19 May 2018

甲斐の社 大井俣窪八幡神社 室町時代の重文が並ぶ社殿群

大井俣窪八幡神社(大井俣神社)
(山梨県山梨市北654鎮座)

大井俣窪八幡神社は貞観元年(859年)創建のお社で、延喜式神名帳にて「甲斐国山梨郡大井俣神社」と比定されているお社のうちの一社です。

日本最古の木製鳥居
雁坂みち(国道140号線)から笛吹川にかかる八幡橋の交差点を少し進むと、存在感ある大きな両部鳥居が架かっています。
この鳥居は天文四年(1535年)に武田信虎によって建立された両部鳥居で、国指定重要文化財の「日本最古の木製鳥居」とのことです。

鳥居脇には「蚕影山」「津島牛頭天王」「愛宕山」と彫られた石碑が。

蚕影山は筑波山の南麓にある神社が総本山で、養蚕の神様を祀っております。
ちなみに筑波山神社とも密接な関係があり、蚕影神社が姉、筑波山神社が妹という姉妹関係らしいですが、真偽のほどは分かりません。

神門附石橋
鳥居をくぐりしばらく進むと、永正八年(1511年)の神門、そして鳥居と同じ時期に武田信虎によって架けられた石橋が現れます。

これらも国指定重要文化財・・・。
なんと、大井俣窪八幡神社は9棟11件が国指定重要文化財に指定されている歴史的建築物の宝庫なのです!

境内
神門をくぐると、まさに歴史を感じる神的空間が広がっています。

大井俣八幡神社は、延喜式神名帳甲斐国山梨郡 大井俣神社の式内社の論社とされている神社で、かつては笛吹川と重川の中島に鎮座していましたが、暴雨のため現在地に遷座したとのことです。

末社比咩三神社本殿
境内脇の神池には末社比咩三神社本殿が鎮座されています。
江戸前期の寛永二年(1625年)に建立され、国指定重要文化財に指定されています。

境内
本神社の御祭神は八幡神である誉田別尊(応神天皇)、足仲彦尊(仲哀天皇)、息長足姫尊(神功皇后)を祀っており、社伝によると、清和天皇の勅願によって貞観元年(859年)に九州宇佐八幡宮が勧請されたのがはじまりと伝えられています。

窪八幡神社拝殿(庁屋)
一際存在感があるのは庁屋といわれる十一間もの長い拝殿。
弘治三年(1557年)の建立で、桁行十一間、梁間三間、檜皮葺の切妻造りです。

扁額
窪八幡神社 
鎮座地:山梨県山梨市北654
由緒
窪八幡神社は、「大井俣神社本記」(承応二年[1653年]、当社蔵)によると、清和天皇の勅願によって貞観元年(859年)に九州宇佐八幡宮が勧請されたのがはじまりと伝えられています。
境内には、室町後期の神社建築が集中するほか、同時期の境内古絵図や鰐口・木造狛犬・三十六歌仙図など貴重な文化財が多く残されています。
これは永正十三年(1516年)及び大永元年(1521年)の駿河勢侵攻による建物の焼失と、信虎・晴信(信玄)による戦国大名武田家の勢力拡大に伴う外護が要因となって、この時期に大規模な造営が行われたことによるものとみられています。
周辺には、戦国期の史料として名高い「王代記」が書かれた別当上之坊(八幡山普賢寺)跡地をはじめ県指定文化財の「木造阿弥陀三尊像」が安置される神宮寺、坊や社家といった神仏習合遺跡が残されています。
(境内掲示板より)
本殿
本殿は永正十六年(1519年)の築造で、これまた十一間社流造の壮麗な造り。

末社高良神社本殿
拝殿正面を見て左側に坐する社は末社高良神社本殿。
明応九年(1500年)建立のお社で国指定重要文化財です。

石灯籠と磐座、そして背後の社殿がとても和の美を醸し出しています。

末社武内大神本殿
そして、高良神社の裏には末社武内大神本殿が坐しています。
高良神社と同様に明応九年(1500年)建立の国指定重要文化財。

摂社若宮八幡神社拝殿
拝殿正面から右手に坐しているのは摂社若宮八幡神社拝殿。
天文五年(1536年)の建立で入母屋造で国指定重要文化財です。

摂社若宮八幡神社本殿

若宮八幡神社拝殿裏には室町中期(1393~1466年頃)建立の本殿が鎮座。
こちらも国指定重要文化財です。

・・・と、社殿全てが国指定重要文化財!
京都や奈良のお社なら理解できるが、山梨のこの地に室町時代の建築物が護られ続けているのは本当に驚きです。

窪八幡神社如法経塔
社殿裏手には如法経塔があります。
窪八幡神社如法経塔
如法経とは、「写経に羽毛を用いず草を筆とし石を墨として一字ごとに礼拝書写するいわゆる如法行によった経文と埋納して建てた塔」のことである。
御神木
享禄五年(1532年)のこの塔は安山岩製で、現高1.40メートル、基礎・塔身・笠などの示す比率はよく均衡が保たれ、棰型を設けた軒の反りが屋根の反り方と相まって、室町期の特色を現わし、全国的にも例の少ない大切な遺構である。
山梨市教育委員会(境内掲示板)

境内社
窪八幡神社如法経塔の脇には八社の境内社がひっそりと坐しています。
社殿と境内社との間には神池に注がれている小川が流れていて、とても風情があります。

鐘楼
そして天文二十二年(1553年)以前、おそらく明応九年(1501年)の武内社と高良社と同時期に建立されたと推測される県有形文化財の鐘楼。

中世以来~明治維新までの神仏習合時代の名残を感じます。

社殿手前には(おそらく)桜の木々が植えられています。
私が参拝したときはまだ蕾の段階でしたが、きっと満開となれば華やかで美しい境内となること必至です。

室町時代へタイムスリップしたかのような社殿群。
本当に心に響く美しい古社でした♪

16 May 2018

甲斐の社 山梨岡神社 石和御室山に坐す「キ神」を祀る式内社

山梨岡神社
(山梨県笛吹市春日居町鎮目1696鎮座)

社頭 背後には御室山(大蔵経寺山)
山梨岡神社は物部神社と同様に大蔵経寺山こと御室山の麓に坐するお社。
社前からは御神山と崇めている御室山を拝むことができます。
山の中腹には山梨岡神社の旧社地・御室山古墳があり、旧社地は神聖な場所とされ、かつては祭日に神輿が登っていたといいます。

郡石
社前には藤の木、そして郡石と呼ばれる石が。
この石はかつて郡の境石だったといわれています。

拝殿
神橋を渡り社殿へ。
創建は人皇十代崇神天皇の御代。
国内に疫病が流行し災害も多かったため、勅命により御室山頂に創祀され、成務天皇の御代に麓の梨樹を切り拓いて神戸に遷し「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号したと伝わっている古社で、「やまなし」語源発祥の地。
本神社には国指定重要文化財である本殿があり、室町時代末期の築造といいます。

扁額
この神社で興味深いのは「夔(キ)の神」の神像が祀られている日本唯一の神社という点です。
「夔の神」とは、もともと「山海経」に出てくる古代中国の奇獣で、一本足の牛のような獣のこと。
本神社地域では雷・魔除の守護神とされていて、古くは10年に一度、現在では7年に一度の例祭日に開扉が行われているといいます。
本神社に纏わる霊験譚は、江戸時代後期の妖怪ブームに乗っかって広まったといい、江戸城大奥へも本神社の神札を献上したと言われたほどらしいです。

詳細はウィキペディアなどで「キ(中国神話)」で検索すれば色々と記述されていますので、ご参照ください。

山梨岡神社の由来 
鎮座地 春日居町大字鎮目字宮の前1696番地
由緒
延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇十代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇の御代に麓の梨樹を切り拓いて神戸に遷し「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号したのである。
「やまなし」の語源発祥の地であり、大字「しずめ」の地名も往古軍団が屯した名残である。

本殿(室町時代末期の築造)
祭神
大山祇神、別雷神、高龗神
祭日
四月四日、五日 摂社吾妻屋宮の御神体を迎え、虫加持、太々神楽の執行、神輿の渡御があり盛大に行われる。
文化財
(一)本殿(付棟札) 国指定重要文化財
一間社隅木入春日造、向拝付 屋根こけら葺
室町時代末期の建築様式で、飛騨の工、造営となっている
(二)太々神楽(二十四種類) 県指定無形文化財
(三)夔の神(雷、魔除の守護神) 町指定文化財(民俗)
(四)ふじ 町指定天然記念物
(五)社宝 武田信玄公社参状、禁制、山争論裁許状、御朱印状、その他
尚神社を中心に裏山一帯は歴史景観保全地区として県指定

神楽殿と和歌の石碑

古歌
甲斐かねに咲にけらしな足引きの
やまなし岡の山奈しの花
能因法師 
あし曳の山梨岡に行水の
たえすぞ君を恋わたるべき
詠人不知 
春日居町
(以上、境内掲示板より)

本殿裏の境内社
本殿裏には境内社、そして御神山へ続く登山道がありました。

御室山
山梨岡神社の背後にある山。
山梨岡神社の岡は御室山を指し、古来より神のいる場所として信仰されてきた。
中腹には山梨岡神社旧社地・御室山古墳がある。旧社地は神聖な場所とされ、かつては祭日に神輿が登っていた。
御室山古墳は積石塚の円墳で直径11m、高さ2m。石室は南西方向に開く無袖型横穴式石室で、全長7mである。
また、毎年4月上旬には御室山では笈形焼が行われる。
笈形焼は笈を模した一辺400mの日本一の規模を持つ山焼きである。
昭和63年(1988)4月に復活した。
山梨岡神社には笈形焼の場所や御室山周辺の様子等を記録した「山争いの図」が保管されている。
山梨県・春日居町

神池
境内の神池には梅の花が咲いていました。
とても風情を感じます。

御室山中腹に坐する摂社吾妻屋宮、そしてかつての社地であった御室山古墳、そして「やまなし」起源の聖なる山、御室山も機会があれば登拝できればと思いました。

古代~近世にかけて様々な側面をもつ歴史を感じる興味深いお社でした!

次回は連歌発祥の地に鎮座するお社です。

14 May 2018

甲斐の社 物部神社 石和御室山に坐す二座の式内社

物部神社
(山梨県笛吹市石和町松本615鎮座)

御室山
石和温泉駅のホームから見える一見ただの里山。
しかし、この山は大蔵経寺山、かつては御室山と呼ばれた神南備で、山の中腹には古墳があり、山の麓には延喜式神名帳に記載された二座の式内社が鎮座しております。
まずはそのうちの一社、物部神社についてです。

物部神社は大蔵経寺というお寺の内にひっそりと鎮座されています。
お墓に囲まれた参道は少々寂しさを感じます。
かつてこの社は物部十社明社と言われており、御祭神は物部氏の御先祖である饒速日命とその御子神可美真手命をはじめとした物部祖十神です。

御由緒にもある通り、真言宗大蔵寺はかつて物部神社の宮寺であったが、現在は立場が逆転してしまったようです。

物部神社御由緒 
物部十社明社といい、物部氏の御先祖である饒速日命その子可美真手命より十神をお祀りする神社です。
饒速日命は神武天皇が大和国平定の折り勲功を立てそれ以来代々朝廷にお仕えし、垂仁天皇の御代に物部(朝廷を警護し武事を掌りし部族の総称)の姓を賜り大連(朝廷の政務を 補佐し国務大臣に相当する職)として国政に参与し、一家一門はこの地を中心に繁栄し隆昌をきわめた。

拝殿
又物部神社は延喜式神名帳、三代實録等の古典に記録されており、それによると、清和天皇の貞観五年六月八日に甲斐国 従五位下勲十二等。
同八年三月二十八日正五位下。
同年閏三月一八日従四位下。
同十八年七月十二日従四位上と更に陽成天皇の元慶三年二月八日正四位上、物部神従三位の位と田三十四町歩を賜る。

本殿
往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地に遷し祀る。
現在御室山に旧蹟があり、
古今集にも「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合いけり」と詠じてある。
又、醍醐天皇が延喜の制度を施行された折一の宮として国幣に預り本国屈指の名社のみならず此の地方の鎮守神として古来より上下の信仰厚く、文化発展の中心となり、古代の石器、土器類が発掘された。
本殿裏手の社叢
後世、徳川家より黒印二石四斗五升を賜る。
旧社殿は明治二二年二月一二日 夜拝殿より出火焼失。
真言宗大蔵寺は当社の宮寺であった。
御本殿は「流造桧皮葺」拝殿「入母屋瓦葺」である。
古代には甲斐國随一の神社であり、最古の神社として今に伝えられている。
再建は大正元年十月吉日である。

本殿と境内社
物部氏の祖十神
櫛玉饒早日命(くしたまにぎはやひのみこと)
可美真手命(うましまでのみこと)
宇麻志麻治命(うましまじのみこと)
味饒日命(うましにぎひのみこと)
大椋麻桙命(おおくたきをのみこと)
大新川命(おおいにかわのみこと)
彦湯支命(ゆにゆきのみこと)
大木食命(おおきくひのみこと)
伊香色雄命(いかがしきをのみこと)
十千根命(とうちねのみこと)
を祀っていた。
(以上、境内掲示板より)

本神社から徒歩30分ほど登った先には御室山古墳という6世紀末の積石塚円墳があり、この山周辺は重要な聖地のひとつだったと思われます。

次回は重要文化財にも指定されているもう一つの石和御室山に坐する式内社についてです。

12 May 2018

甲斐の社 甲斐奈神社(一宮町橋立)「甲斐國総社」

甲斐奈神社
(山梨県笛吹市一宮町橋立84鎮座)

鳥居
二之宮美和神社から一宮浅間神社に移動する途中、カーナビに「甲斐奈神社」の表示がされたので、近くのコンビニに立ち寄りがてら参拝してみました。
周りは畑が広がる長閑な風景が広がっています。

神門
しばらく進むと両部鳥居、そして参道の先神門が見えてきます。

甲斐奈神社は延喜式神名帳に「甲斐國山梨郷甲斐奈神社」と記載されているお社で、笛吹市の春日居町国府に鎮座する「守之宮明神」、甲府市の甲府市宮前町に鎮座する府中八幡神社とともに論社とされており、一般的には春日居町国府の甲斐奈神社が有力だとのことです。

神門の前にはおみくじが並んでおり、両脇には二神の像が坐しています。
本神社は「甲斐國総社」と称しております。
総社とは、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のこと。

当ブログでは…
陸奥國総社 陸奥総社宮
武蔵國総社 大國魂神社
相模國総社 六所神社
美濃國総社 美濃國総社(南宮大社境内社)
尾張國総社 尾張大国霊神社

などがあります。
リンクを貼りましたので、よろしかったら覗いてみてください。

境内
境内へ。
春の到来を祝う祭事が行われるのか、境内は準備の真っ最中でした。
御朱印は受付けるようでしたが、どうやらお忙しそうなご様子。

個人的な「神社参拝のポリシー・マナー」として、授与所や社務所に神職が常駐されていないお社や町村の小さなお社では、神職さんのお手間をかけてしまうので、御朱印を頂くためにわざわざ呼び出さないようにしています。

扁額
甲斐國 総社 甲斐奈神社  
(旧指定村社)
鎮座地 山梨県笛吹市一宮町橋立字北畑84番地
御祭神 国常立尊、高皇産霊尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊

本殿
由緒沿革
甲斐國志所出の社記によれば、当社は延喜式内社であり、甲斐國中式大小の神衹を勧請する一国の総社であった。そのため、恒例神事、大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、先ず当社にて祭祀が執り行われ、それから国内の諸社に対して幣帛がわかたれた。
天正十年の兵火に焼かれたが、その後再建され江戸時代から戦前まで隆盛を誇ったが千五、一時、人心が離れて著しく荒廃するも、近年氏子、崇敬者の熱意で本殿、拝殿、一の鳥居、両部鳥居、神門、神楽殿等次々に再建、改修整備され、旧に復しつつあり、甲斐國の御親神として広く崇敬を受け県内外から多くの参拝者が訪れ、社頭は賑わいを得ている。また別称が幾つかあり、神祖大明神や林部の宮とも呼ばれている。

枯死した「橋立大杉」の記念碑
本殿後ろには天然記念物の御神木の大杉があり甲州三大杉の一つに数えられ「橋立大杉」として地方に知られていたが昭和二十六年に枯死したので其の跡に記念碑が建ててある。
江戸時代まで祭礼の日に笛吹川東の神主かすべて当社に参集して神楽を奏し盛大な祭祀が斎行され五穀豊穣、国家鎮護の祈祷をした。
明治四十年村社に指定された。旧時の社領は四石三斗 社地は443坪であった。
橋立、東原、竹原田、金田の産土神である。

「総社」の名称は一宮と同様に平安時代末期になって文献上に散見できるようになる。 
これには国内総社、邸内総社、寺内総社などがあるが、国内のそれは国司(現在の県知事)が任命・退任時に国内の神社を順拝することとなっていたが、国衙(現在の役所)に近い一社に国内の神社を勧請合祀、または一社殿を構築して勧請合祀し、便宜これを拝むに至ったが、これが総社の起源とみられている。 
甲斐国史や諸文献をみると、甲斐国の総社は神祖宮、または神親社、林部の宮、橋立明神とも呼ばれている当社、又は笛吹市の春日居町国府に鎮座する甲斐奈神社「守之宮明神」とも云われさらには武田時代に甲府に国府が移されてよりの総社として、甲府市宮前町に鎮座する府中八幡神社と云われている。

神楽殿
また、同時期に編纂された延喜式神明帳にも山梨郷にその名が見えるが、当時は当社の辺りは甲斐國の政治文化の中心地であり、国分寺や甲斐一之宮、甲斐二之宮があり、さらに、山梨郷と八代郷の境界をなしており近くに林部郷や玉ノ井郷が山梨郷となっておることや、甲府が甲斐國の政治文化の中心になったのは武田時代であり、このように様々な資料、地勢など、どれをとっても当社は一国の総社であり、当然、延喜式に記載される甲斐奈神社は当社である。
(以上、参拝の栞より)

次回も引き続き甲斐の古社巡りです。