31 August 2013

紀州熊野を巡る 紀伊勝浦港の夕暮れ

Location 日本, 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦

夕暮れの那智勝浦。
平日だったせいか、とても寂しい雰囲気・・・。

せっかく勝浦漁港近くにいるので、地元の料理屋でご飯を食べることに。

まぐろの心臓と胃

なかなか食べれないまぐろの心臓と胃をはじめとして、
マグロ丼など食してみた。
特にまぐろの心臓や胃は酒の肴にぴったりで、珍味で美味しかった~。

勝浦湾にあるホテルへ向かう。

湾内には鯨の船や・・・

亀さんの形をした船などがお出迎え。
(この船に乗ってホテルへ向かいました)

ホテルの部屋からみた『那智山』
とてもキレイな夕暮れでした。

宿泊したホテル浦島は、いかにも『昭和』的リゾートホテル。
温泉の泉質もよく、とても寛ぐことができましたー☆

次回は、いよいよ熊野三山です♪

27 August 2013

戸隠山に挑む (2) 超難所 蟻の搭渡りから山頂へ

Location 日本, 長野県長野市
前回リンク→ http://travelog-jpn.blogspot.jp/2013/08/blog-post_24.html(戸隠三社~戸隠山胸突岩まで)

まずは戸隠メモ。
戸隠山は平安時代より修行の場となっていた険峰。
室町時代には『戸隠三十三窟』として成立し、修験者達は山中にある33の洞窟を巡礼していたと思われます。
現在もいくつかの窟が現存しており、遠くから見ても窟の存在が確認できますよ。

蟻の搭渡
9:35 蟻の搭渡~剱の刃渡

さて、胸突岩を登りきり最後の鎖場を越えると、その先には幅50cm程度のナイフリッジが待ち構えていた。
切り立った両側は高低差150メートル以上の絶壁!!(戸隠連峰ガイドマップより)

ここが難所 『蟻の搭渡り~剱の刃渡り』です。

おそるおそる渡ろうとすると、誰かが落した落石の音が・・・

『ゴロン、ゴローン、ゴローーン・・・』

と、沢全体に響きわたった。

止むことのない落石の音を聞いてしまい、
半端ない程の高低差なんだな・・・
と思った瞬間、身体が急に動かなくなってしまった。

さらに、ナイフリッジ(すなわち登山道)の真上にはなんと、猿のウ○チが乗っかっていた。
私達の後ろのパーティーの方はズボンにウ○チを擦りつけてしまっていました(笑)

エスケープルートはあるものの、長く垂直に近い鎖場を降りて、脆い岩質につま先が僅かに乗る程度の崖をトラバースしなければならず、どちらも危険・・・。
(協会の方に聞いたところ、先日の滑落死亡事故はエスケープルートを使用して滑落したらしい)

もし一回でもミスをしたら、間違いなく墜落~即死です。

剱の刃渡
勇気を振り絞ってやっとこさ、蟻の搭渡を通過したら、またもや難関、『剱の刃渡』が・・・。
ここは距離こそ短いものの、何と最小幅が僅か15cmのナイフリッジ!
私は跨いで渡らずに身体を岩にホールドさせて、尾根脇にある僅かな足場を頼りにカニのように進みました・・・。

蟻の搭渡~剱の刃渡

何とか無事に通過成功、とにかくパートナーの励ましのお蔭でした。
尚、渡った後はしばらく放心状態で、身動きが取れませんでした(苦笑)

蟻の徒も 手を引渡る山の背を
ためらひたどる 身こそ寒けれ (戸隠一首)

ガイドマップには北アルプスとの比較が。

事故の場合、北アルプスの場合は・・・
「転落、滑落。軽傷、重傷で助かることも多い。」

これに対し、戸隠連峰の場合は・・・
「墜落。したがってほとんど即死。」

・・・(無言)

ちなみに、昭和初期までは両脇には大きな木があったらしいが、雪崩により現在はこのような絶壁になったという。また、岩質が凝灰角礫岩(さざれ石)のため、岩盤が脆く風化が激しいため、年を重ねる毎に足場が痩せてきているらしいです。

八方睨
10:20 八方睨

蟻の搭渡を過ぎて八方睨に至る急坂~岩場を乗り越えて、何とか八方睨に到着。
少し早いがここで昼食&大休憩。

鏡池と蟻の搭渡
渡っているときにはガスがかかって眺望がなかったが、八方睨に着いた頃にはすっかり霧も晴れてきた。
改めて蟻の搭渡の絶壁でも・・・。

左:飯縄山 右:高妻山

南には僅かに飯縄山の眺望。
そして、戸隠連峰の最高峰、裏山こと高妻山の山容がくっきりと見ることができた。
本来ならば北アルプスや立山連峰の雄姿を拝むことができたらしいが、近隣の山々しか見ることができませんでした。

11:00 戸隠山頂

ゆっくり休憩したのち、戸隠山の山頂へ。
やったね!

戸隠山から九頭龍山までの「稜線歩き」はスリリング。
上の写真にある岩の上を進まなければならないのです・・・。

「天の岩戸」
大地に突き刺さっている高さ200メートル以上の岩塊。
まるで、戸隠山の由来となった「天の岩戸」のよう。
岩の割れ目の奥には、天照大御神が隠れられていそうな幽玄な雰囲気を醸し出している。

背後には飯縄山
眼下には戸隠神社奥社の参道がうっすらと見ることもできる。
それにしても何ともいえない高度差です!

足引の 深山の 奥の谷の戸に
たへず吹なり 間々の谷風
(深山の奥の谷の入り口に絶えず吹くことだ、崖の谷風は。)

自称『ゴリラ岩』
12:20 九頭龍山頂上に到達

何度か登り返しがあり、さらに歩いて右側(南側)は断崖が続いていて、肉体的にも精神的にも疲れたが、何とか二つ目のピークに到達。
上の写真は、まるでゴリラの横顔のような形の大岩だったので、思わずパシャリ。

そんなときに心を癒してくれるのが高山植物。
可憐なお花が数多く咲き乱れていました☆

「戸隠富士」こと高妻山の美しい山容。
撮影して数十秒後にはガスに包まれて消えてしまいました。

九頭龍山から一不動へ一気に下山。
木々が霧に濡れて青々としている。

13:30 一不動避難小屋

ようやく目印の一不動避難小屋へ到着。
ここは高妻山の登山路と交差する場所で、高妻山から下山してきた登山客と30分程会話したりしてリラックスしておりました。

帯岩

14:10 不動滝を越えて帯岩へ

一不動から先は大洞沢を一気に下る。
ガレ場が多く、沢を何度もクロスしたり、滝の脇を降下しなければならなかった。
(ちなみに「氷清水」という水場があり、そこの源流水はサイコーに美味しかったです。)

そして帯岩という一枚岩へ。
沢を下っていたせいか、足底が滑りやすくなっていてるので要注意。

帯岩を横切る。
『落石注意』と看板に書かれていても、この状態じゃ何もできません・・・。

帯岩と不動滝
そして、もし誤って足を滑らせてしまうと、上写真左側の大岩経由で滑落してしまいます・・・。

滑滝
14:30 滑滝

さらに急なガレ場を下っていくと、滑滝という鎖場へ。
滝の脇をゆっくり慎重に降下。

ところどころ濡れて滑りやすいが、慎重に進めば特に大きな問題はないかと思います。
パートナーもゆっくりと降下しています♪

15:15 戸隠牧場入口

沢伝いに進み、ようやくゴールの戸隠牧場入口に到着!!
何故か脱獄に成功してシャバに戻ったような気分(獄中に入ったことはありませんが)になっておりました。
とにかく、怪我なく山行できてよかった、ヨカッタ。

鎖場や沢下り等は楽しかったけど、「蟻の搭渡り」を通過するのは高所恐怖症の私には、流石にもう一回やれ!と言われても無理かもしれません・・・。

<まとめ>
総距離: 12.35km
最大標高: 1910m (戸隠山頂)
最小標高: 1081m (戸隠神社宝光社)
標高差:829m

次回からはいよいよ熊野三山についてです☆

24 August 2013

戸隠山に挑む (1) 戸隠三社から胸突岩まで

Location 日本, 長野県長野市

鏡池から望む戸隠連峰
熊野詣の途中ですが、夏休みの登山について少々・・・。

戸隠山は北信五山のひとつで、通称『表山』と言われている。
天の岩戸伝説があるように、一枚の屏風岩が突き刺さったような特徴的な山容、そして古くから行者(修行僧)が山中の窟に籠って修行していた修験の峰。

今回は、戸隠三社(宝光社、中社、奥社)を巡った後に入山し、戸隠連峰を縦走して、一不動から下山するという『戸隠修験道』の極みを行く(?)コースで登山してみました。

5:30 戸隠神社 宝光社

戸隠神社宝光社近くの宿坊に前泊し、朝5時すぎに出発。
宝光社から中社までの『神道』は、鳥のさえずりが森の中で響き渡っていてとても心地良かった。

6:10 戸隠神社 中社

宝光社に続いて中社へ参拝。

6:55 戸隠神社奥社 随神門

中社から越水が原を越えて奥社へ。

奥社といえば、随神門と大杉の参道。
瑞々しい朝日が木々の間から差していて、とても神々しくみえます。
ちなみにお盆期間でしたが、参拝客が少なくてとても静か・・・早起きは三文の得ですね。

戸隠神社の詳細は、後日たっぷりとー☆

登山口
7:40 登山道入口

お社でゆっくり参拝して、心を鎮めて登山口へ。
登山口前では係員のおじさんがチェアに腰かけながら、戸隠山(蟻の搭渡り)についての説明をしていた。また、数か月前に登山事故で登山客が亡くなったからか、ヘルメットの貸出しもされていた。

登山カードに記入したのち、いよいよ修験の山~戸隠山へ入山。

登山口からいきなり急登が続く。
どの山でもそうだが、登り始めは本当にキツい・・・。

登り始めて40~50分後、ようやく樹林帯から脱出。
戸隠山の眺望が見え始めてきた。

五十間長屋
8:50 五十間長屋~百間長屋

最初の鎖場を越えると、荒々しい岩壁が眼下に広がる。
かつての行者の修験の窟だったとされています。

百間長屋
「神ならで 誰か棲み得む岩殿に 渡り橋有人のかよひ路」(戸隠百首)

ちなみに、この岩壁には一本の鎖があり、10メートル程登ると、洞穴と小さな祠があったらしいです。
(私は気付きませんでしたが・・・)

百間長屋
百閒長屋を遠望する。
断崖直下を進んでいたのですね・・・と思っていたら、ガサガサっと音が!
またもやクマに遭遇??と思ってビクビクしていたら、野生の猿でした。

ちなみに、山中でクマに遭遇した巻はこちらです。
北アルプス 常念山脈縦走 常念岳~大天井岳(Link)

9:00 鎖場

天狗の露路を過ぎると、鎖場が続く。
樹林帯の急登にいささか飽きていた私も気合いをいれて、真剣に岩と対峙。

次から次へと鎖場がやってくる。

9:30 胸突き岩越え

胸突き岩という斜度70度、20メートルの岩場を乗り越えて、安堵している私。

『やれやれだぜぃ・・・』

しかし、最後の岩を乗り越えると・・・

蟻の搭渡
ガスに包まれた先には、鋭利なナイフリッジがいきなり待ち構えていた・・・(泣)

ここが難所『蟻の搭渡り』
両側はほぼ垂直に切り立っていて、特に不動沢(西側~写真右側)は落差約150メートル。

『落ちたら即死やないかー!!』


次回は、難所!蟻の搭渡りに挑む!!の巻です。
リンク→http://travelog-jpn.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html

21 August 2013

楯ヶ崎と阿古師神社 伊勢・熊野大神が対峙する神話の地

Location 日本, 三重県熊野市甫母町
楯ヶ崎と阿古師神社~神武天皇漂着の地
(三重県熊野市甫母町609鎮座)

熊野街道(国道42号線)から海岸線伝いに走る国道311号線へ。
道幅が一気に狭くなり、運転を誤ったら崖の下に落ちてしまうような道が続く。
約1時間程走ると、記紀神話『荒坂の津』の舞台地とされている二木島湾に到着する。

二木島湾
ここ二木島は、かつて牟婁(熊野國)と阿古(伊勢國)との境で、『日本書紀』に記された神武天皇東征軍の荒坂津への上陸伝説や千畳敷で盾ヶ崎を望んで伊勢大神と熊野大神が酒盛りしたという伝説が残されている神話の地である。
また、中上健次書下ろしの衝撃的な映画『火まつり』の舞台地。

私自身としては、ある意味『熊野』の地の中で一番立ち寄りたい場所であった。

駐車場から探勝歩道(というかハイキングルート)を約30分歩くと、二木島湾へ辿り着く。
さらに進むと印象的な白い鳥居が蒼い海に向かって立っている。

神武天皇東征の際、海上で暴風雨に遭ってしまい船団は漂流。神武天皇の二番目の兄・稲飯命(稲氷命)、並びに三番目の兄・三毛入野命(御毛沼命)は入水して薨御された。
二木島の土民が両命を発見、帰港して二所に奉葬し、稲飯命の御陵を産土神として祀ったのが室古神社となり、また三毛入野命の御陵を祀ったのが阿古師神社という。

阿古師神社境内
境内は蒼い海に面し、鬱蒼とした山の木々に囲まれてとても神秘的。

さて、本神社を理解するには記紀神話の知識が必要。
なので、神武天皇が熊野に上陸したお話を簡単に・・・。

天孫降臨の地、日向の高千穂峯に降り下った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の三代目の子孫、神日本磐余彦(かむやまといわれびこ~後の神武天皇)は兄・五瀬命らと共に、国家統治の場所を東方に求めて倭国に向かった。
豊国・筑紫国・安芸国・吉備国を経て、河内国草香村(日下村)の白肩津に着き、生駒山を越えて倭(大和)に入ろうとするも、河内国を支配していた長髄彦(ながすねひこ)の軍に行く手を阻まれて、神武天皇の兄・五瀬命も戦死してしまった。

阿古師神社 社殿
一行は紀伊の名草邑に着き、名草戸畔(なくさとべ)という紀伊の女王を誅された。
そして、熊野の神邑に至り、天磐盾(熊野速玉大社別宮:神倉神社)に登り、更に海を渡るとき暴風雨に遭い、船は波に翻弄されて進まなくなってしまった。

神武天皇の兄・稲飯命は「ああ、我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、海に苦しめるのか。」と嘆き剣を抜いて海に入り、鋤持神になられた。
また、兄・三毛入野命も「我が母と姨は二人とも海神である。なのにどうして波を立てて溺れさすのか」と、波頭を踏んで常世国においでになった。
(つづく)

このとき、海に入水された神武天皇の兄三毛入野命を祀ったのが阿古師神社、稲飯命を祀ったのが室戸神社なのである。

多きなコブを抱えた木と陽光が差す幻想的なお社
由緒
昔、二木島湾を境にして、熊野(弁婁・・・むろ)の国と伊勢(英虞・・・あご)の国に分かれていた。
この地は伊勢の国に属していたことから、阿古師神社の名が付き、向いの神社は室古神社の名が付いたという。
「紀伊続風土記」に「村より卯辰(東南東)の方、出崎を阿古崎といふ。海上渡り二十余町阿古崎の艮(うしとら)、阿古師明神あり。二木島の辰の方の出崎に在する室古明神と入海を隔て東西相対す。阿古師は英虞の神なるべし。」と両神社の関係が記されている。

祭神は豊玉姫命、伊勢大神、三毛入野命との説があるが、このうち、三毛入野命については、神武天皇の兄で、天皇御東遷のとき遭難しこの地に祀られたと伝えられている。

対岸に坐する室古神社へ向いている鳥居
また、「日本書紀」 持統天皇六年(692年)阿胡の行宮において紀伊國弁婁郡の阿古志海部 河瀬麻呂の兄弟が鮮魚を献上したとあるのはこの神社である。

室古神社との間で行われる例祭は従来5月5日と11月2日であったが、現在は11月3日である。神社での古式に則った祭典の後で開催される関船競漕は、8本の櫓を32人で漕ぐ八挺櫓の競争で、水軍や捕鯨の際の勢子船の早漕ぎを彷彿とさせる力強く勇壮で活発なものである。
(以上、境内案内板より)

熊野の千畳敷
阿古師神社を後にして、緑に囲まれた登り下りのある山道をさらに進むこと30分。
巨大な岩盤な続く千畳敷、そして美しい海岸線が突然眼下に広がった。感動。

千畳敷には、楯ヶ崎を望んで伊勢大神と熊野大神が酒盛りしたという伝説が残っている。
また、写真奥の二木島湾を包み込むように聳えている峠は『逢神坂(おうかみざか)』と呼ばれ、伊勢大神と熊野大神が出会う場所だったという。

楯ヶ崎
そしてここが楯ヶ崎。
高さ約80メートル、周囲550メートルにも及ぶ柱状節理の花崗岩(熊野酸性岩)岩塊。
その美しくも荒々しい造景に大感動!!
花の窟にも訪れた平安時代の中期の歌人・増基法師は楯ヶ崎を訪れて、次のような歌を詠んだ。

楯ヶ崎といふところあり。
「神のたたかひしたる所」とて、楯を突いたるやうなえう巌どもあり。
(増基法師集「いほぬし」より 長徳元年(995年)頃)

千畳敷から楯ヶ崎を眺める。
そしてこの地は、日本書紀において神武天皇の上陸地とされている。
日本書紀に、「神武天皇が熊野の荒坂の津に上陸して、この辺一体を治めて住民を苦しめていた丹敷戸畔(にしきとべ)を滅ぼした」と記されており、その場所が荒坂の津(二木島湾の楯ヶ崎附近)といわれている。

海金剛
(先程の神武天皇東征神話の続き)
神武天皇の兄が入水した後、天皇は皇子天研耳命(イワレビコ)と軍を率いて進み、熊野の荒坂の津に漂着して丹敷戸畔という女王を誅された。そのとき神が(古事記では『神の化身の熊』)が現れて毒気を吐いて人々を萎えさせた。
この時、熊野の高倉下(タカクラジ)が布都御魂という神剣を携えてイワレビコノ命の下へ向い、剣を受け取ると気を失っていた一行は眠りからさめ、熊野山の荒ぶる神々はその剣をふるわないうちに切り倒されてしまった。

その後、高天原から降りてきた八咫烏の先導で吉野を経て倭に入り、大和国を平定したのだった。
(おしまい)

「熊野の高倉下」や「八咫烏」などは後に紹介する熊野三山でも登場してきます。

美しくも荒々しい神話の地。
遙かに遠いこの地を巡ることができ、心の底からよかったな、と感じた。

また、今回は神武天皇側に立って記してみたが、紀の国の女王~名草戸畔・丹敷戸畔の側のストーリーはどういうものなのだろう?
一度じっくり調べてみよう。

また、出雲の風景に類似しているようにも思えたので、リンクをご参照を。
参照Link⇒出雲路を歩く~日御碕の風景