半だったので、どのお店も開店前。
残念ながら立ち寄って一服することができませんでした。

とはいうもの、ここ赤福本店は流石に開店しておりました。
朝食がわりに赤福3個をご購入ー。

そして、お白石。
お白石とは、宮川より拾い集めた「お白石」を新しい御正殿の敷地に敷きつめる民俗行事のこと。
この石が今年(平成25年)の神宮式年遷宮の際に、内宮の御正殿の御垣内に敷き詰められるのです。

ということで、次に向かうは猿田彦神社です。

猿田彦神社
(伊勢市宇治浦田2-1-10鎮座)


猿田彦神社は、外宮~内宮間を結ぶ御木本道路沿いに鎮座するお社。
御祭神は主神が猿田彦大神で、相殿は大田命。

神社前の木鳥居の前には二本の大木が根を張っている。
ちなみに、「みちひらきの神」の御神威があるようで、至る所に方角を現す「八角」が置かれている。
(鳥居の柱もよく見ると・・・)

拝殿
猿田彦大神については、当ブログの椿大神社(Link)阿射加神社(Link)などをご参照を。
大田命とは、猿田彦大神の御末裔で、略記によると倭姫命に五十鈴川上流の守護地を献上し、神宮が創建されたと書かれており、猿田彦大神~大田命の子孫である宇治土公家が玉串大内人という特殊な職承に任ぜられ代々奉仕しているという。

本殿
本殿は、二重破風の妻入造りで、通称「さだひこ造り」と呼ばれている。
神紋は「五瓜梅鉢」
佐瑠女神社
猿田彦神社境内に佐瑠女(さるめ)神社が奉られている。
御祭神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)。
天孫ニニギノミコトを猿田彦命の先導により日向の高千穂に到着し、日向の宮を築いた後、ニニギノミコトの命により、猿田彦命を伊勢まで送った神さまが天宇受売命で、その際、さるめ(=猿女)という名をニニギノミコトより頂いたとされている。

本殿
天宇受売命は、天岩屋のお話から「芸能の神さま」として崇敬される面もあるが、一方で、日向の海に入って、魚達に「天津神の御子(ニニギノミコト)」に忠誠する事を誓わせたが、ナマコが服従しなかったので、その口を小刀で切り裂いた、という怖い一面もある神さまでもある。
(ナマコの口が割けているのは、アメノウズメに切り落とされたからとされています。)

社殿と古殿地
拝殿前にある方位石は、昔の神殿跡(古殿地)に置かれた石柱。

社殿裏手に広がる御神田。
毎年ここで「御田祭」が開催されているらしい(三重県無形文化財)


次回は別宮~月讀宮です。

20 April 2013

皇大神宮(伊勢神宮 内宮) 荒祭宮 風日折宮

Location 日本, 〒516-0023 三重県伊勢市宇治今在家町 県道12号線

(前号リンク⇒皇大神宮 宇治橋~御正殿

皇大神宮御正殿
御正殿で参拝を済ませた後、広い境内に点在する別宮を巡りました。

御稲御倉と外幣殿
別宮 荒祭宮へ向かう途中、参道沿いにある御稲御倉と外幣殿。
御稲御倉は、その名の通り、御饌として神前に供えられるために神田から収穫した稲穂が納められる倉のこと。
伊勢神宮には神前に供えられる麻織や御塩等を祀る神さまのお社が数多くありますが、それは後程・・・。

荒祭宮
参道を下り、再び石段を登っていくと、皇大神宮内で第一の位に列せられている荒祭宮へ。

荒祭宮の御祭神は、天照坐皇大御神荒御魂。

日本の神道の概念では、神の霊魂が持つ側面には、荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)の2つがあると言われている。

荒祭宮
荒魂(あらたま)は、神の荒々しい側面であり、天変地異を引き起こし、病を流行らせ人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きで、神の祟りは荒魂の表れである。
それに対し和魂(にぎたま)は、 雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面であり、神の加護は和魂の表れである。
(本ブログ~出雲大社「国造り神話」とダイコク様 を参照)

森に囲まれた森に名かに佇む荒祭宮。
式年遷宮で建て替えれられたお宮のお姿も、活き活きとして美しいが、年月により風合いが変り、苔が生し始めてきたたお宮のお姿もまた、自然と共生している雰囲気があり、侘びのようなものを感じる。

左:御酒殿と由貴御倉   右:四至神

荒祭宮から神楽殿に向かうと小さな二殿の建物がひっそりと坐している。

御酒殿の祭神は御酒殿の守護神。古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所であったという。
そういえば、御酒殿に関連あるお社といえば、元伊勢に鎮座する酒見神社がありますね。

由貴御倉の『由貴』とは、清浄でけがれのないという意味である。
古くは御饌祭(みけさい)のお供えものや果物などを納めておく倉であったという。

四至神
五丈殿の脇には、さりげなく四方を縄で囲まれた石垣の中に、石神が祀られている。
四至神とは、神域を守護する神のこと。古より門番として皇大神宮を守護されていたのだろうか?

風日折宮橋
神楽殿から南に行くと、新しく架け換えられた風日折宮橋が。
真新しい木の色が実に清々しい。

この橋を渡ると、別宮 風日折宮が坐している。

風日折宮
風日折宮の御祭神は伊弉諾尊の御子神で、「風神」 級長津彦命と級長戸辺命。

『古事記』の神産み(神々の生成)にて、イザナギとイザナミの間に生まれた風の神で、関西地方では、龍田大社、関東地方では川勾神社が『磯長国(現在の小田原~足柄地方)を開拓した神』として祀られている。

風日折宮
もともとは「風神社」と呼ばれていたが、「風日祈宮」となったのは、鎌倉時代の蒙古襲来の文永・弘安の役の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験(神風)に応えたことから、「社」から「宮」に格上げされたという。

外宮(豊受大神宮)の『風宮』と同じなのですね。

五十鈴川と神路山
44000平方メートルにも及ぶ広大な神域には、自然の巨木が数多く自生し、「美しい日本」の原形を感じることができた。

再びこの地へ導かれる機会があることを心より願っております。

次回より伊勢地方に点在する別宮・所管社等についてです。

13 April 2013

皇大神宮(伊勢神宮 内宮) 宇治橋~正宮

Location 日本, 〒516-0023 三重県伊勢市宇治今在家町 県道12号線
皇大神宮 (伊勢神宮 内宮)
(伊勢市宇治館町1御鎮座)

宇治橋鳥居
いよいよ念願の「伊勢神宮 内宮」へ。

鳥居の先に見えるのは「神域」。
身も心も引き締まる。

宇治橋と島路山
宇治橋は、五十鈴川に架けられた橋で、神殿と同様に二十年に一度架け換えられる。
俗界と神域との架け橋。

第一鳥居
境内はとても広々としており、静か。
敷きつめられた玉砂利を踏みしめながら、ゆっくりと心を落ち着けて参道を歩む。

皇大神宮は、皇室の祖神でもある天照大御神を祀る神宮で、三種の神器のひとつである八咫鏡が御神体として奉安されている。
ちなみに三種の神器とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。

三種の神器については、 ⇒当ブログ 熱田神宮
を参照してください。

御手洗場
五十鈴川は神路山と島路山を水源とし、伊勢湾に流れる川。
別名「御裳濯川」と呼ばれ、倭姫命が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという。
ここで、参宮者は心身を清めるため、禊を行っていた。

瀧祭神
瀧祭神は五十鈴川守護の水の神。
古来から社殿のない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神。
清流五十鈴川を守護する水の神様として弥都波能売神を祭神としている。

神楽殿
皇大神宮は垂仁天皇二十六年の創設。
本宮について、記紀では以下のような記述がある。

「天孫降臨」
この二柱の(天照大御神の八咫鏡と思金神のこと?)は、さくくしろ、五十鈴の宮(内宮)に拜き(いつき)祭る。次に登由宇氣神(とゆうけのかみ) こは外宮の度相(わたらひ)に坐す神ぞ。

日本書紀では、崇神天皇の項にて、
「天照大神・倭大国魂の二神を、天皇の御陵の内にお祀りしたが、神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀った。よって堅固な石の神籬を造った。」
とあり、その地は現在の大神神社摂社の檜原神社とされている。

内御厨
その後、各地を転々とし、垂仁天皇の御代に、
「天照大神を豊耜入姫命から離して、倭姫命に託された。倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀の笹幡に行った。さらに引き返して近江国に入り、美濃を巡って伊勢国に至った。
そのとき天照大神は、倭姫命に教えていわれた。
この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。
傍国の可怜し国なり。この国に居らむと欲ふ。 
『伊勢国は常世国(海の向う)からの浪が打ち寄せる、
辺境だが美しい国である。この国に居りたいと思う』
そこで、大神のことばのままに、その祠を伊勢国に立てられた。そして斎宮を五十鈴川のほとりに立てた。これを磯宮という。天照大神が初めて天より降られたところである。」

とある。
御正殿前の石段
緑深き参道を歩むと、高台の先に御正殿が鎮座なされている。
神々しい風景に身震いをしてしまう。

御正殿
「神社」というと、見事な彫刻物で飾られた立派な社殿に、眩い朱色で彩られた神門等というお社が多いのに対し、伊勢の神宮の社殿(実際は御門までしか見ることはできないが)は、掘立柱に茅葺屋根という古代から続く素朴な造り。

そこには、神仏習合など世俗的な影響に惑わされていない日本古来からの様式を感じ取ることができるし、西洋・中東にはない日本古来の「木の文化」を強く意識することができると思う。

御正殿の御幌
参拝中、御幌(みとばり・・・正殿前の白い幕)が風に揺られて、フワっと舞い上がった。
月並みな言い方だが、神さまがまるで少し顔を出したかのよう。

御贄調舎
御正殿の向かいには、御贄調舎と呼ばれる切妻式の建屋がある。
内宮の祭典のとき、神饌の代表として、アワビを調理する儀式がなされるところという。

御贄調舎にある神座
御贄調舎の中にある外宮の祭神・豊受大御神が降臨される神座。
内宮の御祭神である天照大御神を見張っているかのように・・・というのは考えすぎかな?

五十鈴川
3月上旬の参宮だったので、神路山から五十鈴川伝いに伊勢湾へ吹き降ろす風が冷く、そのせいか、凛とした気持ちで参拝することができた。

つづく

次回リンク⇒皇大神宮 別宮 荒祭宮 風日折宮

御朱印