23 November 2013

平将門所縁の社 國王神社 (下総國)

Location 日本, 茨城県坂東市岩井
國王神社
(茨城県坂東市岩井951鎮座)

社頭
茨城県坂東市は鉄道が市内に通っておらず、乗用車なしでは巡るのがとても難しい町。
諸般の事情で、車でこの方面に向かうことができたので、近隣のお社巡りをしてみました。

旧岩井市街から結城街道に向かうと、深い社叢に包まれた國王神社が鎮座しています。
國王神社の御祭神は平将門で、崇徳院、菅原道真と並び日本三大怨霊の一人と畏れられ、平将門の終焉の地に建立された社として有名です。

境内
鳥居をくぐると、長い一本の参道が続き、その先に茅葺屋根の小ぢんまりとした社殿がひっそりと佇んでいる。
参道周囲は深い木々のせいか、昼間にもかかわらずとても薄暗く、まるで将門の神霊が浮遊しているかのような雰囲気がムンムン・・・。

拝殿
下総国の武将であった平将門は、女性問題や遺領の配分等巡って一族と争い、その後、常陸国の国府襲撃にはじまり、下野(栃木県),上野(群馬県),武蔵,相模(神奈川県)の諸国を配下におき、八幡大菩薩の神託を得たとして新皇と称して『坂東八カ国の独立』を宣言し、下総国猿島郡石井(鎮座地)に王城の建設を始めた。しかし、結局平貞盛や下野国の藤原秀郷らによって滅ぼされた。

扁額と注連縄
平将門公の三女・如蔵尼は平将門の戦死の際、難を逃れ奥州の恵日寺付近に庵を結び出家し隠棲していたが、父の33回忌だった天禄3年(972年)に霊夢を得て、奥州から下総の地に帰郷し、父・将門の最後の地に戻り、傍の林の中より怪木を見つけて、父の霊像を刻み、翌春2月14日に祠を建て「国王大明神」の神号を奉ったのが創始とされ、「寄木造 平将門木像」(茨城県指定文化財)を御神体としている。

拝殿内
国王神社
祭神は平将門である。
将門は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。
天慶三年(940)二月、平貞盛・藤原秀郷の連合軍の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、三十八歳の若さで戦死したと伝えられる。

本殿
その後長い間叛臣の汚名をきせられたが、民衆の心に残る英雄として、地方民の崇敬の気持は変わらなかった。本社が長く地方民に信仰されてきたのも、その現われの一つであろう。

本社に秘蔵される将門の木像は将門の三女如蔵尼が刻んだという伝説があるが、神像として珍しく、本殿とともに茨城県文化財に指定されている。
坂東市
(境内案内板より)

尚、鎮座地周辺は近年発掘された宮内遺跡があり、製鉄時に出た鉄滓等が多数発掘されたということから、恐らく多くの刀剣類がこの地で作られたと思う。
将門は、「反りを持った最初の日本刀を作らせた武将」と言われているので、きっと多くの刀匠がこの地に居住して、将門に良質な刀剣を献上していたのであろう。

宮内遺跡
神社北東側にある遺跡で2011年に発掘調査がなされた。遺跡の年代は古墳時代から平安時代で、大型竪穴住居跡64棟や倉庫、製鉄の鍛治工房と思われる建物群の柱跡、遺物や鉄滓等が多数発掘された。

拝殿より境内を望む
平将門伝説所縁の社なだけあって、とても幽玄な雰囲気が漂ったお社でした。
本神社近隣にもゆかりの史跡等が多くありましたが、時間の都合で巡ることができませんでした。

次回もまだまだ続きます。

21 November 2013

関東の古社 一言主神社 (下総國)

Location 日本, 茨城県常総市大塚戸町875
一言主神社
(茨城県常総市大塚戸町875鎮座)

一の鳥居
一言主神社は大同四年(809年)、大和国葛城の一言主神社を勧請し祀ったのが創建と言われているお社で、菅生沼の東にある「三竹山」と呼ばれる小高い丘に鎮座している。

鎮座地周辺を流れる鬼怒川流域は古来から居住地で、縄文遺跡や古墳が点在しており、江戸時代は舟運として栄えていたという。

境内
本神社の祭神は一言主神で別名事代主神。
出雲の国大国主神(出雲大社)の長子であるといわれている。

金剛山頂葛木神社、高知市土佐神社縁起によると、第二十一代雄略天皇が葛城山に猟された時、面貌容姿が天皇に似た人が現れ、吾は一言主神なりと名乗られ、天皇と共に猟されたが、一頭の鹿を逐うて矢を射るに、互いに譲り合われ、その言葉は逢仙にようであったと載せてある。
その他、国譲り神話などでも登場する神さまですね。

拝殿
一言主神社
 一言主神社の社伝によると、大同四年(八〇九)現在の社殿の西方に雷光を放つ筍(たけのこ)が生え、数夜にして三岐(みつまた)の竹に成長した。不思議さに村人が行者に祈祷させたところ、一言主神の託宣があり、この地に社殿を造営し、大和国(奈良県)葛城の一言主神を迎え鎮斎したのが創祀と伝えられている。一言主神社が「三竹山」と称される所以である。
 一言主神は、出雲の大国主神の長子で別名事代主神とされ、言行一致の神、一言の願い事でもおろそかにせず願いをかなえる神として篤い信仰を受け、県外からも多くの崇敬者が参拝に訪れる。

本殿
本殿は、社殿によると、長禄三年(一四五九)に下総国守谷城主相馬弾正胤広侯(平将門の後裔)の寄進によって再建されたとされている。現存する社殿は、元禄一三年(一七〇〇)正月遷営のときに大修理が行われた。一見社流造(いっけんしゃながれづくり)で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)風の銅板葺。身舎(もや)外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、後側に「鶴と牡丹」の彫物が釘止めされ、脇障子には「三岐の竹」の彫物がはめられている。本殿は、昭和五九年(一九八四)市指定文化財に指定された。

御神木
九月一三日の一言主神社秋季例大祭の奉納行事である「葛城流からくり綱火」(指定名「大塚戸の綱火」)は、あやつり人形と仕掛花火とを結合させたもので、空中に張り巡らした綱により花火のついた人形(木偶/でく)を操作し、芝居を演じる民俗芸能である。万治二年(一六五九)大塚戸村向山に三峰神社が開基されるにあたり、村民が花火を奉納したのが始まりとされている。江戸時代より一言主神社の奉納行事として永く伝承されてきたが、終戦直後の昭和二十二年(一九四七)諸般の事情により中断。しかし、昭和四十四年(一九六九)に大塚戸芸能保存会によって復活上演されるようになった。
 昭和五十五年(一九八〇)に市指定、平成十一年(一九九九)には県指定無形民俗文化財となった。
水海道市観光協会/水海道市教育委員会

小口積石棺
社殿脇にあった珍しい石棺。

この出土品は、神社の西北1500メートル先にあるこの地方最大の大塚戸古墳群のうちの一つであり、珍しい小口積石棺である。
今より千数百年前の古墳後期のもので、縦30メートル、横22メートルの前方後円式古墳から発掘したという、南方民族が当時すでに利根川を溯って此の地に安住し文化をもたらし神社の創立(平安時代、平城天皇、大同四年、西暦809年)となったことが伺われる。

左:石祠 右:御神水

本殿裏手の社叢には多くの石祠が奉られていた、また、御神木脇には御神水が。


左:摂末社 右:謎の大石

社殿脇には摂末社が祀られ、御神石のような大岩も奉られていた。

鎮座地は『三竹山』と呼ばれているがその由縁となるのが下記の民話らしいです。

今より千百五十余年前、今の社殿のあるあたりに奇しき光現れて、雪の中に忽然と筍が生じ、三岐の竹となりました。
冬の時期余りに不思議に怪しいので、村人が俄にお祓いをし、湯立の行事をしてトいますと、

「吾は大和國葛城山に居る一言主大神なり。今東國の万民の災禍を救わんが為に来れるなり。即ち此の三岐の竹を以て永く契とせよ。」

云々と託宣せられました。

依って村人これに驚き、此処人跡を禁じ、社殿を造りお祀りしたのです。
其の後も時折三岐の竹が生えるので、三竹山と呼ぶようになったのであります。
(境内案内板より)

次回は、下総の英雄~平将門所縁のお社です♪

17 November 2013

関東の古社 茂侶神社 (下総国)

Location 日本, 千葉県流山市三輪野山5丁目
茂侶神社
(千葉県流山市三輪野山619鎮座)

二の鳥居
再び神社参拝記です。

茂侶神社(もろじんじゃ)は千葉県流山市に鎮座している古社で、延喜式神名帳にて『下総国葛飾郡茂呂神社』と比定されている。
石鳥居をくぐると一本の長い参道があり、さらに進むと朱色の両部鳥居がある。

両部鳥居をくぐってさらに神域へ。
緑深き境内が実に心地良く、幹線道路が隣接しているにもかかわらず、とても静か。

拝殿
地名や社名の通り、茂侶神社は大和国一宮である三輪神社の御祭神である大物主命の分霊を祀る社。御神体である三輪山は三諸山などとも称されており、ミモロ⇒モロと転じたのであろう。
西国から東国へ移住してきた開拓民が現鎮座地の丘を見て、『三輪野山』と名付け、その頂に三輪の神を勧請したのであろう。

本殿
古記録による幾度の神階昇叙や、境内に接した神宮寺跡地、鰭ヶ崎塚之腰祭祀跡等の水路上陸地、或いは神奈備北浦の巨杉八本より八木郷の地名由因などから考察するに、広大な神域を有し、又江戸幕府は毎年二十五石の祭祀料を捧げ或いは今に伝わる神賀良餅の神祭りその他によって盛大な祭典が偲ばれる。

創立年代は式内社であり、又奈良時代・平安初期に大和地方から当地に部族の移動記録等によりその時代と推測される。
御祭神は大物主命(大国主命・大巳貴命)
往古、三輪山の台地の麓は河川が洗い水田も拓けて稲作が盛んであったことは万葉集の葛飾郡早稲の歌でも知られる。陸地には畑作物が豊かに稔った。

祭典、トウ渡し(年番の引き継ぎ)、直会の後若衆が大きな供持ちを引きちぎりあい、奪い合う「餅取り」を行う。
行事はかつては近郷から若衆が集まり裸で餅を奪い合うもので、奇祭とよばれていた。
餅の割れ方でその年の作柄を占ったと言われる。
(以上、境内案内板より内容抜粋)

この地に住んでいた無名の娘による切ない和歌が万葉集に掲載されている。

鳰鳥の 葛飾早稲を 饗すとも
その愛しきを 外に立てめやも

鳰鳥(におどり)の葛飾早稲を神に捧げ祀まつる日であろうとも、
愛いとしい人を外に立たせておくことなどできましょうか。

奉納された草鞋
社前にある石像が安置された一角にわらじが奉納されていた。
鎮座地周辺は現在再開発が盛んに行われているが、このような伝統は失わないでもらいたいな、と思いました。

次回は、下総~常総に鎮座するお社です。

9 November 2013

秋の八ヶ岳縦走‐2 赤岳~中岳~阿弥陀岳 と、富士の絶景

Location 日本, 山梨県北杜市大泉町西井出
前回リンク ⇒八ヶ岳縦走 硫黄岳~横岳~赤岳天望荘 http://travelog-jpn.blogspot.jp/2013/11/1.html

日の出前の赤岳周辺
硫黄岳~横岳を縦走して赤岳天望荘でのんびり一泊。
翌朝は雲ひとつない快晴!
とても美しい夜明けです。

モルゲンロートで紅く染まった横岳。

阿弥陀岳と中岳、その先には諏訪湖がくっきりと見えます。
(風は相変わらずめちゃめちゃ強かったでした・・・)

夜明けの富士山
そして、赤みがかった雲海に浮かぶ富士山の絶景!
この雄姿を拝むために、今回登山したといっても過言ではありません。

富士山と八ヶ岳は表裏一体の山で対照的。
生命誕生の地である富士山に対して、八ヶ岳は「黄泉がえり」の地と言われているらしいです。
また、背比べ伝説等もあります。

八ヶ岳の周囲には尖石遺跡に代表される縄文時代の遺跡が多くあり、後の諏訪信仰に影響を与えた山峰だと小生は考えております。

赤く染まった赤岳、背後には富士山
7:00 赤岳展望荘 2735メートル

さてさて、ゆっくり朝食を摂った後、朝日で赤く染まった名峰~赤岳登山開始。
登山路は激混みで、鎖場のあるルートから外れて、岩場をよじ登らなければならない程でした。

赤岳山頂
7:30 赤岳山頂 2899.2メートル

・・・ということで、ようやく八ヶ岳最高峰~赤岳へ登頂!
山頂は写真の通り多くの登山客で賑わっておりました(汗)

天に突き刺すように伸びる山標。
鮮やかな青空がとてもよく映えています。

幽玄な雰囲気の富士山
山頂からは360度の大パノラマが堪能できます。
富士山も日の出の頃より幽玄な雰囲気に包まれて、正に霊峰の佇まいを醸し出しています。

富士山と清里周辺?
まるで、ジオラマを見ているかのような絶景です。
時間を忘れてしまう程、この絶景を眺めていました。

阿弥陀岳
8:20出発

後ろ髪を引かれる思いで、赤岳から下山。
「このまま下山して帰るのも寂しいな」と思い、中岳~阿弥陀岳を登ってみることにしました。

中岳山頂と権現岳
9:10 中岳山頂 2716メートル

文三郎尾根の岩場を慎重に降りて、分岐点からちょいと登ると中岳山頂です。
背後には権現岳の山容がよく見えます。

硫黄岳~横岳
昨日登った横岳~硫黄岳の山容もくっきりと見ることができます。

阿弥陀岳
そして、阿弥陀岳へ。
行者小屋への登山道がある中岳のコルでゆっくり休憩し、荷物をデポして登山開始。

阿弥陀岳登山道
ハシゴや鎖場があり、ザレている箇所が多く、落石注意!な箇所があったり、結構しんどい。
おまけに、アホみたいに小石をまき散らしながら、下山している輩がいて、思わず怒鳴ってしまいました・・・。

阿弥陀岳山頂
10:00 阿弥陀岳山頂 2805メートル

ハアハア、ゼイゼイ・・・としながら、やっと山頂へ。
疲れた~♪

阿弥陀岳頂上から諏訪~日本アルプスを望む
赤岳からの眺望も見事だったが、八ヶ岳連峰の最西部に立つ阿弥陀岳の眺望も素晴らしい。
眼下には諏訪湖や茅野~岡谷~諏訪の町並みが一望!

御嶽山
名峰 御嶽山の美しい山容。
いつか登ってみたい山のひとつです。

槍~穂高連峰
そして、槍ヶ岳~大キレット~穂高連峰もくっきりと拝むことができました。

赤岳
背後には先程登った赤岳~中岳の雄姿が聳え立つ。

阿弥陀岳から見た富士山
富士山もまだまだ見えます・・・が、少々ガスがかってきたかな?

360度の大パノラマに感動!
天気に恵まれたせいか、こんな長く山頂に滞在したのは初めてです。

中岳ノコルと文三郎尾根の分岐点
11:00 下山

阿弥陀岳から下山し、帰路は中岳のコルから。
道は九十九折になっていて、文三郎尾根から下山するよりも楽チンだと思います。

12:00 行者小屋

そして、丁度正午頃に行者小屋に到着。
ラーメンを食べながらビールで乾杯!

南沢
南沢ルートは距離が長く、道もガレている箇所が多くて、北沢ルートと比較すると少し歩き辛かったが、道中には、一面苔が生した地点があったり、白樺の木々が自生している地点があったりして、とても心地良かった。

そして、15:00すぎにようやくスタート地点の美濃戸口に到着ー。

総距離 22.71㎞
標高差 約1400メートル

の道程でした☆

万治くんとカエルくん
下山後、諏訪の名湯で疲れを癒して、万治の石仏とゆるキャラ「万治くん」に会ったのも楽しい思い出(笑)

八ヶ岳はとにかく強風に悩まされましたが、終日天気が良く富士山や日本アルプスの絶景を堪能できたのは本当に良かったでした。
又、登山道もよく整備されていて、樹林帯も優しい雰囲気でとても登りやすい連峰だったな、というのが感想です。
(但し、この時期の山頂はヤバイ程寒く、ダウンジャケットは必須です!)

次回は権現岳から赤岳、もしくは北八ヶ岳縦走してみたいなー。